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「人気の逆輸入」とはなにか

あなたのカンパニーが本当に魅力的なら、本来は観客のクチコミで評判を呼び、身内客から一般客へ客層が広がっていくはずです。しかし、どんなに努力して傑作を世に送り出しても、期待したほど評判が広がらず、動員が増えないと感じることがあるでしょう。特に首都圏以外の地域では観劇人口そのものが少ないため、一般客へクチコミが伝播する速度が遅くなります。このため、外圧を使って地域の演劇ファンに存在を知らしめる必要が生じます。これが「人気の逆輸入」です。

遊気舎の場合、初期からコアな関西小劇場ファンの心はつかんでいましたが、後藤ひろひと氏の作風や宣伝美術がマニアックだったため、一般の演劇ファンを獲得するには苦戦していました。動員800名までは自然に増加していったのですが、そこで大きな壁にぶつかりました。目標としていた1,000名までの残り200名が、どうしても埋まらないのです。1991年には状況を打破すべく、大阪で人気の小劇場だったオレンジルーム(現・HEP HALL)を借りましたが、逆に700名に減らしてしまう結果となりました。

当時、私はまだ制作者ではありませんでしたが、遊気舎に出入りするようになっており、この公演の打ち上げに参加しましたが、会場はまるでお通夜のような雰囲気でした。人気の劇場はハコ自体が固定客を持っており、普通は動員800名のカンパニーが進出すれば、それに上乗せがあるものですが、逆に動員を減らすという信じられない結果に、劇団員はどうしようもない閉塞感を味わっていたのです。この事態に私は、東京公演を行なって関西に「人気の逆輸入」をするしかないと考えたのです。

劇団☆新感線とダムタイプの先例

私が「人気の逆輸入」を考えたのは、劇団☆新感線の先例があったからです。80年旗揚げの新感線は、当初つかこうへい作品のコピー劇団として人気を博しましたが、84年の『宇宙防衛軍ヒデマロ』からオリジナル路線に変更しました。作風の転換と看板俳優の退団(渡辺いっけい氏、筧利夫氏)が重なり、動員は最盛期の10分の1近くまで減少したそうです。そんな状況の下で、「いのうえ歌舞伎」第1弾である『星の忍者』が86年に誕生し、88年に続編である『星の忍者~風雲乱世篇』で東京初公演を行なったのです。

東京公演は大成功で、以後はギャグ路線の作品も交えて公演を続け、89年には早くも東京・大阪の動員数が逆転しました。東京のメディアが大きく取り上げることで、それを目にした関西の観客が、新感線を東京のカンパニーと勘違いすることもあったそうです。地元のカンパニーでありながら、東京のメディアに掲載されて初めて存在を知る――そうした逆転現象が、当時はまだ多かったと思います。現在は地域からの情報発信も増えたと思いますが、他者に評価されて改めて価値に気づくという図式は、日本全体であまり変わっていないのではないでしょうか。

84年に結成されたダムタイプの活躍も、常に念頭にありました。ダムタイプはメディアアートで、本来なら小劇場演劇とはあまり接点がないのですが、京都のアートスペース無門館(現・アトリエ劇研)でレジデンスカンパニーの扱いを受けていたため、関西の小劇場ファンは日常的にその動向を見聞していました。ダムタイプは京都市立芸術大学在学中から海外公演を行ない、東京をスルーして海外という、当時の常識では考えられないルートで「人気の逆輸入」を実践していたのです。

身近なロールモデルを見つけよう

新感線、ダムタイプといった身近なロールモデルがあったおかげで、遊気舎は92年に初の東京公演に踏み切りました。関西の同レベルのカンパニーでは、最も早い東京進出だったと思います。このため人脈がほとんどなく、準備段階では非常に苦労しましたが、それを逆に東京のメディアが面白がってくれ、その記事が東京のコアな演劇ファンの目に留まり、結果的に一般客中心に443名を集めて満員となりました。

新感線が東京初公演に「いのうえ歌舞伎」を選び、不退転の決意で東京進出したことが動員につながったように、遊気舎も東京初公演では自信作の再演を選び、大阪公演も念願の扇町ミュージアムスクエアを借りることが出来ました。公演順は大阪が先でしたので、東京の成果をすぐに「逆輸入」出来たわけではありませんが、再演で初の東京公演という行動自体が、観客に自信の表われとして訴求したのだと思います。この結果、大阪は動員1,003名となり、念願の1,000名を突破しました。

現在では、東京公演や海外公演はめずらしくなくなり、それだけでは「人気の逆輸入」は難しくなっています。しかし、「他者に評価されて改めて価値に気づく」という点は変わっていません。影響力を持つ「他者の評価」とはなにかを、観客の視点で考えましょう。そして、それが獲得出来るよう行動に移しましょう。それが制作者のミッションだと思います。

制作者は元々演劇ファンであり、演劇ファンなら継続して観ているカンパニーがいくつもあるはずです。動員数は不明でも、そのカンパニーが歩みの中でどのような選択(作品、会場、日程、ツアー)をしてきたかは、観劇体験に刻まれているはずです。それがロールモデルとなり、自分自身の選択の際に必ず参考となるでしょう。もちろん、反面教師になるケースもあるでしょう。この蓄積がどれだけあるかが、制作者の〈嗅覚〉につながるのだと思います。

他地域だけでなく他分野からも「逆輸入」

「人気の逆輸入」は、他地域からだけとは限りません。演劇以外の分野で評価を得て、それを「逆輸入」することも可能です。例えば、作品で描かれた業界から高く評価されたり、他分野で影響力を持つ著名人とつながることで、その影響力を使った「人気の逆輸入」が出来るはずです。一般客の興味を引くには、演劇評論家の劇評よりも、幅広い分野からの支持を示すことが重要だと思います。

小劇場演劇のチラシでは、推薦文を演劇関係者が書いているケースが多いと感じます。どんなにリスペクトすべき相手でも、演劇関係者では一般客に対する宣伝効果は薄いでしょう。もっとインパクトのある人を見つけましょう。

こういう話をすると、そんな著名人の知り合いはいないと言われそうですが、本当にそうでしょうか。世の中には「六次の隔たり」という説があり、知り合いの知り合いを介していけば、6人目までに世界中の誰にでも到達するそうです。そう考えると、小劇場好きの映画監督、作家、漫画家、ミュージシャンなどと知り合うことは決して不可能ではなく、他分野の才能に評価してもらうことで新しい観客を呼び込むことが出来るはずです。

業界を描いた代表的事例としては、2002年に東京のザ・スズナリで上演された燐光群+グッドフェローズプロデュース『CVR チャーリー・ビクター・ロミオ』があります。実際に起こった航空機事故のコックピットを再現したドキュメンタリーで、米国で制作された作品の日本版ですが、米国ではビデオが空軍や航空会社の教材に採用されるほどで、上演前から日本の航空業界でも大きな話題となりました。エピソードには日本航空123便墜落事故も含まれており、上演日程を事故発生日と重ねたことで、航空雑誌だけでなく一般のマスコミでも大きく取り上げられ、当時の扇千景国土交通大臣がスズナリに足を運び、この様子がさらにニュースとなりました。1 この結果、翌03年には全国14都市の再演ツアーが決まったのです。

他分野からの影響力では、京都のキューカンバーが制作する壁ノ花団のチラシを挙げたいと思います。07年の第3回公演から人気漫画家であるオノ・ナツメ氏のイラストを使っていますが、以前からの知り合いではなく、雑誌でオノ氏の作品を見た主宰の水沼健氏が「こんなイラストがチラシのイメージ」と言い出し、それがきっかけだと公式ブログ2 に書かれています。オノ氏自身もブログやTwitterで積極的に紹介し、ポスタープレゼントを企画したときはコミック業界のニュースにもなりました。このチラシなら書店にも置いてもらえるし、いいことづくめだと思います。

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  1. 「ザ・スズナリがこれほどテレビで放映されたのは、今回が初めて」という評判が立った。⇒Wikipedia「CVR チャーリー・ビクター・ロミオ」 []
  2. 「悪霊日記」11月15日付 []