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Producers meet Producers 2006 地域の制作者のための創造啓発ツアー

●分割掲載です。初めての方は概要から順にご覧ください。

PmP2006参加者リポート
「宮崎・東京2拠点制で旋風を巻き起こし、
地域を結んだプロデュース公演を展開した戦略を取材」

ゲスト:倉迫康史氏
Ort-d.d主宰
セッション概要


PmP2006レポート 北村功治

北村功治
飛ぶ劇場北中
報告日:2006/06/18

早いものでPmP2006が終わって2週間が過ぎようとしています。北九州に帰ってからの数日間は、東京で朝まで皆と話したときのハイな感覚と、なんだか気が抜けたようなフワフワした感覚が交互に訪れていました。今は、あの時あの場所で感じたこと、得たことを徐々に噛み砕き、消化できる状態へと変換している状態です。

私が制作者として何を考え、何を行いたいのか? PmP2006が自分自身を見つめる最良の機会となりました。このレポートを完成させることによってもう一度、自分を再確認することが出来ることでしょう。そして、他のPmP参加者のレポートに目を通し、お互いが考え、刺激を受けることが出来るならば、この上ない幸せだと思います。

【セッション3 倉迫康史】を担当して

緊張と西巣鴨創造舎の蒸し暑さの所為で、汗ダラダラでした(私が汗っかきなのは否めませんが)。最初に私達にセッションを振った荻野さんを呪いましたが、いざ終わったら、あとは美味しいビールが飲めたのでそれはそれでよかったです。

北九州での最初の打ち合わせで、もう一人の北九州チーム、市原君(のこされ劇場≡)と「倉迫氏に何を訊きたい?」といった内容を話し合いました。今の時代、インターネットを使えばかなりの情報が引き出せます。倉迫氏の情報も同様にある程度のことは、事前に下調べができます。そのようなことは分かった上で私と市原君はシンプルに「倉迫氏ってどんな人だろうね」「倉迫氏は何をしたいのだろうか?」という、「倉迫康史」という人に興味を持ちました。この2点は、倉迫氏の口から情報として公表されていない部分に、核心が潜んでいると思いました。私達の作業は、どのように倉迫氏の口から訊き出すかに懸かっています。

ろくすっぽ下調べもせずに「今の自分」と「これからの自分」を前日まで酔っ払いながら、北村・市原が激論を交わしていたのは(激論はウソかも)そのためなのです。PmP参加者のみなさん、前日に酔っ払いメールを送ってごめんなさい。

倉迫氏とのセッションを通して一番感じたことは、「自分の立ち位置を把握し、その上で何がしたいか、何が出来るかを当たり前のように考えること」ということでした。倉迫氏は「やりたことがあったら寝る時間を削ればいい」と当たり前のようにいっていました。この言葉と同じ言葉を以前、劇団員に言って受け入れてもらえなかった経験があります。しかしこの時、倉迫氏のこの言葉を聴いていた参加者は深く頷いていました。何が違うのでしょうか? 勿論、私の言い方やその場の状況もあるとは思いますが、正しく「自分の立ち位置を把握し、その上で何がしたいか、何が出来るかを当たり前のように考えること」に尽きるのだと思います。その点、PmPの参加者は能動的に受け入れ態勢が整っているのです。当たり前ですよね、それぞれの地域から、それぞれの想いがあって参加しているのですから。

もう一点、倉迫氏とのセッションで心に残っていることは、「自分(達)のヴィジョンを第三者に知ってもらい、賛同を得る作業を怠らない」ということです。舞台芸術を多くの人に知ってもらうためには(そういった活動を念頭においてない方は除外します)自分達の力では限度があります。しかし、活動規模を大きくするには、作品のクオリティーを上げるにはどうすればいいのか? 「ヴィジョンを実現するためのヴィジョン」が重要なのではないでしょうか? これを劇団(カンパニー)に周知させることの重要性を思い知らされました。この作業は、私達制作者(プロデューサー)に懸かっています。なんだか大変な作業ですけど私はワクワクします、やり甲斐があります。

【PmP2006を終えて】

プロデュース
チケット管理
マネージメント
ケータリング
スケジューリング
情宣
渉外
各種書類作成
……

事務作業から金銭管理、プロデュースと一口に制作業務といっても多種多様な仕事があります。そして、制作者一人一人に思惑があり関わり方があります。私達は何故、舞台芸術を選び、何故、制作を選んだのか? 俳優として1つの劇団に11年間関わり、現在、制作者として舞台芸術に関わっている私は、あらためて、俳優はいいなぁと感じることがあります。

それは、

「終演を迎えた俳優はダイレクトに拍手をもらえる」

ということです。

  • 演出と衝突した、
  • 仕事と稽古の折り合いがつかなかった、
  • 「芝居と私(俺)とどっちが大事」とバカな彼女(彼)に迫られた、
  • 俳優同士で演技の上で揉めた、
  • 裏方のスタッフワークに不満を感じた、

いろんな不満や障壁も、お客様の拍手をいただいた時に役者はすべてが報われます(経験上、それでも駄目なときは末期です)。
扉1枚を隔てて、私達制作者は公演の成功を願い、自分達の仕事を全うしています。
私達は「制作」の仕事に誇りを感じ「制作者」として舞台に携わります。
舞台芸術は総合芸術であり、すべてのセクションの仕事によって舞台は作り上げられるのです。
俳優にはこう言いたい「その拍手が、この公演に携わった全ての人に届くものにしよう」と。
私達は公演の成功こそが1番の歓びなのだから。

「俳優」を経験した「制作者」として劇場のリアルな熱を感じれる人間になりたいとPmP2006を通じて強く感じました。
「制作者」=「プロデューサー」として。


北九州:市原幹也(のこされ劇場≡)からPmP2006報告。

市原幹也
のこされ劇場≡
報告日:2006/06/17

市原幹也(北九州)から、PmP2006リポートです。
2003年より、のこされ劇場≡という演劇ユニットを主宰し、演出を担当しています。
その他、北九州芸術劇場が主催するアウトリーチ公演の演出や、小学生向けのワークショップ講師などとして活動しています。

そんな、日々の活動のなか。
ぼくは、自分を、制作者だとしっかりと自覚していませんでした。
そこを出発点に、6月2日からの3日間のなかで、今までとこれからの自分を、再確認していきました。
人と想いとが、出会い続け、繋がり続けたPmP2006。
ここでは、当日、ぼくらがなにをしていたのか。
という報告よりも。
PmP2006に参加したぼくらが、そのとき、なにを感じていたのか。
を、私という地域の一演劇人の想いを介してご紹介できたら、と思います。

担当したセッションを軸に、自分の感じたことを展開させていただきます。

担当したセッションは、倉迫康史氏(Ort-d.d)へのインタビュー。
同じく担当の北村氏と、お互いが喋りやすい、和やかな雰囲気での進行をこころがけた。
そこから、つるっと出てしまう倉迫氏の「核」に触れたかった。
彼を、動かすそれは、どんなだろう。

話していくうちに、「核」にあるひとつの側面を感じる。
彼は、人と人とを会わせるのが本当に好きなんだな、ということ。
作品と人、地域と地域などを次々と繋げていく彼の行動の出発点。
莫大な時間と労力を費やしていく苦労の中の、たのしみ。
それは、驚くべき単純、かつ説得力のあるものだった。
そこに集まった全員が共感し、またすぐに共有できるものだった。

そうして集まったぼくらもまた、誰かによって会わされたぼくらであったし。
ツアー初日に、この感覚を無言のまま一発で共有できたことは、自分たちの出会いをより一層意味のあるものにしたと思う。

さて、彼の「核」の側面だと感じたもうひとつ。
それは、演劇にとどまらない大きなヴィジョンだ。
人と人を繋ぐだけでは、その熱や影響は外に広がらない。
小さな出会いは、大きなヴィジョンを実現化するために用意するのだろう。
演劇という場で、試行錯誤しながらも、その先に見据えているもっと大きな場。
それは社会であり、あるいは政治であるような気がしてならない。
決して、イデオロギーやプロパガンダのための演劇でない。
演劇を「場」として、もっと大きな「場」を解析し突破しようと試みている姿勢を強く感じたのだった。

その試みは、難しくない、とぼくは思うし、強く共感できた。
なぜ、演劇か。の理由が、ぼくもそこにある。

家族などの原始的なエスニシティをはじめ、それらの共同体とも言える国家。
さらにそこに生まれ、意識や理想を媒体として分化する政治組織など。
人間は、無意識のそれも含め、常に複数の「場」に属している。
しかし、所属するそれぞれの「場」において、個や共同体が直面している多種多様で数々の問題は、今の社会や政治に組み込まれているシステムで突破できるだろうか、という疑惑が、ぼくにはあった。
そこにおいて、先陣をきってゆく彼の姿勢には強く勇気づけられた。
そして、この日。
大勢の地域の制作者と一緒に、それ感じることができたのは、制作者としての自身の新しい出発を予感させた。

おわりに、セッション後、現在感じていることを。

演劇や劇場が持つ機能の中には、作り手さえもまだ知らない可能性があると思う。
ぼくは、自身の活動のなか、作品や芸術に含まれるそれを、ただ信じていた。
しかし、それだけではない。
演劇の持っている可能性は、「繋がる」ことで、何倍にも膨れ上がる。
そこには、なにをどう繋げるかが重要になってくるのだが。
そこを担っているのが、制作者ではないかと思う。

予算を上手に立てることができたり、チケットをしっかり管理できたり。
出演者やスタッフに素晴らしいタイミングでお弁当を渡せたり、おいしいコーヒーを入れることができたり。
それが、制作者の目標ではない。
ぼくらには、もっと誇りを持って掲げなければならない目標がある。

ぼくにとってのその目標とは何か。
そのためには、何が必要なのか。
もっと制作者としてのアタマを養って、自身の活動をクリアに打ち出したい。
自身の作品を打ち出すために、制作者としての自分ができることはもっとある。

さらに、PmP2006を経由して、今、考える。

演劇という「場」を形成しているのは、最小単位は、人間。
それならば、その場でぼくらは人間の可能性たちを、力一杯ぶつけあっていかなければならない。
その出発点は、やはり、出会いだ。
ぼくらに与えられたPmP2006という場は、出会いの連続によって成り立っていた。
そこから、各地域の制作者同士で、お互いの感じていることをぶつけ合うことができた。
しかし、時間が足りなかった。
だから、行程を逸脱して、朝5時まで寝ずに喋っていた。
彼らの熱意やまっすぐな眼差し、時々混じるあくび。
次の日に残る疲労感、そこに押し寄せるセッションの数々と、多くの刺激。
この出会いの連続の日々が、いつかさらなる出会いと大きな場を生むと信じる。

各地域へ散り散りになったあの日から、ぼくらはすでに動き出している。


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