団体を継続させるためには(若い主宰のために)
はじめに
若手が旗揚げした団体の継続に苦労している、主宰に責任が集中して団体の維持が難しいという話をよく耳にするようになりました。演劇の活動自体が多様化して、ロールモデルになる事例を見つけにくいとの悩みも聞きますので、私自身の経験を中心に、2024年の視点を交えながら、団体の継続で思うことを述べたいと思います。
カンパニーとユニット
このテーマを考えるとき、まず選択肢となるのはカンパニーなのか、ユニットなのかということでしょう。カンパニーは劇団ですから、近年は劇団員の待遇がよくないと「やりがり搾取」が問題視されますが、それは演劇を「業」にしているカンパニーの場合であり、旗揚げしたての「業」になるかどうかを模索している若手団体は違うと思います。
旗揚げと同時に法人を設立したり、主宰が個人事業主として開業届を出すのであれば、それは「業」として扱われますが、多くのカンパニーは「業」としてやっていけるのか、別の仕事で生計を立てながら、まずはギャラを見込まない予算組みで旗揚げするのではないでしょうか。この段階ではあくまで「サークル」です。劇団員はこうした状況を理解する同志であり、公演収支を共有して納得すれば、ギャラのない公演でも参加します。東京以外の地域や社会人中心のカンパニーでは、最初から「業」にすることを目的とせず、「サークル」として継続していく場合も少なくありません。
このように、団体がどの段階にあるのか、団体が「業」として活動出来ているのかによって、「やりがり搾取」かどうかは異なります。逆に「サークル」を標榜する団体でも、公演で黒字が出ているのに主宰が独り占めしたら、それは「やりがり搾取」になるでしょう。団体を継続させるためには、カンパニーなら公演収支を劇団員で共有することが必須です。公演収支を知れば、ギャラを出すための方向性もわかるはずです。カンパニーがプロダクション化していくのであれば、公演での黒字は求めず、マスコミ出演のためのショーケースとして公演を実施していく考え方もあるでしょう。
これに対してユニットは、演出家である主宰が公演ごとにメンバーを集める形が多いと思います。所属メンバーが数名いる場合もあれば、主宰だけの個人ユニットもあります。メンバーが増えるとカンパニーとの区別が困難になりますが、作品ごとに出演者をゼロベースでキャスティングしている団体は、ユニットを名乗っているように感じます。カンパニーのように所属しているかどうかを配役の判断材料にしない、という意味です。
ユニットの主宰は、作品にふさわしい実力のある俳優を呼びたいと思うわけで、東京なら演劇を「業」にしている俳優が対象になるでしょう。その場合、まだ旗揚げ直後で「サークル」の段階にあるユニットでも、俳優に一定のギャラを払わねばなりません。劇団員がいないので外注作業が多くなり、支払いも増えます。公演ごとの座組なので赤字を持ち越すことが出来ず、「業」としての精算が求められます。「業」にしている俳優の人気で動員は増えますが、それだけでは黒字は難しく、主宰が赤字を負担する収支構造だと思います。
以前ならカンパニーから始めるのがセオリーでしたが、ユニットならではの魅力があることが問題を難しくしています。東京では若手でもフリーランスで「業」として活動する俳優が多く、働き方改革やコロナ禍でギャラが上がっていることも背景にあります。ここで私の経験を振り返ります。
遊気舎の場合
私がプロデュースをしていた遊気舎は大阪を本拠地とするカンパニーで、後藤ひろひと氏が座長(主宰)でした。遊気舎は後藤氏が旗揚げしたのではなく、老舗のアングラ劇団が前身で、先代座長が劇団名を遊気舎に変え、第4回公演まで打ったところで引退し、それと同時にベテラン俳優たちも引退したため、残った若手メンバーの中から後藤氏が2代目座長に選ばれました。学生劇団で上級生が引退し、残った世代から主宰を選んだようなものです。
すでに状況を理解する同志が揃った団体だったので、2代目座長は純粋に芸術面の才能で選ばれることになり、当時最年少だった後藤氏になりました。興行面などの責任は、他の年長者の劇団員が負えばよいので、後藤氏は作・演出に専念することが出来ました。さらに演出が最年少というのは当時めずらしく、後藤氏は先輩の俳優たちに丁寧に接することになり、この雰囲気が新たな劇団員が入団しても続き、ハラスメントとは無縁の稽古場だったと思います。こうした分業があたりまえの感覚、俳優にとって親しみやすい環境が、遊気舎が継続していく上で非常に大きかったと思います。
遊気舎を資金的にも人材的にも支えたのは、先代座長が始めた演劇講座でした。実際に身体を動かす講座ですが、俳優向けの専門的なワークショップではなく、演劇未経験の人でも参加出来る内容でした。情報誌やチラシで参加者を募集し、公共施設などで月3回ほど開講していました。後藤氏を含む主要な劇団員がこの講座の出身で、他劇団にも多くの人材を輩出しました。講座の受講料はカンパニーの定期的な収入源でもあり、公演の際にはこれまでの受講者が集客に貢献しました。
この受講料と劇団員からの劇団費があることで、遊気舎は自前の倉庫を契約していました。シャッター付きのガレージ程度の大きさでしたが、倉庫があると大道具・小道具・衣裳・制作グッズを保管出来て、その再利用や内製が可能になりました。カンパニーとして活動するなら、こうした倉庫は必須ではないかと思います。住宅地を外れたところにあったので、その場でタタキが出来たのも恵まれていました。それらを運ぶ2トンロングが運転出来る劇団員がいたことも非常に助かりました。
その後、後藤氏はさらなる活躍の場を求めて座長就任から6年で退団し、暫定的に座付作家・演出家になったあと、遊気舎を離れました。大手の制作会社でしか実現出来ない企画をやりたかったのだと思いますが、演劇を「業」としている俳優と組みたい気持ちも強かったと思います。私が企画したプロデュース公演で、演劇を「業」としている俳優を演出することで、その引き出しの多さを実感したことも大きかったと思います。私自身が退団を早めさせたとも言えるわけで、小劇場系カンパニーにおける俳優の育成はどうあるべきかを、いつも考えてしまいます。
作品の演出をすることと、俳優の育成をすることは全く違う職能です。演出家でも両方出来る人は限られ、演出家の本来の職能は前者でしょう。作品の演出に専念したい演出家がカンパニーで俳優の育成を期待されると、ギャップを生じるのではないかと思います。カンパニーを旗揚げしても、最終的にユニットになる主宰はこのタイプだと思います。どちらが優れているかではなく、これはその演出家の指向、アーティストとしての生き方なのだと思います。だから、最初から理想のキャスティングを目指す演出家の気持ちも理解出来るのです。
ではどうしたらよいのか
これまでなら、まずはカンパニーで知名度を上げ、キャスティングにこだわりたいなら、中堅になってからユニットを旗揚げしたものですが、いま若手でもユニットが全盛なのは、それだけ時間がもったいないということなのかも知れません。才能を自負する演出家ほど、20代のうちから「業」にしている俳優たちと組みたいのでしょう。
そうなると、カンパニーとユニットのハイブリッドの形式を目指すしかないと思います。両方のいいとこどりです。例えば、遊気舎を支えたのが演劇講座と倉庫だと書きました。ユニットの主宰の場合、俳優向けの専門的なワークショップは開催すると思いますが、演劇未経験者向けの講座は、滞在制作などで行政から依頼でもされない限り、あまり開催しない印象があります。しかし、演劇をやってみたいと思う人は未経験者でも一定数いるので、やってみるとそれなりに需要があるはずです。人口で考えると、東京は一般向け演劇講座はブルーオーシャンではないかとさえ感じます。どうしても作品の演出に専念したいのなら別ですが、こうした講座を定期的に開講することでユニットの定期的な収入が見込めます。
倉庫も内製をしないのであれば不要に思えるかも知れませんが、複数のユニットで共同で倉庫を借りることで、再利用出来る道具の範囲が広がるのではないでしょうか。主宰の個人宅に全部置いて、圧迫されながら生活するのは精神衛生上もよくないと思います。倉庫を中心とした複数のユニットによる緩やかなネットワークを組むのが、ユニットが存続していくためのインフラではないかと思います。ほかにも、カンパニーなら持てるがユニット単独では難しいものがあると思います。バックオフィス機能などはその代表でしょう。そうした共通化がどこまで出来るかが、継続のカギになると思います。
責任の分散の面では、主宰が芸術面と興行面の責任を全部背負っていると、それは潰れてしまうと思います。理想は個人ユニットであっても興行面を支えてくれる制作会社やプロデューサーを見つけることですが、実力が知られていない若手の場合は難しいと思います。助成金は前提に出来ないので、費用をチケット代に転嫁するか、費用を抑えた予算組みにするかしかないと思います。
費用をチケット代に転嫁するなら、若手は単価を上げるのが難しいため、現代アートのような収益化や、創作過程自体を収益化することを考えるべきだと思います。この辺は「演劇で収益を出すことは可能か」に具体的に書いていますので、お読みください。年間で収支を考えるカンパニーと異なり、公演単位での収支を求められるユニットの場合、特にこの辺を明確にして、若手だからこそ支援してくれる観客へ訴えることが必要だと思います。
費用を抑えた予算組みにするなら、それが逆にその団体の個性やこだわりに思える公演にする必要があると思います。例えば、本当に最初から劇場を借りた本公演にしなければいけないのか。普段演劇をやらないような場所で、大掛かりな照明や音響を使わないリーディング公演にすることで、逆に印象づけることも出来ると思います。リーディング公演は稽古期間も短いので、「業」にしている俳優でもギャラを抑えられます。
もう一つの道として考えられるのは、ユニットを旗揚げするのではなく、フリーランスの演出助手でスタートしたらどうかということです。演出と演出助手の職能は違いますが、俳優の信頼を得やすいポジションだと思います。有能な人は引く手あまたと聞いていますので、若手でも「業」にしている俳優たちの現場で仕事が出来て、そこで信頼されれば、自分がユニットを旗揚げするとき応援してくれるのではないでしょうか。最近はこうしたパターンの旗揚げも散見するようになりました。
演劇で食べていくための議論
カンパニーでもユニットでも、その団体自身がいつまでに「業」になれるかの議論は当然内部であると思います。それぞれの人生なので他人が決めることは出来ませんが、私が経験してきた範囲で言うと、「業」にしようと決める時期が早かった人は、それなりに「業」にしているように思えます。それは才能もありますが、自分で退路を断っていることが大きいのではないかと思います。
遊気舎の過去の資料を見返しながらこの記事を書いていますが、後藤氏が座長になって2年目は、公演しているだけで全員が楽しいと感じる気分と、けれども動員が伸びない現実が重なり、将来のことを考えて演劇で食べていけるのか、不透明なビジョンで揺れ動いていました。カンパニーなので不安は少なかったとはいえ、これはユニットの若い主宰が抱える悩みと同じだと思います。
ここでの転機になったのが、遊気舎の場合は東京公演でした。その後も様々な出来事がありましたが、3年の壁を越えられたのは東京公演をしたからだと思います。そのロールモデルになったのが、劇団☆新感線とダムタイプです。「カンパニーを進化させ集客へと導く具体的な方法/(7)人気の逆輸入――他者の評価で価値に気づかせる」に詳しく書きました。
団体として「業」を目指すのであれば、やはりタイミングを逃さないのは重要で、遊気舎の場合はここで一気に法人化まで進んで、退路を断つ道があったのだろうと思います。遊気舎は社会人の劇団員も多かったので、現在のように公益法人制度で一般社団法人がつくれたり、企業でも兼業が認められる時代なら、全く違っていたと思います。その後、阪神・淡路大震災が起きて劇団員の人生観も変わっていきましたが、少し遅かったと思います。いまの若手は東日本大震災とコロナ禍を経験し、さらに時間の大切さを求めているので、この辺の議論はむしろしやすいのではないでしょうか。3年目の壁を越えられたら、明確に「業」を目指したらいいのではないかと思います。
団体の数だけ道があるので、そのまま参考になるロールモデルは見つからなくても、局面ごとなら参考になるロールモデルは必ずあります。若手はそれをつなぎ合わせ、自分たちの道を探ってほしいと思います。
きちんと弱音を吐く
これは制作者向けに何度もつぶやいてきたことですが、主宰も自分が潰れないためには、「きちんと弱音を吐く」ことが重要です。逆に一人でがんばっていると、他者からは助けがなくても大丈夫なのだろうと思えてしまいます。
そもそも小規模な演劇は、「業」としての経費を全員に満額支払ったら、チケット代だけでは成立しない収支構造なのですから、若手が一人で悩んでいても解決するわけがありません。もちろん芸術ですから、誰もが「業」に出来るとは限りませんが、それを決めるのは観客であり、その裾野である若い主宰を支援しないと次の世代の公演が生まれません。公演がなければ、すでに「業」にしている俳優も困るはずです。新しい表現に接したい観客にとっても損失です。若い団体の創生期を乗り切る問題を、主宰だけの悩みにしない演劇界にしたいと思います。