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扇町ミュージアムスクエア(OMS、大阪市北区)が主催するOMS戯曲賞。関西在住の劇作家の実力を世に知らしめ、岸田戯曲賞へのきっかけともなった賞である。受賞作には賞金50万円と戯曲出版、そしてOMS主催でプロデュース公演が行なわれることになっている。

この賞の大きな特徴は、前年に書き下ろし・上演された作品を対象としていることだ。単なる戯曲ではなく、実際に上演された作品のみが応募出来る。受賞作をOMSプロデュースとして上演する際は、作品は作家本人の手を離れ、全く新しい演出家と出演者に委ねられることがこれまでの通例になってきた。松田正隆氏と竹内銃一郎氏、鈴江俊郎氏と岩松了氏など、関西の劇作家と日本を代表する演出家の組み合わせ、そして内藤裕敬氏といのうえひでのり氏のような近くて遠かった組み合わせなど、従来は困難だった新しい出会いを着実に実現してきたのである。このOMSプロデュースこそ、賞金や出版以上に劇作家を刺激する場だったと言えるのではないか。

ところが、今回上演される第6回OMSプロデュース『その鉄塔に男たちはいるという』は、作家の土田英生氏が初演と同様に演出を行ない、出演者も初演と全く同じMONOのメンバーで占められている。これについて、OMSでは次のように説明している。

過去5回の大賞受賞作は、翌年度のOMSプロデュースにより、初演とは異なる演出家、出演者を起用した形で公演を実施、「才能の出会いの場」となることを理念にしてきました。6回目となる今回は、この理念を踏襲し、さらに「演劇を取り巻く環境をプロデュース」するという主旨のもと、「戯曲の素晴らしさが最も生かされる舞台づくり」を第一に考え、あえて初演時と同じ演出家、俳優を配しました。*1

ここでいう「演劇を取り巻く環境」として、今回はスタッフを一新し、さらに振付やイメージソング、Tシャツ制作などの新しい才能を参加させているが、それが作品の本質を変えるものとは思えない。プロデュース公演の醍醐味である新しい演出家、出演者との出会いを見送る説明としては、どうしても説得力に欠けるのである。

この説明を文字どおり受け取ると、世の中の他の演出家や俳優の可能性を否定することにならないだろうか。確かに、過去のOMSプロデュースすべてが内容的に成功しているとは私も思わない。劇作家と演出家の組み合わせに批判があったことも事実だ。けれどそれは結果論であり、失敗を恐れず果敢に挑戦することこそ、OMSプロデュースの素晴らしさだと私は感じていたのだ。少なくとも出演者は変えるべきではなかったのか。

これに対し土田氏は、OMSが発行しているリーフレット「OMSclub」のインタビューで次のように答えている。

それで僕が演出するのであれば、“間と呼吸”が分かっていて信用出来る役者となると、やっぱり初演のメンバーになるんですよね。そういう役者を使わないと成立しない戯曲だと思うので、「新たに選んだら、こうなりました」って堂々と言いたいです(笑)。*2

これを読むと、このキャスティングは土田氏自身によるものと推測される。彼は自分の集団MONOに非常なこだわりを見せる人で、1999年のメイシアタープロデュース『近松ゴシップ』で作・演出を担当したときは、出演者12名中7名をMONOからキャスティングしている。メイシアタープロデュースというより、MONOの本公演に客演5名を招いた感覚だ。

メンバーを熟知しているからこそ当て書きが出来、微妙な呼吸も伝えられるのだろうが、そもそも演出家を決定する権利は主催者であるOMSにある。こうなることが充分予想されながら、なぜOMSは土田氏に演出を依頼したのだろう。キャスティングについて、OMSと土田氏のあいだでは、どのような議論がなされたのだろうか。それがわからないと、今回のプロデュース公演の意義が非常に希薄なものになってしまうのではないか。

ここからは憶測になってしまうが、OMS側も最初は意中の演出家がいたのではないかと思う。しかし、OMSプロデュースの場合、受賞作が決定するのは公演の約1年半前で、東京公演の劇場確保をするのはギリギリの時期だ。スケジュールの関係上、演出家を決める前に劇場契約が先行しているはずで、それから演出家へのオファーが始まることになる。もし演出家を抑えられなければ、劇場だけが浮いてしまう。そうした切羽詰まった状況の中で、適任者がいなければ土田氏本人でということになったのではないか。そうとでも考えない限り、プロデュース公演という出会いの場を見送る必然性が理解出来ないのだ。

残念ながらOMSプロデュースは次回の第7回をもって公演を終了し、戯曲賞のみの形になるという。せっかく画期的な形で公演を継続させてきたのだがら、最後まで斬新な姿を見せてほしかった。そして、OMSプロデュースの意義が語り継がれるためにも、なぜこのような公演になったのか、もっと手の内を明かした形で説明してほしいのだ。それが演劇ファンの信頼に応えることでもあると思う。

最後に、第1回OMSプロデュースの作家・松田正隆氏が、演出を担当した竹内銃一郎氏との出会いを記した一文があるので、引用して終わりたい。ここには、私がプロデュース公演に望むことが端的に書かれている。

(前略)昨年のOMSプロデュース「坂の上の家」で、竹内さんと一緒に仕事ができたのは素晴らしいことだった。

的確な駄目出しと戯曲の持つ力を引き出す演出には刺激されっぱなしだった。それは、戯曲に内在している本質を正確に引っぱり出すというより、演出もまた表現であり、逆に戯曲の方に新しき意味がつけ加わわるという感じだった。芝居は戯曲のみで成立するのではないという当然のことを、初めて実感した。*3

  1. チラシより []
  2. 「OMSclub」Vol.34(2001年4月10日発行) []
  3. AI・HALLプロデュースVol.6『みず色の空、そら色の水』チラシ掲載コラム「『よきひと』との出会い。」(1996年) []