Pocket

京 チラシアートワーク指南――チラシづくりとは、情報を操作すること。
第3回チラシの企画

●分割掲載です。初めての方は「はじめに」から順にご覧ください。

既成の言葉ひとことで表わされても
問題はその先じゃないですか

――『スリヌケル』のように言葉でイメージが伝わる例は稀なんでしょうか。イメージを伝える場合、どんな言葉に想像力を刺激されますか。どんな言葉で発想が広がりますか。

『スリヌケル』の場合は、私がたまたま病院に隔離されているという状況だったので先方がメールでしっかり文章にまとめてくれたわけですが、通常は会ってから話をスタートさせることが多いので、それはこちらもその場で少しずつ言葉を引き出していきます。先方もバラバラとしたイメージを持ってきますので、これでつくれるなと私が思うところまで引き出していきます。

――『スリヌケル』はわかりやすいキーワードがありましたが、カンパニーはわかりやすい言葉でイメージを伝えることをしていますか。

ちょっと具体的なビジュアルに結び付かないということも多くあるので、その場合はこの芝居を表わす象徴的なもの――ヘルメットであるとか、手紙であるとか、花であるとか――そういったモノや、キーになるカラーを訊いてみたり、全体の空気感――お客さんがほわっとした感じで帰る芝居なのか、ズキッと受け取って帰る芝居なのか、空気感をとらえる質問をします。台本が出来ていれば印象的な台詞や、コピーに近いような際立ってくる台詞を尋ねたり、セットのプランからもイメージを広げていきます。タイトルもまだ表記が決まっていない状態なら、カタカナにしたほうがいいのか、ひらがなにしたほうがいいのか、あるいは漢字なのかによってイメージがものすごく違ってくるので、その辺を話します。

――台本が出来ていれば容易でしょうが、3か月前にはまだ作家本人でさえ漠然としたイメージしかなく、サスペンスなんだけど実際に上演してみたらそんなに怖くなく、笑いの要素も含まれていたという場合もあると思います。その辺はどうやって見極めていきますか。

出来れば、打ち合わせ段階でのストーリー構想がフタを開けてみれば全然違っていたというのは避けてほしいんですけれど、実際やっぱりありましたよ。あとで文句言っちゃいましたけど(笑)。台本が上がっていないのはいいとしても、あまりに曖昧で世界観がないと、こちらもチラシをつくれません。サスペンスだとかコメディだとかシリアスだとか、既成の言葉ひとことで表わされても、問題はその先じゃないですか。「これはサスペンスです」だけではチラシは出来ませんから、その先に広がる具体的なイメージが欲しいですね。

――表面のビジュアルは、裏面のレイアウトにも影響を及ぼしますか。

チラシのイメージはトータルなものです。表と裏はもちろん連動します。
これは4月半ばに上がった最近の作品。トラム公演が間近です。青年団絡みですが、海外とのプロジェクト作品の初来日なので、青年団という名前よりも、前衛的な舞台の雰囲気を具体的に伝えようと舞台写真を何点も使いました。デザイン処理的にも、裏は全面に写真を敷いてノイズで散らし、白抜きの文字がどこまで見えるかというギリギリのラインを狙いました。気に入っている作品です。当日パンフレットも4色を使ったかなり精度の高いものができたので、ぜひ手にして観てほしいです。→公演詳細(青年団サイト)

表面 裏面 1 | 2

青年団国際交流プロジェクト『ヌ・ドゥ・ネージュ/雪の結び目』(2003.5-6)本チラシ(A4)
1 表面(拡大:75KB) 2 裏面(拡大:152KB)

嫌いと言われるチラシは
反対にそれが好きな観客も絶対にいる

――商業演劇に顕著ですが、チラシは公演規模が大きくなるにつれ、作品ではなく俳優を紹介する傾向にあるように感じます。集客のためには必要でしょうが、もうちょっとなんとかならないでしょうか。作品の中身を伝える努力を演劇はしていないように思えてなりませんが、デザイナーとしてどうお考えですか。

何度か公演を打つうちに固定客が付くと思うので、固定客基盤をがっちり固めようということならそんなに中身を説明しなくてもいいと思うんですけど、客層を広げる努力をしたいのならば、次にどういった相手に伝えたいかを考えた上での、コピーだったりデザインだったりするべきだと思うんです。ターゲットを闇雲に広げるのではなく、次に舞台を観に来て欲しい客層がいまどこにいて、どういう趣向を持っていて、チラシをどこに置いたら見てもらえるのか、手にとってもらえるのかをリサーチする必要があると思います。

――逆に、こんなチラシでは観客は来ないというものがあれば教えてください。

本質を突いていない、結局なにも言っていないチラシは厳しいと思う。カンパニーもタイトルも場所も載っているけれど、なにが観られるのかわからないすごく無難なチラシというのは、「ふーん」で終わりですよね。実際にこういうチラシも多いと感じます。人の好き嫌いにまで踏み込んでくるようなチラシは少ないですね。一方で嫌われるほどのチラシは、反対にそれが好きな観客も絶対にいるわけだけど、そこまで踏み込んで世界をアピールするチラシは少ないかな。

――チラシとしてはペケでも、ビジュアル単体ならいいものは多いですか。

結構ありますね。要はもったいないということです。せっかくのビジュアルを活かしていないわけで、私だったらこの写真でもっとこうするのにとか、余計なものを詰め込んでわからなくなっているとか。結局モノづくりはコンセプトですから、それが最後まで達成されていないと。そういうときは立ち止まって、なにを見せたかったのか、どういうチラシをつくりたかったのかを最初に戻って取り戻して、一貫して守り続けないと、一枚のチラシがどこかの方向に行っちゃいます。


チラシに盛り込まれている
企画意図や戦略を読み解く訓練を

――不思議で仕方ないのですが、制作者は自分でデザインしなくても、観客としてチラシを選ぶ目は持っていると思います。それなのに、自分たちのチラシに目が行き届かないのはなぜでしょう。

客観的にデザインとしてどうなのか、ほかのチラシと並べてみたときにどうなのかという判断力を失っているんじゃないでしょうか。つくる側になると楽しくて、いっぱいいっぱいになって完結し、「わーい、出来た」になってしまう。時間不足や舞台の具体的要素が出来ていないという言い訳はあると思いますが、出来たチラシがすべてなので、チラシ制作段階の途中で三歩下がって、客観的にこのチラシはどうなの?という目を訓練して持たないと、単なるカンパニーの満足感で終わってしまいます。

――なぜ、それに気づかないんでしょう。

訓練だと思うんですよ。自分たちがやることだから、どうしても思い入れが出ちゃうじゃないですか。まあ、思い入れがないといいものはつくれないわけですが、それ以上に制作の方は客観性を失わずに、そういう思考回路を訓練してつくらないと。普段チラシを見るときも、そこに盛り込まれている企画意図や戦略を読み解く訓練をして、どういう背景があってこのチラシが出来ているのかを考え、自分たちのチラシをつくるときはその逆作業をする。訓練と経験値で出来るようになる思いますよ。

――一枚だけで見た場合と、劇場のチラシ束の中で見た場合とでは、チラシの印象は違うと思います。チラシ束で埋没せず、暗い客席で可読性を増すような工夫はありますか。

当パンは客席の可読性を考慮しますが、チラシは基本的には劇場の中で見る前提ではつくっていません。ただ、チラシ束をパラパラとめくる中で目立つ色使いを考えたり、まず一目見たときに最初に印象づける要素をどこに置くかを、視点を考えてつくります。タイトルに力があればタイポグラフィで印象づけるとか、ドキッとさせるコピーを押し出すとか、なんだかわからない画像で興味を引くとか。

――チラシの企画ほど制作者がクリエイティビィティを発揮出来る場も少ないと思います。制作者に望むことをお願いします。

最初に情報操作だと言いましたが、制作者の方が持ってきた戦略をいかに伝えるかという整理をしていくことがデザインなので、その戦略がないとチラシの完成度は高まりません。まずそこにこそおもしろみがあるので、その作業をすることに誇りと意欲を持ってほしいと思います。企画として練り込まれていないとビジュアルでもめるし、進みません。主宰者なり演出家なりの出発点があって、それをどう見せようかという制作者の戦略があって、それを伝えるチラシをつくるという私の役割があって、その三者の流れの中でそれぞれがベストなところを持ってくると、充実度は高まります。チラシになにか出来るか、意図を持って仕掛けることをやろうとしてほしいし、それをデザイナーにも要求してほしい。そして仕掛けたことに対しての観客の反応を取って、その結果を踏まえて次にどうするかを考えていってほしいです。カンパニーの成長と共に、チラシも媒体として充実していくべきものです。私は本当にそれを形にするだけですから、そのおもしろさは制作者が味わってほしいのです。

――ありがとうございました。

前の記事 京 チラシアートワーク指南/第3回チラシの企画(3)
次の記事 京 チラシアートワーク指南/第4回校正!校正!校正!(1)