この記事は2001年11月に掲載されたものです。
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制作者の仕事に誇りを持たせるために
制作者のクレジットを必ず入れる
私は理解出来ないのですが、専任制作者がいるにもかかわらず、チラシのスタッフ欄に名前を載せていないカンパニーがいます。このケースは有名カンパニーにも散見され、制作としてそのカンパニー名がそのままクレジットされていることがあります(例:制作/劇団××××)。これって、いったいなんなのでしょう。制作業務はカンパニー全員で分担しているからとか、その制作者が新人だからとか、載せない側の言い分はいろいろあるのかも知れませんが、カンパニーの一員として公演に携わっているにもかかわらず、名前を載せないというのは私はおかしいと思います。
例えばこれが役者なら、新人であっても必ず名前は載るはずです。新人というのが問題なら、制作助手などの肩書にすればいいだけの話です。制作業務は膨大ですから、ベテラン制作者であってもカンパニー全員のマンパワーを使うことは当然です。業務を分担していることは、名前を載せない理由にはなりません。部外者から見たら些細なことかも知れませんが、チラシという公演の公式な印刷物に名前が載らない(載せてもらえない)のは、制作者の尊厳を傷つけることだと私は思います。
もし、あなたのカンパニーのチラシに専任制作者であるあなたの名前が載っていないとしたら、次回からは必ず載せるべきです。主宰や他のメンバーがそれを認めないとしたら、なぜ認めないのか徹底的に話し合ってください。あなた自身が「作品が好きだから、役立つなら名前が載らなくてもいい」と思っているとしたら、近いうちに必ず破綻が訪れるでしょう。制作者は他者のために自分を殺すポジションではありません。自分自身が積極的に作品に関与して、共に作品を創造していく重要なポジションです。この意味がわからなければ、あなたは制作者ではなく、単なるお手伝いさんや雑用係になってしまいます。
作・演出を載せないチラシはありません。出演者を入れないチラシもありません。同じように、制作者を入れないチラシもあり得ないのです。
任せるなら全部任せてもらう
制作者に限らず、人が仕事に誇りを持つためには、その仕事を周囲から信頼されて任されているという自負が必要です。もちろん、組織として責任者が担当者の仕事をチェックすることは必要です。けれど、度が過ぎて仕事の細部にまで介入されたら、担当者のモチベーションは上がらず、能力の向上にもつながりません。単に責任者の指示どおり動くオペレーターになってしまいます。演劇というクリエイティブな現場は、はっきり言ってわがままなアーティストの集まりです。制作者を育てることより目先の作品世界に没頭し、制作面でも過剰な口出しをする主宰を見かけます。
例えば宣伝ツールの制作。チラシやポスターは作品イメージを伝える重要な表現物ですが、だからこそ制作者にとっても非常にやりがいのあるクリエイティブな仕事です。演出家とコンセプトを練るのは不可欠ですし、主宰が最終チェックをするのも当然でしょう。しかし、そうした打ち合わせを重ねて制作者が仕上げたプランを最終段階で演出家が全面否定したり、細部のレイアウトが決まってから主宰が全く別の案を出してきたら、制作者にとって自分の労力が踏みにじられた気持ちになるのではないでしょうか。
統一しなければならない表記上のルール(ロゴのサイズ・色・掲載位置、キャスト・スタッフの掲載順・肩書など)は事前にレギュレーションを定め、コンセプトを演出家と打ち合わせたならば、あとは基本的に制作者が進めていくべき仕事だと私は思います。もし、主宰が宣伝物のデザインワークすべてをコントロールしたいのなら、(物理的に不可能だと思いますが)宣伝業務全部を初めから主宰が担当すべきです。それをしないで、チラシ・ポスター制作のような表現物作成のときだけ介入してくるのは、私はおかしいと思います。有名カンパニーの主宰にも、この「チラシは自分でやらないと気がすまないタイプ」がいるようですが、そうしたカンパニーの制作者はいずれボロボロになって辞めていっているように思えます。
いつまでも責任ある仕事が出来ず、努力したところで主宰が細部にまで介入してくるとしたら、そんなカンパニーで誰が制作をしたいと思うでしょうか。任せるなら全部任せてもらうこと。それが演劇制作に限らず、仕事をする人に尊厳を与えることだと私は思います。
年齢や集団歴が浅いことで萎縮しない
カンパニーというのは、芸術面では演出家を頂点にしたヒエラルキーが確立している集団です。ここでは芸歴に重きが置かれ、内部での上下関係は体育会のように厳密な場合が多いと思います。演劇界の経験を持たない若い制作者が、カンパニーの中で発言力を持ち、主宰と対等な立場のプロデューサーになっていくのは、普通に考えると非常に困難なように思われます。
制作者の重要性を理解した主宰の後押しが必要なのはもちろんですが、制作者自身の意識の持ち方にも弱さがあるのではないかと、私は感じています。若い制作者にとって、現場の経験はこれから身に着けていかねばならないものでしょう。しかし、そんなものは優れた方法論を持つカンパニーの現場で勉強させてもらい、このfringeを熟読すれば会得していけるものです。ノウハウだけなら、やる気さえれば、すぐにベテラン制作者と同じレベルに到達することが出来るでしょう。それより大切なのは、そこで得たノウハウを、自分たちの現場で実践していける環境をつくれるかということなのです。
集団歴の浅い制作者が名実共にプロデューサーとして活躍するにはどうしたらいいか。人脈や資金力で有無を言わさず周囲を納得させる手もありますが、それがない制作者でも発想の転換で人望を得る方法はいくらでもあるはずです。そして、それをカンパニーで声高に主張してください。「自分はこの集団に入ったばかりだから」「この集団が好きだから手伝えるだけで満足」という人も多いと思いますが、最初はそれでよくても、制作者を続けるうちに目的意識を失って、必ず制作そのものに失望する日が来てしまいます。出る杭は打たれて結構。価値観のぶつかり合う芸術の世界にいるのです。例えば、こんな考え方が出来るのではありませんか。
- 演劇制作歴は浅くても、観客歴はあなたのほうが上ではないか。他カンパニーの作品をあまり観ない役者も多い。最近の観劇回数が上なら、年齢が若くてもあなたのほうが演劇界の現状をよくわかっているはずだ。
- 演劇制作歴は浅くても、社会人としての経験があるのではないか。年長でもビジネスマナーの常識を知らない役者はいる。企業の第一線にいたのなら、あなたのほうが制作面では経験者と言えるのではないか。
- 制作者には独自の知識が必要だ。演技歴や演出歴がいくら長くても、それは別の次元のことである。自分より若い医師や看護婦でも信頼するように、自分たちより若いプロデューサーがいても自然ではないか。
経理や法務の知識、パソコンの扱いなど、あなたならではの能力もなにかあるはずです。演劇関係の経験がないから演劇界では新人ではなく、演劇制作という様々な能力が求められる立場では、あらゆる知識がきっと役立ちます。あなたの人生経験こそがプロデューサーに必要なものなのです。逆に演劇のことしか知らない演劇バカこそ、制作者にはいちばん向いていないのです。
『巨人の星』(原作/梶原一騎、作画/川崎のぼる)で、星飛雄馬が禅寺で大リーグボール1号を発想する名場面*1 があります。座禅中に身体が揺れると警策で打たれるのですが、どうしても緊張で揺れてしまう飛雄馬に和尚が諭します。原作から引用すると、「打たれまい、打たれまいとこりかたまった姿勢ほど、もろいものはない。打たれてけっこう。いや、もう一歩進んで、打ってもらおう」。小学生だった私が衝撃を受け、いまだに脳裏に刻まれている言葉です。同年代の友人と話していても、このシーンはみんな覚えているようです。打たれることを怖れて萎縮するよりも、むしろ打ってもらおうというくらいの気持ちが制作者にも必要だと思うのです。
公演企画をどんどん立てる
公演を打つことこそが、制作者の存在を示す最良の方法です。公演を打たないカンパニーに制作者は不要です。役者は自分が立てる舞台を求めていますから、公演の機会を次々と設定してくれる制作者は必ず大切にします。
過去にはこれが行き過ぎて制作者と役者が対立した事例もありますが、一般的な年数回の本公演レベルなら、制作者が主宰と相談して数年先の劇場確保に着手するのが自然な姿でしょう。制作者の業務は多岐に渡り、そのどれもが公演に不可欠なものですが、役者に最もインパクトをもたらすのが新たな公演企画です。長期的な目標に基づいた適切な劇場契約です。演劇祭参加や提携公演などの不可価値があれば、さらにあなたの評価は高まるでしょう。
重要なのは、稽古終わりやミーティングなどで、複数の公演計画がどこまで進み、それぞれがどの段階にあるのか、カンパニー全員に随時報告することです。書類にして配布するのもいいでしょうし、メールの活用も考えられます。俳優というのは目の前の作品に集中していますから、そうした中で先々の舞台を着実に用意してくれる制作者はありがたい存在であり、計画性と実行力を兼ね備えた頼もしい人材に思えるはずです。
リスクを背負って公演という場を用意することは、俳優や他のスタッフには出来ないことです。俳優自らがプロデュース公演をするには、大変な決断が必要でしょう。普段、カンパニー内でどんなに偉そうなことを言っている看板俳優であっても、自分で公演を企画することはまず出来ません。俳優が演技という実力を舞台で見せつけるように、制作者も公演企画という現実をカンパニーの面前に突きつけてください。そのとき、看板俳優のあなたを見る目が変わるはずです。
- 講談社漫画文庫5巻p.222、アニメは1969年8月2日放映「かえれ不死鳥」。 [↩]