この記事は2014年9月に掲載されたものです。
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カンパニーを進化させ集客へと導く具体的な方法/(8)作品には出来・不出来があることを自覚し、潮目を読んで勝負する
●分割掲載です。初めての方は(1)から順にご覧ください。
傑作が3本続くことはまずない
ライブの舞台を送り届けることが身上の演劇にとって、どんな公演をいつ打つかの判断は、制作者に求められる最も重要な能力の一つだと思います。そのためにはカンパニー内で長期スケジュールを共有し、2年先までの公演時期・劇場規模・日数を決めることだと「(5)長期スケジュールを共有する」で書きましたが、公演計画を立てる際に制作者が自覚しなければならないのは、作品には必ず出来・不出来があるということです。
一般的にアーティストはプライドが高く、作品の不出来を認めない傾向があります。演劇の場合、稽古終盤になると作品の完成度は関係者全員意識しているはずですが、事前に認めてしまうとモチベーションが下がり、スポーツで例えるなら消化試合のような雰囲気になってしまいます。このため、誰も口にはしません。俳優も、たとえ戯曲に魅力がなくても、自分が演じることで完成度を高められると信じていますので、カンパニー内で作品を評価すること自体が少ないと思います。
小劇場系カンパニーは主宰者が戯曲と演出を務め、その作品世界に惚れ込んだ俳優が集うことで成立しています。このため、作品の内部批判は通常あり得ないことですが、観客の立場で客観的に見ればわかるとおり、どんなに優れた劇作家・演出家であっても、作品の出来・不出来には必ず波があり、毎回が傑作ということはありません。人間ですから傑作が続く時期もあれば、スランプに陥ることもあります。どんなに高名なアーティストでも、これは同じでしょう。ベテランなら、不調でも一定の水準にまで作品を引き上げてくると思いますが、それと観客が待望している傑作は違います。
カンパニー付き制作者に重要な資質は、この作品の波を見極め、その潮目を読むことです。どんなカンパニーも傑作が3本続くことはまずありません。逆に、自分のカンパニーが毎回傑作だと思っている制作者がいたら、感情移入をしすぎている可能性があります。アーティストがプライドを保つために虚勢を張るのは構いませんが、制作者はもっと客観的に評価すべきです。
自分たちの作品が小劇場演劇のマーケットでどんなポジションにあるのか、それは一般の観客が料金を払って観たいと思うものなのか、冷静に分析しましょう。その結果、カンパニーが類例を見ないユニークな存在であり、作品のクオリティも上向いていると判断したなら、タイミングを逃さす行動しましょう。具体的には、長期スケジュールで動員の拡大を予測し、それにふさわしい劇場確保をするのです。
作品を客観的に評価する能力は、宣伝にも不可欠です。身内だけが傑作と思っていても、醒めた観客との距離は開くばかりです。新境地が感じられない場合は「マンネリ」を「ウェルメイド」と言い換え、作品の見どころを的確に伝えましょう。
好調を見極め、劇場のキャパシティを広げる
観客動員が伸びないカンパニーを見ていると、数公演先を見越した劇場確保が出来ていないケースが散見されます。観客の増え方は公演回数に正比例するわけではありません。停滞していた動員が、タイムリーな傑作をきっかけに広がりを見せ、短期間に大きく伸びるのです。
旗揚げ公演の動員が300名だったとしましょう。公演ごとに100名ずつ増えると予測したのが青線です。しかし、実際の動員は正比例ではなく、傑作をブレイクスルーにして増えるものです。このグラフでは第4回で上向いていることから、第3回の出来がよかったことが読み取れます。第3回自体は知名度やキャパシティが足りずに横ばいですが、そこから広がったレビューやクチコミで、第4回、第5回の動員が広がっていったのです。
公演が年2回ペースだとすると、第4回の劇場契約は1年前の第2回ごろ、第5回は第3回ごろです。まだ動員が増えない時期に、カンパニーの好調を察知し、今後の動員を見越した劇場確保が出来るかということです。誰にでも出来ることではありませんが、カンパニーと絶えず行動を共にし、その調子を熟知している制作者なら、この能力をぜひ身に着けてほしいと思います。
もちろん、これで観客が入らなければ大赤字となり、カンパニーの存続にも影響するでしょう。しかし、石橋を叩いて渡っているだけでは、動員は永遠に増えません。短い公演を続け、芸術面の旬を過ぎてしまったカンパニーを、皆さんもいくつも思い浮かべることが出来るのではないでしょうか。演劇には、興行面でも冒険をしなければならないときがあるのです。
動員350名のカンパニーは、次の目標を500名に置きがちですが、第3回の時点で第5回の劇場を500名強のキャパシティにしていたら、1,000名見込めた観客の半分近くを取りこぼすことになります。潜在的な需要は数字として見えにくいため、その喪失はカンパニーに痛みとなって伝わりませんが、ここで飛躍の芽を摘んでしまっているのです。
観客増員は不確実なものですから、リスクヘッジも必要です。出来がよかったのは第3回、それを受けて客層に広がりが見えるのが第4回、勝負をかけてキャパシティを広げるのは第5回だとしたら、傑作が3本続く必要があります。しかし「傑作が3本続くことはまずない」のですから、第5回は第3回を再演すべきだと私は考えます。
公演間隔が短いと思われるかも知れませんが、第3回は350名しか観ていない作品です。1年後の再演でもデメリットにはなりません。むしろ演劇フリークたちの記憶が残っているうちに大々的に再演を周知し、「よかったので他人に薦めたい」と思わせるほうが動員に貢献します。あるいは第1回の出来もよかったのなら、〈幻の旗揚げ公演〉として再演する手もあるでしょう。
「代表作は次回作」と言うアーティストがいますが、これは自分自身を鼓舞するための発言であり、実際に次回作が傑作である保証はどこにもありません。制作者は劇場確保でギャンブルをしても、作品選定ではギャンブルすべきではありません。「傑作が3本続くことはまずない」と考え、第5回は制作者自身の目で確かめた再演にすべきです。
小劇場界では再演より新作が好まれます。けれど、どうしても勝負しなければならない公演では、自信のあるレパートリーの再演が鉄則です。再演なら宣材は揃っていますし、初演の反省点を元にクオリティを上げることが出来ます。動員力のある客演を呼ぶ場合も、初演の台本やビデオがあるからこそ、交渉がスムーズに進みます。新しい劇場を使う場合も、スタッフワークの面から手慣れた再演のほうが安心です。
初めての旅公演先でも同じことが言えます。初めてのツアー先で平凡な新作を上演してしまい、印象に残らなかったらどうするのでしょう。買取公演で金銭的リスクがない場合でも、観客の心象は同じです。制作者が優秀かどうかは、旅公演時の作品選択を見ればよくわかると思います。
カンパニーのブレイクスルーに合わせ、2年で動員を倍増
「(5)長期スケジュールを共有する」で書いたとおり、遊気舎は東京での動員が906名だった1995年夏に、97年8月の本多劇場、97年12月の紀伊國屋ホールとの交渉を開始し、今後2年間に動員を2.5倍の2,500名程度にしなければならない状況になりました。現状から考えると無謀な数字に思えますが、中劇場は1週間単位でしか貸りられないため、ステージ数を抑えてもこくれくらい必要でした。
95年当時、遊気舎では座長だった後藤ひろひと氏が退団して座付作家になる意向を表明しており、カンパニーの求心力を維持するためにも中劇場進出という明確な目標を掲げる必要がありました。こうした内部事情もあり、私は95年から97年にかけての長期スケジュールを描いていました。
これは遊気舎東京公演の動員数です。中劇場進出を決断したのは95年夏の伸び悩んでいた時期ですが、96年から角度が上向き、延長すると97年12月に2,500名に到達します。中劇場進出は単なる憧れではなく、後藤作品の完成度が増していたのを実感していた私にとって、2年後の動員を見越したリアルな数字だったのです。
95年1月には阪神・淡路大震災を体験し、劇団員全員が演劇を続ける意味を共有しました。芸術面でも数年前から手応えのある作品が次々と生まれ、私には96年が遊気舎のブレイクスルーの年になる予感がありました。そこで96年1月~2月に企画したのが、遊気舎初のプロデュース公演でした。90年代のプロデュース公演は、選ばれた俳優だけが出演する特別な場だったため、若手俳優を多数抱えていた遊気舎ではタブーでしたが、私がプロデューサーとして敢えて企画することで転機にしたのです。
外部からの大物客演とカンパニー内の実力派俳優だけで座組したプロデュース公演の効果は絶大でした。遅筆だった後藤氏が稽古開始前に戯曲をほぼ完成させ、舞台美術や宣伝のクオリティが格段に増しました。作品内容も新境地と言えるもので、ベテラン俳優が揃った稽古場は刺激的な空間となり、出演出来ない若手俳優たちへのショック療法になりました。当時インターネット上のレビューで最もアクセス数の多かった「えんげきのぺーじ」で、東京公演は96年2月のベストワンになりました。
このプロデュース公演はプロデューサーとして金銭的リスクを背負ったため、ステージ数の制約で動員数を大幅に増やすことは出来ませんでしたが、クチコミで公演後半に当日客が急増し、今後の動員拡大への自信につながりました。よい作品を提供すれば、観客が足を運んでくれるポジションにいるという確信です。東京公演は1,159名となり、東京で初めて1,000名を突破しました。
続く96年4月~5月の本公演は、プロデュース公演で出番のなかった若手俳優たちが奮起し、後藤氏も冴えに冴え、後年パルコプロデュースとして上演される『ダブリンの鐘突きカビ人間』*1 が生まれました。私はこれが遊気舎の最高傑作だと思いますが、この時期に生まれたのは偶然ではなく、カンパニーの一連の動きが生み出した必然だったと感じます。東京公演は1,393名でした。
これでグラフの延長線上に動員2,500名が見えてきました。カンパニーの潮目を読み、その魅力が最大限に発揮される作品の誕生を予測し、タイミングに合わせて最適な場を用意する――興行面でカンパニーを育てるとは、そういうことではないでしょうか。
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- パルコプロデュースの表記は『ダブリンの鐘つきカビ人間』。 [↩]