この記事は2005年12月に掲載されたものです。
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舞台芸術のために自治体はステージコミッションの創設を
相変わらず全国で公共ホールの新設が続いているが、行政が舞台芸術に対してすべきことは劇場の整備ではない。むしろ劇場などいちばん最後でいいくらいで、都市部なら民間に任せておけばよい領域である。そこにわざわざ公共ホールを新設するのなら、民間では難しい自主事業中心の活動にしなければならない。世田谷パブリックシアター(東京都世田谷区)やAI・HALL(兵庫県伊丹市)は公共ホールの先進事例のように言われているが、あれは公共ホールとして当然のことをやっているだけで、あれくらいやって初めて都市部の公共ホールとして存在意義があるのだと私は思う。もし貸館中心の消極的運営しか出来ない公共ホールを新設するのなら、舞台芸術を育ててきた地域の民間劇場に対し、補助金や減税措置を講じるのが筋というものだろう。舞台芸術に本当に必要な支援はなんなのか、いまこそ文化行政担当者には広い視野が求められている。
行政がまず取り組むべきことはなにか。言うまでもなく、それは稽古場の提供だ。公共ホールを一つ新設するなら、同じ舞台面積を持つ稽古場が一つ、その前段階の稽古場が最低二つは必要だが(稽古場なしでどうやって創作するのか)、そうした思想のない自治体が少なくないのが不思議である。本来なら公共ホール自体の新築は見送って、その予算で公共稽古場施設をつくればよいと思う。これは都心部に増えている廃校に、耐震工事・防音工事を施せばいい。市民文化センターなど要らないから、その予算で30スタジオぐらいある稽古場センターをつくったほうが日本演劇史に確実に名を残すことになると思うが、そういう勇気のある首長はいないのだろうか。
「稽古場では住民に鑑賞の機会を与えられない」という意見が必ず出るだろうが、これにはいくらでも反論出来る。住民が舞台芸術を鑑賞するのは地元のホールとは限らない。平日なら勤務先・通学先の繁華街が圧倒的だろうし、休日も家族や友人とショッピングがてら繁華街に出ることが多いはずだ。ならば、その繁華街で上演される作品の稽古場を提供することは、結果的に地域から作品を発信していることになり、素晴らしい創造事業だと思う。すでに平田オリザ氏が芸術監督を務める「キラリ☆ふじみ」(埼玉県富士見市)が、若手カンパニーに稽古場を2週間単位で無償貸与している事例があるが、全国各地で上演される作品に稽古場を与え、チラシにクレジットやロゴを入れて名義共催にすることも可能だろう。自主事業としてプロデュース公演することを思えば、費用対効果でどちらが優れているか一目瞭然だと思う。
演劇の場合、稽古場に贅沢は求めていない。ベテランカンパニーでも劣悪な条件がめずらしくないし、若手に至っては稽古場が確保出来ずに、野外や大学に潜入して教室を拝借したりしている。はっきり言って雨風がしのげ、騒音や振動の苦情が出ないところならどこでもいいのである。鉄道の高架下を使っているカンパニーに「うるさくて稽古にならないのでは」と尋ねたところ、「大声を出せるので逆にいい」と言われたほどだ。もちろん快適なスタジオに越したことはないが、遊休施設になっている事務所や倉庫、ほかの用途では使えそうもない場所でも演劇の稽古なら大歓迎なのだ。そうした切実な思いを文化行政担当者は真摯に受け止めてほしいし、ヒアリングしてほしい。
廃校を活用した稽古場施設「にしすがも創造舎」(東京都豊島区)が盛況で、体育館は商業演劇の借り手が続いている状況を見ると、大都市の稽古場がいかに枯渇しているかがわかる。どんな自治体でも探せば遊休施設は必ずあるはずだ。主管部局やセキュリティ、特定の団体を優遇することの公平性などが障壁になるだろうが、〈悪平等〉が創造性を阻害してきたことは行政も気づいているはずなので、信念を持って取り組んでいただきたい。80年代に学生時代を送り、「オレが決裁権を持ったらここを変えてやるのに」という意欲に燃えていた世代が、そうしたポストに就くころだろう。いまこそ硬直化した行政を変えていただきたい。
遊休施設は行政だけでなく、民間にも無数に転がっている。街を歩いていてそんな場所を目にすると私はヨダレが出そうになるが、所有者不明の施設のオーナーを探し出し、得体の知れないカンパニーが出入りするのを認めてもらうのは一苦労だ。こうした物件はどうしても縁故での開拓に限られ、なかなか世の中に広まらない。あのベニサンピット(東京都江東区)も紅三専務の娘さんが松竹にいたから稽古場の必要性が伝わったわけで*1、彼女が他の業界で働いていたら存在しなかった可能性が高い。想像すると恐ろしい話で、民間の遊休施設と芸術団体の橋渡しをする仲介役が不可欠なのがわかる。その役割を行政が担えば、それこそ設備投資の必要がない素晴らしい事業になるだろう。
いま、映画やドラマのロケ場所を斡旋するフィルムコミッション(FC)が全国に増えているが、舞台芸術の稽古場を斡旋するステージコミッション(SC)のようなものを創設出来ないだろうか。FCは全国で83団体もあるが*2、舞台芸術の稽古場を斡旋するような組織は耳にしたことがない。大津市が「街中が楽しい宝箱計画」と名付けて場の情報をネット上で募集しているが、開店休業状態である*3。映像の撮影期間に相当するものが、舞台芸術では稽古期間になる。映像に便宜を図るのなら、それと全く同じ理由で舞台芸術にも便宜を図ってもらいたい。FCと同じく、本番時の所轄消防署(禁止行為の解除承認申請、催物の開催届出)や警察署(搬入・搬出時の道路使用許可申請書)への手続きもワンストップサービスで代行してもらえれば、言うことない。SCの業務全体を地域の芸術NPOに委託してもいいだろう。
FCの最大の目的は、ロケ地に使われることで観光に寄与することだが、舞台芸術ではそのような効果が得られないとの指摘があるかも知れない。確かに舞台芸術の動員数は映像とは比較にならず、舞台上に地域が再現されることも少ないだろう。だが、チラシやパンフレットに自治体名をクレジットし、舞台芸術発信の街であることをアピールすれば、必ず観客の心に刻まれるだろうし、携わるスタッフ・キャストもその恩恵を忘れないだろう。舞台から映画・テレビへの進出が一般的な現在、少し長い目でカンパニーを応援することは、将来得難い信頼感として帰ってくるはずだ。
こまばアゴラ劇場(東京都目黒区)がオープンする際、目黒区の係官が非常に見下した態度を取ったため、平田オリザ氏はいまだに恨みを著書で綴り、「おそらく一生忘れないだろう」と語っている*4。もし目黒区が民間劇場の誕生を喜び、当初から支援の態度を取っていたら、いまごろ著書には「目黒区に捧げる」と書かれていたかも知れない。相手が有名になってから持ち上げるのは誰でも出来る。重要なのは未知の才能を尊び、創造の環境を整えてやることだ。そうした「ムダになるかも知れないけれど、誰かがやるべき投資」こそ、本来は行政がやるべきことだ。科学技術の基礎的研究に国家予算が投入されるように、自治体は地域を活気づけてくれる人材に投資すべきなのだ。
演劇に必要なのは劇場ではなく稽古場だ。それも雨風がしのげ、身体が動かせて、声を出せればそれでよい。そんな場所は無数にあるはずだが、演劇ファンでもないオーナーが、見ず知らずの若者たちに場所を貸すのはなかなか難しい。SCがその仲介役になり、それが発展して空き倉庫や廃工場でそのまま公演したり、大道具を地元工場に発注したりするようになれば素晴らしい。シャッターが目立つ寂れた商店街の再生にも使えるアクションプランだろう。コンサルタント会社など使わなくても、少し演劇の知識があって、舞台芸術が総合芸術であることの理解があれば、演劇を中心にした街づくりは誰にでも出来ると私は思う。日本中の自治体がSCを創設してほしい。
- 朝日新聞東京本社版2005年1月13日付朝刊(東京版) [↩]
- 2005年11月現在の全国フィルム・コミッション連絡協議会加盟数 [↩]
- 大津市ホームページ「街中が楽しい宝箱計画」参照 [↩]
- 平田オリザ著『地図を創る旅』pp.49~50(白水社、2004年) [↩]