この記事は2003年7月に掲載されたものです。
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京 チラシアートワーク指南/第4回校正!校正!校正!(1)
●分割掲載です。初めての方は「はじめに」から順にご覧ください。
誤植を見つけたときは
本当に首を吊りたくなります
――今回は校正という、地味ですが非常に重要なことを伺いたいと思います。京さんは誤植のご経験や見聞された実例はありますか。
あります、あります。人は間違うものなので。これだけチラシをつくっていると「やっちゃった」というケースは何度かあって、カンパニーの方には申し訳ないんですが、1万6千部刷って開演時間を間違え、スタンプで修正した例もあります。
――それは単純ミスが原因でしょうか。
そのときは、私が情報をいただいた時点で間違っていました。元原稿の間違いです。カンパニー側は「企画書段階では合っていたものが、チラシのための情報としてまとめ直したときに間違った」と説明していました。平日の初日にマチネがあるのはおかしいので、冷静に見れば私も気づいたはずなんです。
もっと大きな間違いが「夏のサミット2001」で、誤植が2か所あったんです。1か所は開演時間、もう1か所は出演者の名前です。これは6万部刷ったあとに発覚しました。主催者サイドと相談して、最初は開演時間の部分にシールを貼って対応しようとしたんですが、この作業が予想以上に大変で、結局断念して手書き修正しました。シールはレーザープリンタで印刷したのですが、台紙部分まで裁断してしまったので、とてもはがしづらかったんです。開演時間だけだと小さすぎるので、周囲の文字も含めて一回り大きくシールをつくったんですが、それでもはがしにくくて……。手書き修正には本当にたくさんのアゴラ関係者に協力してもらいました。ディレクターが刷り色に近い色のペンを探してくれたのがうれしかった……。
もう一つの名前のほうはご本人にお詫びして、修正しなくてもいいというご本人の了承をいただいて、そのままにさせていただきました。
――こちらの原因も元原稿のミスですか。
開演時間は、その団体が途中で時間を変えたんです。それなのに変更の指示が入らないまま刷ってしまいました。主催者側から、最初に提出した開演時間のとおり公演してもらうように交渉もしたのですが、受け入れられませんでした。役者の名前は最後の段階で決まり、遅れて入稿されたものを口頭でやりとりしたんです。それで私が打ち間違えました。
――開演時間の誤植は取り返しがつきませんからね。発見したときは悔しかったでしょう。
もう、歯ぎしりです。予算と時間が許せば刷り直したいです。私がやってしまったケースはひたすら「ごめんなさい」で、自分に余裕があれば刷り直したいのが山々なんですけれど、そうもいかなくて……。私自身が原因でない場合はまた特に悔しい。刷り上がってしまった以上、誰を責めても仕方ないし。本当に首を吊りたくなります。
情報を統一して把握する
人間がいないと絶対危険
――東京で数十枚のチラシ束をもらってよく見ると、どこかで必ず誤植があるんですね。ひどいときは何枚も修正が入っているときがあります。特に公演データの間違いは深刻なんですが、いままでのご経験でこういうときに起きやすい、危ないというのはありますか。
デジタルデータの使い回しがいちばん危険ですね。これはデザイナー側の話なんですが、同じカンパニーが同じ劇場で公演を打つとき、以前のチラシのデータを引っ張ってきて、それをベースに直すことがあります。細かいところまで確認もしないで前のデータを使うのは事故の元です。特に地図。銀行が統合されたり、ランドマークが変わることがあるので、同じ劇場だからといってそのまま使うのは危険です。
公演データを軽く考えていると落とし穴があります。テキスト情報をいただいた時点で、日程や曜日表記のカッコ、値段表記の\マークがバラバラだったりすると、この制作者は推敲していないというのがわかるので、「もう一回見直してください」「表記を揃えて出し直してください」と言って、手をつける前に戻します。例えば、スタッフ表記で私の名前が「京」ではなく「高橋京子」になっていると、ほかのスタッフにも確認を取っていないんだな、ということがわかってしまうので。スタッフの所属先が一つも書いていない、協力や協賛の順序に規則性が見出せないのも変です。そういうレベルから私が直すと大変な作業になるので、スケジュールの許す限り原稿を戻して見直してもらいます。
――元原稿の明らかな間違い以外に、意思の疎通がうまくいかなくて誤解が生じたり、意図しない載せ方になる場合もありますか。
コミュニケーションというより、やりとりの順序の問題だと思います。例えば、公演情報は制作者、役者名やキャッチコピーは主宰者というように、複数の人がバラバラに私にメールを送ってくるのはトラブルの元です。カンパニーに情報すべてを把握する人間がいないという状態は絶対危険。そういう体制が原因で統一感が取れていない、矛盾が発生するということがよくあります。
――そうした情報の整理は、当然制作者の役割だと思います。そういえば、公演日程のタイムテーブルに月がなく、日しか書いていないものがありました。公演期間として別に書かれているとは思いますが、掲載場所が乖離しているために、タイムテーブルだけを見ると何月の公演かわからない状態でした。これなど文字原稿とデザインの連携の悪さかなと思います。祝日なのに、曜日の表記に「(祝)」が入っていないチラシも多いですね。
文字原稿とデザインの連携は重要ですね。例えば、役者名を並べるときの改行位置とか。
3人並べて、改行して次の行に4人入れるようなデータをもらったとします。けれどそれだけでは、なんのためにそうしているかデザイナーには意味不明です。注意書きとして「客演を1行目、所属俳優を2行目にしてください」と書いてもらえればわかるんですけど、それがないとデザイン上1行にまとめてしまうかも知れない。
――それはとても重要なことですね。物事にはすべて「なぜそうしているか」という目的があります。ところが演劇制作の現場では、目的を説明せずに方法だけを伝えることが多いので、全く進歩がありません。演劇人全員がこの言葉の意味を本当に理解すれば、fringeというサイトは不要なくらいです。
ひとこと説明が欲しいです。「1行目の3人は、2行目よりフォントを大きくしてください」「1行目の3人は紹介の優先順位を上げています」のように。誤植を防ぐために、意図を簡潔に伝える訓練ですね。
同一人物が
最後まで校正するのはダメ
――校正は非常に神経を遣う作業ですが、制作者を見ていて向き不向きがあると思いますか。
制作者がどうのというより、校正作業自体に向いている人、不向きな人がいますからね。通販カタログ制作のときも、複数の営業担当者に一通り校正してもらうんですけど、間違いを見つける人は決まってるんです。向き不向きは絶対にありますね。訓練も必要だと思いますが、どうにもならない人はどうにもならないので……(苦笑)。だから、一人でやっちゃいけないということですね。
――向いている人でも、思い込みで大きな誤植を見逃すことがあります。人間、思い込みがあると思考が停止して、間違いが目に入らなくなるんですね。
デザイナーに対してテキスト情報をまとめて出している人間が、最終的な校正も受け持つと同一人物がやることになるので、どこかで「自分が出した情報は間違いない」と思ってしまいがちですよね。「これは合っているはずだから」とか、何度も見ているうちに「ここは見たからもういいや」と飛ばしてしまうケースもあり得るので、同一人物が最後まで校正するのはダメだと思います。団体の中で複数人が見るべきだと思います。
――公演データ段階のミスはデザイナーではわからないわけですから、制作者の責任で気づくしかありませんね。これまで、カンパニー側がギリギリで気づいて直ったケースはありましたか。
なかなか一回で揃ったデータをもらうことが少ないので、次の回に「ここはこうでした」という修正が入ることはよくあります。
(この項続く)
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