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なぜ、演劇が人々にとって身近な表現にならないのか。作品というソフトの面は別にすると、劇場というハードの面から最も改善が望まれるのが、客席に使われているイスのクオリティ向上だろう。贅を尽くした公共ホールは別として、民間の小劇場はパイプイスがあれば恵まれているほうで、桟敷や階段席に薄い座布団だけが普通だし、中劇場クラスでもイスは驚くほど劣悪で、前後左右の間隔も狭く、非常に窮屈なことが少なくない。舞台に2時間前後集中することを考えると、他の集客施設に比べて著しく劣った環境と言えないだろうか。

斜陽だった映画産業が復興した大きな要因として、シネマコンプレックスの豪華な客席が貢献したことは誰もが認めるところだろう。京都・アトリエ劇研スタッフである田辺剛氏はシネコンに衝撃を受け、同劇場に初めてイスを導入して指定席を可能にした*1。観客のいない演劇は成立しない。そう考えると、舞台設備同様に劇場が投資しなければならないのは客席のイスだと思う。演劇が若い世代だけを対象にしているなら、桟敷だけの世界も趣があるだろう。しかし、いまや小劇場ブームを支えた観客が年齢を重ね、幅広い世代が小劇場を訪れるのが当たり前になった。野外公演など特殊な場合を除き、客席のイスは改善されるべきである。それこそが、目に見える形で観劇のハードルを下げることにつながると思う。

イスの導入・交換は決して安い投資ではない。固定座席はもちろん、スタッキングチェアでも品質を求めると驚くほど高い。劇場はイスがあれば事足りるわけではなく、サイズに合わせた階段床の改修や定員を減らさないための改築が必要だ。小劇場でも最低数百万の金額になるだろう。爪に火を灯すように運営している民間劇場に全額負担は困難で、そこで望まれるのが補助金である。本来なら、民間劇場は芸術文化振興を担う拠点として、その劇場収入や公演収入は課税対象からはずし、劇場部分に対する固定資産税も非課税にすべきである。東京・下北沢の本多劇場グループは年間6,000~7,000万円課税されているが*2、税金がなければイスの刷新は自己資金で可能なのだ。非課税措置は特定非営利活動法人でさえ難航しており、民間の営利法人への導入は時間がかかる*3。ならば、せめてイスの導入・交換を奨励する補助金を創設してほしいものだ。

作品自体や観劇行為に対する補助金は多数あるが、劇場というハードに対する補助金が存在しないのが、私には不思議でならない。補助金天国と言われる日本で、この視点の欠落はなんなのかと思う。芸術文化に対する民間劇場の貢献は、誰もが認めるところだろう。昨今は街の緑化や災害対策で個人邸の生垣設置奨励補助金が設けられたり、ハイブリッドカー購入で行政補助金や自動車取得税・自動車税の軽減措置がある。環境目的で私的財産に補助するのなら、公共性の高い民間劇場を補助出来ない理由はない。イスをよくすることは、文化の環境を改善することだ。

助成額は対象経費の2分の1では弱い。ぜひ3分の2にしていただきたい。すでに民間劇場がある都市部に公共ホールを新設する予算があるなら、その前に自治体はイス設置奨励補助金を創設すべきである。補助金とは、それを設けることでどんな波及効果が得られるかを考える想像力の問題だと私は思う。舞台芸術をソフト面から支えるなら稽古場の充実が最も近道であり、ハード面から支えるなら劇場のイスの改善である。前者は前回提言したステージコミッション創設がその具体例だ。

舞台芸術のために自治体はステージコミッションの創設を

補助金の創設は、短期的には家具メーカーに特需をもたらし、長期的には劇場が魅力的な場所になって、街のにぎわい創出へとつながるだろう。もし文化行政担当者が問題意識を持たないとしたら、こうした分野を主管とする経済産業省が国の補助金として創設してほしい。

  1. アトリエ劇研「GEKKEN NEWS」2004年6月号 []
  2. しんぶん赤旗2002年11月19日付 []
  3. 芸団協(社団法人日本芸能実演家団体協議会)は、2002年8月に発表した「劇場事業法(仮称)の提案―舞台芸術の振興のために『劇場』の基盤整備を―」で、「営利の経営体による劇場の場合も、劇場施設にかかる固定資産税等の減免措置が講じられる。また、劇場施設の維持・改善にかかる税制や金融措置が講じられる」ことを提言している。 []