Pocket

●分割掲載です。初めての方は(1)から順にご覧ください。

制作者はディレクションする立場

今回は原点に立ち戻り、制作者と劇団員の関係性について考えてみます。制作業務にはマンパワーが必要なものが多く、劇団員の協力が不可欠です。専任制作者がいたとしても、作業すべてを一人でこなすのは不可能で、小劇場演劇の場合は制作者がディレクションを担当し、実際の作業は劇団員全員で分担することがほとんどでしょう。専任制作者がいても、他の劇団員が制作にノータッチということはあり得ません。

商業演劇のようにスタッフワークが専門高度化され、潤沢な予算で外注出来るようになれば、プロデューサーを中心に制作スタッフだけで業務が回りますが、小劇場演劇の場合はそうはいきません。当日運営やツアー先の現地制作など、物理的に外注せざるを得ない場合を除き、ほとんどの作業を内製しているはずです。舞台装置のタタキや衣裳の縫い子を劇団員が務めるのと同様に、劇団員が関わる制作業務は多岐に渡ると思います。

チケットの手売りも広義の制作業務です。専任制作者がいても、自動的にチケットが売れるわけではありません。制作者はチケットを売るための戦略は考えますが、実際に手売りをするのは劇団員全員です。チケットが売れないことを制作者のせいにする劇団員がいたとしたら、自分自身も販売に携わる一人であることを認識させ、売るためのアイデアを共に考えるようにしたいものです。

カンパニーが専任制作者を募集する場合、「俳優を稽古に専念させるため」と考えてはいけません。逆に制作者も、「俳優を稽古に専念させたい」と考えるべきではありません。前述のとおり、小劇場演劇の予算規模で専任制作者がすべての業務をカバーするのは不可能です。過剰な期待や責任は制作者を疲弊させ、ボロボロになってメンタルの不調や引退につながります。専任制作者を募集するのは、制作面のディレクションが目的であり、制作業務を制作者に押し付けるためではありません。

俳優も制作面に関心を持ち、ディレクション自体に参画しましょう。カンパニーの中長期計画、劇場契約や作品ラインナップ、広報宣伝の方向性――これらは制作者がいる/いないに関わらず、劇団員全員で議論すべきことです。演劇制作と言えば公演制作の実務中心に語られがちですが、カンパニー付け制作者の場合、団体自体の運営・戦略決定が大きなミッションであり、これに関わることこそが醍醐味だと思います。重要な意思決定なので、制作者も俳優の意見を訊きたいはずです。制作者任せにせず、広義の演劇制作を劇団員全員が自分事として考えることが、創生期のカンパニーのあるべき姿だと思います。

惑星ピスタチオが掲げた理念

この考え方を具現化したのが、1989年~2000年に活動した惑星ピスタチオです。代表的なエピソードとして、97年に大阪市が主催した「舞台芸術ワークショップ・大阪1997」を紹介します。これは、大阪市が中之島の大阪大学医学部跡地に構想していた舞台芸術総合センター(仮称)のプレ事業で、96年は野田秀樹氏と宮本亜門氏を講師にワークショップ、97年はデヴィッド・ルヴォー氏に加えて地元の若手講師に任せようという趣旨で、当時関西小劇場界を牽引していた惑星ピスタチオと遊気舎がオファーされました。

大阪市主催による7日間連続のワークショップで、関西ではめずらしい平日昼間の開催でした。関係者の本気度が伝わる内容で、遊気舎ではこのチャンスを逃してはならないと、カンパニーの総力を挙げて準備に取り組み、「おなかからエイリアン」というタイトルで、俳優向けのコミュニケーションデザイン能力を養うプログラムとしました。

これに対し、惑星ピスタチオのプログラム「空想演劇講座」には度肝を抜かれました。大阪市が本格ワークショップをオファーしてきたことの手応えは、惑星ピスタチオも同じだったはずですが、彼らが開催したのは俳優を意識したものではなく、宣伝面を中心にした制作ワークショップだったのです。作・演出の西田シャトナー氏はこう記しています。

 まず劇団は、複数の人間が集まり、全体で一個の作家として機能する。このあたり、音楽でいえばバンドに似ている。さらに劇団は、舞台全体が作品であると同時に、役者の肉体自体をも作品として成立させる。その面ではスポーツや武道に通ずるものがある。そして、舞台作りと平行して、チラシを作ったりチケットを売ったり劇場側と交渉したりという作業も必要だ。つまり劇団にはプロモーターとしての側面もある。

 舞台作りだけではない。こうした様々な要素をすべてひっくるめ、宣伝活動すらアートとして楽しむ。それが劇団活動と言える。ある意味、劇団以外の普通の演劇(商業演劇とか、映画とか)とは全く別の軸の上で、現代の「劇団」というアートは成立しているのだ。

CDIサイト/プロジェクトファイル「舞台芸術ワークショップ・大阪」1997年ワークショップ
惑星ピスタチオワークショップ「空想演劇講座」

※CDI(株式会社シィー・ディー・アイ)はワークショップの運営を受託していたシンクタンク(京都市)。

芸術と興行が同時進行する舞台芸術の特殊性を表わしたものですが、「宣伝活動すらアートとして楽しむ。それが劇団活動と言える」と言い切る演劇人は当時いませんでしたし、現在もいないと思います。制作ワークショップ自体は当時もありましたが、平日昼間の7日間連続ワークショップなら、誰もが俳優をターゲットに考えると思います。そこへこうしたプログラムを持ってきたことに、本当に驚かされました。

惑星ピスタチオは信念を貫くカンパニーでした。それが徹底しすぎて、傍目には無謀に思える場合もありましたが、劇団員全員で制作面について考え、それを実行しているという点では、他の追随を許さない存在でした。例えば、94年に突如として中劇場(新神戸オリエンタル劇場)に手打ちで進出したこと、96年に念願の紀伊國屋ホールに進出するのに一人芝居を上演したことなど、普通のカンパニーでは考えられない戦略と覚悟がありました。劇団員全員が制作面を考え抜き、合意しなければ成し得ない公演でした。逆にそれが出来たからこそ、彼らは短期間であれだけ動員を伸ばすことが出来たのでしょう。その結果に裏打ちされたのが、この97年の制作ワークショップだったと思います。

どんな立場でも制作を自分事としてとらえる

演劇はライブパフォーマンスであり、準備段階から本番までが連続した行為です。すでに完成されたモノを売るのではなく、観客は企画に集うスタッフ・キャストの可能性に期待し、貴重な時間をやりくりしながら時空を共有するのです。その意味で、企画の発表から本番までのすべての活動が演劇制作だと言えます。広報宣伝や票券管理といった可視化された業務だけでなく、カンパニーがカンパニーであるための活動が演劇制作と考えるべきです。

私が不思議でならないのが、世の中でこれだけ演劇チラシに対して課題が指摘されているのに、なぜ改善されないのかということです。自分が出演する作品のチラシに不満を感じている俳優もいるはずですが、劇団員なら「だったらお前がつくれ」と言われかねないし、客演の立場ならオファーに影響するかも知れません。こうして制作を自分事として考えない俳優が多くなるのは残念なことで、演劇人すべてが制作を自分事として考え、意見を言い合える(そして作業は分担する)風土が小劇場演劇には必要ではないでしょうか。

アートマネジメントの考えが広がり、演劇制作は専門化と有償化の方向に進んでいます。演劇制作=当日運営のように考えている若い制作者もいます。けれど、本当の演劇制作は、劇団員全員の頭の中にあるべきものではないでしょうか。少なくとも小劇場演劇の場合は、全員が「自分たちはこうなりたい」という夢があり、それに近づくためにすべきことを考え、それを共有するはずです。制作者はそれを実現するためのディレクションをするだけです。これを実践したのが惑星ピスタチオだったと思います。

前の記事 カンパニーを進化させ集客へと導く具体的な方法/(9)バカ企画でブレイクスルーする