この記事は2011年8月に掲載されたものです。
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カンパニーを進化させ集客へと導く具体的な方法/(1)カンパニーの歴史に精通する
旗揚げメンバーではない制作者
カンパニーでは、制作者が創設メンバーとは限りません。優秀な制作者が旗揚げから参加しているほうがめずらしく、最初は観客として接した人が、途中から手伝いたいと思って合流することが多いと思います。つまり、カンパニーの創生期を経験していないわけで、これが制作者に疎外感を抱かせる要因の一つになっています。それだけではなく、過去の経緯に疎い制作者は宣伝面でもウイークポイントになります。新たに参加した制作者がまずすべきこと、それはカンパニーの歴史を知ることです。遠回りのように見えて、実はこれが集客につながる大切な一歩なのです。
私が1991年に参加した遊気舎は、70年に横井新氏が旗揚げした上方小劇場が前身でした。維新派(当時は劇団日本維新派)と同じ年の旗揚げで、関西アンダーグラウンド演劇の草分け的存在と言われていましたが、87年に横井氏が芸名を「満遊気」、劇団名を「遊気舎」に改名したのです。遊気舎は「満遊気の劇舎」という意味だったのです。満遊気氏引退に伴い、90年の第5回公演から後藤ひろひと氏が2代目座長に就任します。私が初めて遊気舎を観たのはこのときですが、若手のエンタテインメント集団に見えて、背景には20年の歴史とアングラの血が流れていたのです。
これは重要なポイントです。遊気舎はまだ無名でも、上方小劇場はビッグネームとして人々の記憶に残っていたからです。78年にオレンジルーム(現・HEP HALL)の柿落としを務めたり、街頭劇を積極的に打つなど、語り草になっていることも多数ありました。そうした歴史を踏まえ、遊気舎の紹介をする際に相手の様子を見ながら補足するのです。単なる若手と思っている相手には経緯を語り、上方小劇場からの変遷を知っている相手には、逆に座長交代で一新したことを説明します。相手の思い込みをいい意味で裏切り、興味を抱かせ、少しでも話題になるように話しました。
資料を整備して歴史を語る
カンパニーの歴史を整理するため、私が最初に行なったのは「劇団経歴書」の作成です。当時の遊気舎には企画書のようなものがなく、ペラ一枚の手書きの公演概要があるだけでした。遊気舎が特別遅れていたわけではなく、91年当時の関西小劇場界はどこもそんな感じだったと思います。企画書がないため、普通ならそこに書かれているはずの経歴や上演記録もなく、そのため作成したのが汎用的に使える「劇団経歴書」でした。内容は下記のとおりです。
1ページ | 表紙 | 連絡先住所・電話番号を明記。 |
2ページ | メッセージ | 遊気舎改名時の「ネオ・アンダーグラウンドにむけて。」という文章を再録。 |
3ページ | プロフィール | カンパニーの略歴、特徴、今後の活動方針。 |
4ページ | 後藤ひろひと経歴 | 後藤氏の詳細な経歴。幼少期のエピソードも織り交ぜた。 |
5ページ | ||
6ページ | 解説 | カンパニーの魅力を紹介。具体例を並べ、いかに個性的かを強調した。 |
7ページ | 観客の声 | 『ぴあ』関西版に掲載された、公演に対する読者投稿のスクラップ。 |
8ページ | 上演記録 | 上方小劇場時代の主要公演、遊気舎に改名してからの全公演データを記載。後藤氏が座長になってからの作品は、内容と動員数も明記。 |
9ページ | ||
10ページ |
B5判ホチキス止めの内容ですが、まだ手書きが多かった当時、ワープロ打ちの書類は目立ったと思います。これを宣伝に持参したり同封することで、相手の反応が大きく変わりました。私自身も劇団員に過去の資料を集めてもらい、上演記録を打ち込むことで、カンパニーの歴史を学ぶ格好の機会となったのです。
公演の宣伝で編集者やライターと接するとき、みどころまでしゃべる制作者がいますが、相手は演出家に訊きたいはずです。制作者が語るべきは、記事にする際に必要な事実関係のフォローです。例えば、この作品はカンパニーの系譜でどこに位置づけられるものか。同じ系譜につながる作品はなにか。そのときの反響は。再演なら前回の状況はどうだったか。新境地なら具体的にどこが違うのか。――こうした俯瞰的な分析は、目前の作品に没頭している演出家より、制作者のほうが適していると思います。編集者やライターの琴線に触れるエピソードや数字を、どれだけ出せるかが勝負です。それには知らない過去を、どれだけ経験したかのように語れるかです。
パンフレット編集を通じて学ぶ
続いて93年に作成したのが、「遊気舎インタビュー集」というB5判32ページのパンフレットです。これは当時所属していた主要俳優13名に私がロングインタビューしたものを、ポートレートと共にまとめたものです。作品の公演パンフレットではなく、俳優の紹介に徹したもので、ポートレートは京阪神で好きな場所を俳優に選んでもらい、私服でロケ撮影しました。巻末には次代を担う若手俳優たちも掲載しました。
この着想は、自転車キンクリート『ソープオペラ』(92年)で販売された「TWELVE VIEWS」というパンフレットから得ました。インタビュアーとして鈴木勝秀氏(ZAZOUS THEATER主宰)を起用し、様々な書物の一節を引きながら、俳優12名と対話を重ねていくもので、公演パンフレットとは次元が異なる独立した読み物でした。ポートレートも「あなたの好きな場所、よく行く場所」での撮影で、モノクロ写真の魅力が際立つ、演劇史上に残る屈指の名パンフレットだったと思います。「こんなやり方があるのだ」と衝撃を受けた私は、体裁も含めて参考にさせていただきました(「遊気舎インタビュー集」にもこの旨は明記しています)。
俳優たちに個別に人生観や演劇観を訊き、それを活字にする機会は、同じカンパニーにいてもなかなかないことです。このパンフレットの編集を通じて、俳優との距離が一挙に縮まった気がします。それまでも旅公演などを通じて一体感はありましたが、俳優の内面をさらに知ることが出来たと思います。これはその後の制作面でも貴重な財産になりました。
自転車キンクリートのように費用はかけられませんから、写植ではなくワープロ打ち、デザインや撮影も内製でしたが、実力がある俳優のポートレートは、チープな外見を超えた魅力を醸し出してくれました。公演と連動しないパンフレットは、売れ残っても次回公演で普通に販売出来ます。カンパニーとして検討に値するものだと思います。
「劇団経歴書」「遊気舎インタビュー集」でカンパニーと俳優の過去を学んだ私は、こうした編集そのものが制作者にとって最良の勉強になることを実感しました。そこで97年に新たな制作者として太木裕子氏が入団したときは、87年の遊気舎改名から10周年でもあり、「遊気舎10周年記念パンフレット」の編集を担当してもらいました。旗揚げ当時を振り返る座談会、エピソードをふんだんに盛り込んだ上演記録など、A5判196ページの編集で一挙に10年間の追体験が出来たと思います。
旗揚げメンバーではない制作者は、資料やパンフレット作成を通じてカンパニーの歴史を学び、データを揃えることが重要です。それが宣伝にも活きてくるのです。いまなら公式サイトのリニューアルが最も身近な手段でしょう。