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チラシ

宣伝美術/尚

京都の電視游戲科学舘が、劇場のART COMPLEX 1928と共催で、2002年2月7日~2月27日にかけて21日間26ステージのロングランを行ないました。関西の小劇場系カンパニーでこれだけの公演日程を組むのは非常に稀で、演劇制作で最も重要な観劇機会の創出に真正面から取り組んだ事例と言えます。

関西では有名カンパニーでも週末数ステージだけの公演という状況で、若手カンパニーがロングランに挑んだことは、それだけでも特筆されます。その実力を早期に見極め、共催という形で企画を実現させた劇場のプロデュース能力も高く評価されるべきでしょう。

関西の小劇場界にいちばん不足していたものを、鮮やかに克服してくれた電視游戲科学舘。その舞台裏を知るべく、fringeはメールでの特別インタビューを実施しました。ロングランなど自分たちには縁がないと考えている制作者に、ぜひ読んでいただきたい内容です。

※今回のインタビューは項目によってART COMPLEX 1928から回答が寄せられています。回答者は末尾に()で明記しました。


タイムテーブル

――まず電視游戲科学舘自体の方向性についてお尋ねします。小劇場界ではめずらしい舞台美術を駆使したスペクタクル演劇ですが、芸術学部のある京都精華大学出身ということで、旗揚げ当初からそうした造形美術を表現したい方々が集まったのでしょうか。

電視游戲科学舘は、京都精華大学演劇部「劇的集団忘却曲線」のメンバーを中心に結成されました。忘却曲線の中には芸術学部の学生も多く、劇団員の中に造形美術にこだわりのあるメンバーが多かったのは確かです。(電視游戲科学舘)

――これだけ凝った舞台美術になると、戯曲との融合性や各パートのスタッフとの調整作業も大変ではないかと思います。制作サイドでは、どのような姿勢で臨まれているのでしょうか。

作品の作り方として、はじめに演出プランがあり、その後に脚本が書かれます。演出プランの段階から、各パートと打ち合わせを重ねることが出来ますので、制作サイドが特に調整で苦労すると云うことはあまりありません。(電視游戲科学舘)

舞台写真

撮影/広上健 (C)Takeshi Hirogami

――稽古場の環境について教えてください。装置による転換が多いので、それがないと稽古にならないシーンもあると思いますが、稽古場では早期からダミーの装置を組んだりするのでしょうか。

そういった環境で稽古が出来るのが理想だと思います。ただ、現実の練習環境は厳しいものがありますので、なかなかダミーの装置を組むまでにはいたりません。京都には劇団も多くありますが、絶対的に稽古場は不足しています。その中で装置を組んで稽古が出来る環境というのはほとんどありません。(電視游戲科学舘)

――今回、関西の小劇場界ではめずらしい3週間ロングランを敢行されたわけですが、この企画はどのような経緯で実現したのでしょうか。劇場との共催ということで、劇場主導で企画が進んだのでしょうか。

今回の企画は劇場サイドから持ちかけたものです。ロングランの意義と可能性に関しては、かなり以前から考えを巡らせていましたが、なかなかロングラン公演に耐え得ると思える劇団が見つからなかったところ、電視游戯科学舘の存在を知り、これならいけるかも知れないと、決断しました。(ART COMPLEX 1928)

――今回の観客動員数はいかがでしたか。キャパ80名とのことですが、最も少なかった回と多かった回は何名でしたか。具体的に何日の何時かも教えていただけると、興行分析の参考になります。

総動員数は、1,657名でした。
一番少ない回は、初日2月7日の14名。多かった回は2月25日の105名でした。
中日を越えた辺りから当日に来られたお客様にご入場していただけないことが多くなり、結局客席を作り直すことになりました。また、2回公演のある日はソワレよりマチネに来られるお客様の方が多く、それが印象的でした。(電視游戲科学舘)

――本番3週間に加えて、仕込み・リハーサルに10日間を費やしたとのことですが、劇場費がどのように処理されているか、たいへん興味があります。差し障りのない範囲で教えてください。

1,500名の動員を目標にして、そのチケット収入内で予算組みをしました。赤字も収益も劇場と劇団で折半するという共催条件で折り合いをつけました。劇場主催という形をとったのは、劇場が持ちかけた企画である事と情宣活動にあたって劇場間のバーターやマスコミに対して有効であると判断した事にあります。(ART COMPLEX 1928)

舞台写真

撮影/広上健 (C)Takeshi Hirogami

――今回は動員が目標を上回る結果となりました。ということは、最終的に黒字ということでしょうか。また、予算がかなり抑えられている印象を受けますが、ギャランティが発生する客演や外部スタッフはほとんどいないということでしょうか。

当初の予定として、1,500人の動員予想が安全的なラインだろうと考え、予算を組みました。ただ、とてもその範囲での支出で抑えることは演出プラン的に無理だろうとも思いましたので、ここは勝負をかけるべきと判断し(本来は良くないことなのでしょうが)、赤字決算になる前提で予算を組みました。また、おそらく劇場サイドも必要経費から考えると赤字を前提の上で、予算を組まれていたと思います。ですので、観客動員は目標を上回りましたが、赤字が若干減少したというところでしょうか。また、客演や外部スタッフに関しては、この公演の心意気に共感していただき、ギャランティも最低限の金額で引き受けていただけました。その点は大変ありがたかったです。(電視游戲科学舘)

――『ノスフェラトゥ』は第1回公演の改定再演ですが、こうした冒険的な企画の場合、熟知した再演作品を持ってくるのは妥当だと思います。こうした決定は制作サイドで行なったのでしょうか。

脚本・演出担当者と制作サイドで相談して決めました。ただ、熟知した作品ということではなく、遅筆な為、新作は無理だろうという判断でした。また、『ノスフェラトゥ』は改めて上演したい作品の一つでしたので、それを選ぶことにしました。ただ、再演とはなっていますが、ほぼ全面的に改定しましたので、結局は新作を上演したのと変わらなくなってしまい、新作とした方が制作的には良かったのではないかと思っています。(電視游戲科学舘)

――カンパニーにとっても3週間ロングランは未曾有の経験だったと思いますが、決定までにどのような議論があり、なにが問題になりましたか。

決定までの経緯は拍子抜けするぐらい順調でした。本決定の随分前から、そういう話が主催のART COMPLEX 1928から出ていることを団員に言っていたことで、心構えが出来ていた様です。きちんとしたホールでゆったりとした日程で仕込みが出来るのなら、喜んでやるという感じでした。また、それまでにも、1週間程度の公演を行っておりましたので、それよりもちょっと長いかなと云うくらいの意識だったのかもしれません。(電視游戲科学舘)

――スタッフ・キャストの皆さんは生活のために別の職業をお持ちの方が多いのではないかと思いますが、3週間ロングランでその兼ね合いはいかがでしたか。

夕方以降にバイトをしている者は無理が生じてきますので、この公演が決まった2001年6月頃から、朝から夕方までの時間帯へのバイトに替えてもらいました。ただ、客演やスタッフをお願いした方に、そういった理由で断られることはありました。(電視游戲科学舘)

舞台写真

撮影/広上健 (C)Takeshi Hirogami

――劇団員の中にフルタイムのサラリーマンはいらっしゃらないのでしょうか。全員がアルバイトまたは学生なのですか。

出演者や、オペレーター等に関してはほとんどがアルバイトで生計を立てているか、スタッフの仕事を専門にしている者、あるいは学生でしたので大変助かりました。中にはフルタイムの仕事に就いているものもおりますが、なんとか本番の時間には間に合うように都合をつけてもらいました。
また、当カンパニーには制作専門のスタッフが3名おりますが、全員がフルタイムの仕事に就いており、なかなか仕事を休めない状況の者もおりましたので、サポートスタッフの方や、毎公演お手伝いいただいている方の積極的な協力によりなんとか運営できました。(電視游戲科学舘)

――公演日程の組み方ですが、休演日の設定が少なめで、曜日もイレギュラーになっています。この意図について教えてください。

初日の後すぐに3連休があったのでその翌日と、残りの日程の中日を休演日にしました。曜日がイレギュラーなのは同じ曜日にすると来られない人も出てくるのではという判断からです。(電視游戲科学舘)

(この項続く)

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