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ハラスメントは演劇界の抱える大きな闇

演劇界は、他の業界に比べてハラスメントが生まれやすいと思われます。芸術という個人の感性が重視される分野なのに加え、部外者を遮断した稽古場で長期間共に過ごすことが多く、先輩アーティストに逆らえないヒエラルキーが成立しているためです。このため、セクシャルハラスメントだけでなく、パワーハラスメントについてもしっかりと向き合っていく必要があります。

ハラスメントは、当事者が告発しない限り第三者は知り得ないため、演劇界での具体例はあまり共有されていませんが、それがハラスメントが起きていないことを意味しているわけではありません。職場における労働問題として顕在化していったハラスメントの防止は、行政の強い指導もあり、いまや事業主・労働者が最も意識しなければならない社会規範になっていますが、フリーランス(個人事業主)主体の演劇界では労働法の対象にならず、残念ながら一部の先進的なカンパニーを除き、全体の問題意識になっていないのが現状と言えます。

一般の企業と同様に、かつては演劇界でもハラスメントは日常茶飯事であり、年長者の演劇人はその環境の中で活動してきました。労働問題として顕在化した企業に対し、それがない演劇界は反応が非常に鈍く、自分が経験したことを後輩にも経験させる悪循環に陥っている部分があります。ハラスメントこそ、演劇界が抱える大きな闇なのかも知れません。

ハラスメント防止は観客のほうが進んでいる

作品がどんなに芸術的に素晴らしくても、ハラスメントが認定されるとその責任が厳しく追及される時代となっています。演劇以外の芸術分野では大物アーティストの事例が報道され、表現の場から追放されるケースもめずらしくありません。観客も勤務先での研修や相談窓口が年々充実し、ハラスメント防止の重要性を肌で実感しています。演劇界がなにも対策をしないでいると、アーティストと観客の距離は乖離していくだけでしょう。これは劇場に足を運んでもらう舞台芸術にとって致命的です。作品とつくり手は表裏一体であり、集客にも大きな影響が出る可能性があります。

企業におけるハラスメント防止への取組(東京都の2,500事業所対象に調査)

就業規則等にハラスメント禁止を明記         84.1%
事業所内外に相談窓口・担当者、苦情処理機関等を設置 77.8%
ハラスメントに関する研修・講習等の実施       63.9%

企業のハラスメント防止研修では、まず最初に「相手がハラスメントと感じたらハラスメントかも知れない」から語られることが多いようです。つまり、ハラスメントは相手がどう感じるかが重要ということです。もちろん、相手の主張が必ずしも正しいわけではありませんが、「相手がハラスメントと感じる可能性がある」ところからスタートするのが、もはや観客の常識なのです。アーティストの場合、演出家や先輩アーティストの行動を信じて疑わず、自分たちの周囲にはハラスメントが存在しないという偏った考えに陥りがちですが、それ自体を疑うことが求められているのです。

さらに企業と演劇界が大きく違うと感じるのは、セクシャルハラスメントと同様にパワーハラスメントへの取り組みが積極的に行なわれていることです。企業の場合、男性従業員の比率が多いことも背景にありますが、実際の相談件数もパワーハラスメントのほうが多くなっています。

問題となったハラスメントの内容(東京都の2,500事業所対象に調査)

パワーハラスメント   77.5%
セクシャルハラスメント 54.3%

増加傾向にあるハラスメントの種類(東京都の2,500事業所対象に調査)

パワーハラスメント   84.7%
セクシャルハラスメント 33.8%

パワーハラスメントに消極的な演劇界

演劇界でもパワーハラスメントが告発されることはありますが、傷害のような明確な行為がないとヒエラルキーに内包されてしまい、顕在化すること自体が少ないと思います。年長者になると当事者や周囲を含めてパワーハラスメントへの意識自体が低く、問題意識を持つ若手との乖離が、第64回岸田戯曲賞選考委員辞退を巡る問題で顕著に表われたと感じます。*1

一般社団法人日本劇作家協会は、2020年2月に「セクシャル・ハラスメント事案への対応に関する基本要綱」を公開しましたが、この時点でパワーハラスメントについては「定義そのものから基本要綱を検討する必要があり、策定までに時間を要することが考えられます」としていました。しかし、19年6月に公布された改正労働施策総合推進法(パワハラ防止法)では、すでに次のとおり定義されています。

  1. 優越的な関係を背景とした言動であって
  2. 業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより
  3. 労働者の就業環境が害されること

改正労働施策総合推進法は大企業に対しては20年6月施行、中小企業は経過措置で22年4月施行となり、事業主は相談体制の整備など必要な措置を講じることが義務づけられました。全事業所が対象ですので、法人化している芸術団体もすべて対象です。セクシャルハラスメントは男女雇用均等法で措置義務がありましたが、パワーハラスメントも同じ扱いになったのです。パワーハラスメントに該当する/しないの具体例も、「事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」(令和2年度厚生労働省告示第5号)で説明されていますので、ぜひ目を通してください。

この指針は、上記1~3の要素をすべて満たす場合で、かつ「客観的にみて、業務上必要かつ相当な範囲で行われる適正な業務指示や指導については、職場におけるパワーハラスメントには該当しない」と定義しています。該当する事例としては、殴打、足蹴り、相手に物を投げつけること、人格を否定するような言動などが挙げられています。労働者が対象なので、業務委託や個人事業主は対象になりませんが、法の趣旨に照らして対応することが望ましいことも明記されています。このように、パワーハラスメントの定義はすでに法に伴う指針で示されているのです。

ハラスメントでグレーな部分は当然あります。才能を引き出そうとする芸術の世界では厳しい指導も必要です。死亡事故も発生する舞台芸術の現場では、安全を軽視する行為を厳しく叱責することもあるでしょう。しかし、暴行や傷害は一発アウトであり、注意が人格否定に及んだ場合もアウトであることは明らかです。こうして法制化が進み、定義に基づいた研修が企業では当たり前になっている時代に、定義の段階で留まっていては、観客との意識の乖離は広がっていくだけでしょう。各統括団体の積極的な取り組みが必要だと感じます。

厚生労働省「あかるい職場応援団」では、ハラスメント対策パンフレット・リーフレット、研修用のPowerPointなどがダウンロード可能です。こうした資料を活用し、自分が所属する組織からでもハラスメント研修を始めるべきではないでしょうか。

人事院が国家公務員向けに出しているリーフレット「職員は、ハラスメントをしてはならない。」も、各種ハラスメントを簡潔にまとめています。

ハラスメントを巡る演劇界の動き

演劇界の動きとしては、18年春から亜女会(アジア女性舞台芸術会議)とON-PAM(舞台芸術制作者オープンネットワーク)の有志が勉強会を続けています。「閉じた関係性の中で、作品製作上の『パワー』がハラスメントと結び付きやすい業界特有の構造」などにも目を向け、TPAM(国際舞台芸術ミーティング in 横浜)2019でグループ・ミーティング「舞台芸術界のセクシュアル・ハラスメントや性暴力について一緒に考えませんか?」、TPAM2020でグループ・ミーティング「舞台芸術界のハラスメントや性暴力について一緒に考えませんか?」を開催しました。20年11月には、ワーキンググループによる「舞台芸術関係者向け性暴力・ハラスメント相談窓口リスト」を公開しました。フリーランスでも相談可能であること、相談者のジェンダーとセクシュアリティに限定がないことを念頭に選定されています。

劇作家女子会。では、TPAM2019をきっかけに「演劇の現場で使える、オープンソースのハラスメント防止のためのガイドラインをつくろう!」という活動を始めています。演劇界の他の事例も紹介されていますので、通してご覧ください。

対応を誤ると観客が演劇から離れていく

ハラスメントの対応が一般の企業に比べて遅れていること、セクシャルハラスメントとパワーハラスメントは同根の問題なのに、セクシャルハラスメントだけに目が向きがちなのが、いまの演劇界の課題だと感じます。就業規則等にハラスメント禁止が明記された企業では、認定された場合に懲戒処分もめずらしくなく、セクシャルハラスメントは論外、パワーハラスメントも慎重に言葉を選ぶケースが増えています。これは「相手がハラスメントと感じたらハラスメントかも知れない」という研修が企業で浸透したことが、最大の理由だと思います。研修は抑止効果があるのです。

個人事業主が主体の演劇界では、研修や相談窓口の整備はこれからです。そのためには、まずはその必要性を認識し、自分たちで出来るところから手を着けるべきだと思います。そして、今後対応を誤ると観客が演劇から離れていくという危機感を持つべきだと思います。

不幸にしてハラスメントの当事者となった場合、重要なのは時系列で正確な記録を残すことです。被害者の立場はもちろんですが、加害者の立場になった場合も相談窓口での客観的な判断に役立ちます。エビデンスを残さないことが多い演劇界ですが、ハラスメントの対応でも記録が重要だという意識を持つようにしてください。

【2022年6月更新】2020年12月以降の演劇界の動き

20年12月に、京都市文化市民局及び公益財団法人京都市音楽芸術文化振興財団が「ロームシアター京都館長人事及び本件に係る信頼回復の取組について」を発表し、ハラスメントの指摘があった三浦基氏(演出家、地点代表)のロームシアター館長就任が見送られました。これを受けてロームシアター京都は、21年2月にシンポジウム「劇場におけるハラスメントを考える『個人が尊重され、豊かな対話が生まれるために』」を開催し、ハラスメント防止ガイドライン案を公開しました。その後、1年以上をかけて外部専門家の意見も踏まえ、22年3月にガイドラインを策定しました。

このガイドラインでは、「劇場におけるハラスメントに該当すると考えられる例」の具体例を掲載し、「ロームシアター京都がプロデュースし、創作過程を含む全般に責任を持つ事業」に対しては、ハラスメント防止に向けた具体的方策と、ハラスメントが報告された場合の具体的手順を定めました。「創作に関わる主たる者との契約書には、双方が本ガイドラインを遵守すること」を入れることも決めました。貸館利用の場合は施設利用者の責任になりますが、ロームシアター京都が当該者に情報提供や責任ある対応を求め、劇場スタッフが被害者となるような事案が発生した場は、施設使用許可を取り消す場合があるとしました。

「演劇の現場で使える、オープンソースのハラスメント防止のためのガイドラインをつくろう!」の活動をした劇作家女子会。は、19年~20年にかけて、ゲリラ的にチラシを公演に折り込みました。「ガイドラインの完成には時間が必要」だったため、「現在進行形でおこっている演劇の現場でのハラスメントに、なにか一石を投じることはできないか」との思いからでした。22年5月にこのチラシが劇作家女子会。によるものだったことを明らかにしました。

芸術団体ごとのガイドラインとしては、演劇/微熱少年(本拠地・群馬県)が青年団のものを参考にしたハラスメント規範を22年4月に公開しました。青年団の規範については、長年改定を繰り返してきた存在が以前から知られており、ハラスメント問題が顕在化した状況で公開を求める声もありますが、演劇/微熱少年のものを見れば、内容がほぼ伝わるのではないかと思います。*2

この規範で特徴的なのが、自己愛性人格障害がキーワードになっていることです。「自己愛性人格障害について」の章では、平田オリザ氏が自分自身を自己愛性人格障害であるかも知れないと強く認識し、「対社会的にはそれを強い力で抑制して、どうにか破綻せずに生きてきた」と語っています。表現者は承認欲求が非常に強く、だからこそ表現者になったとも言えます。演劇人は自分自身が自己愛性人格障害かも知れないという意識を持つことが、ハラスメントを抑止することにつながるのではないでしょうか。

22年5月には、いいへんじ(本拠地・東京都)が「対話の時間のガイドライン」を、しあわせ学級崩壊(本拠地・東京都)が「ワークショップ及びオーディションの運営方針」を公開しました。いずれも若手カンパニーが試行錯誤しながらまとめたものです。

毎年ガイドラインを改定している東京芸術祭の人材育成プログラム「東京芸術祭ファーム」も、22年6月にversion 4を公開しました。

これらの規範・ガイドラインは今後も見直しを続けていくとされていますので、常に最新版に注目してください。

演劇以外でも使えるガイドラインとしては、EGSA JAPAN(Education of Gender and Sexuality for Arts Japan)が「芸術分野におけるハラスメント防止ガイドライン」を『美術手帖』21年2月号に掲載し、それを基に論考等を追加した冊子を22年1月に発行しました。印刷した紙版のほか、下記からPDFでダウンロード可能です。主に美術分野向けに書かれたものですが、他の芸術分野にも通じる内容です。

稽古序盤に稽古場に講師を招いてハラスメント研修を実施する公演も増えてきました。怒りの感情と向き合うためのアンガーマネジメントや、相互に尊敬・尊重し合うリスペクトトレーニングの研修も少しずつ広まっています。

公演やワークショップに際し、ハラスメントに対するステイトメントを出す主催者も増えてきました。ただし、ハラスメントを防止するためにはステイトメントだけでなく、一般企業と同様に研修を実施することが不可欠だと考えます。最新事例を踏まえた研修を繰り返すことが、意識をアップデートする近道ではないでしょうか。

【2023年3月更新】2023年1月以降の演劇界の動き

一方で、そうした研修は専門講師の費用がかかり、すべての芸術団体では実施出来ない現実もあると思います。フリーランス主体の演劇界では、業界全体に向けた研修などが望まれます。文化庁はハラスメント防止のための責任体制を確立することを盛り込んだ「文化芸術分野の適正な契約関係構築に向けたガイドライン(検討のまとめ)」を公表し、実効性確保のため、23年1月より統括団体等に委託して芸術家等実務研修会の開催を始めました。政府としても、これまで下請法の対象にならなかった中小法人とフリーランスの取引を適正にするため、「特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律案」(フリーランス保護新法)を国会に提出し、ここでも「ハラスメント行為に係る相談対応等必要な体制整備等の措置を講じなければならないものとする」としています。

22年9月、一般社団法人日本劇作家協会はパワーハラスメントを含む「ハラスメント防止ガイドライン(案)」を公表し、会員からの意見を募集しました。22年12月、公益社団法人日本劇団協議会は「ハラスメント防止宣言」を、一般社団法人日本演出者協会は「ハラスメントに関する声明」を発表しました。

23年3月、これまでハラスメント問題に積極的に取り組んでいた馬奈木厳太郎弁護士が、自らセクシャルハラスメントを行なっていたことを告白・謝罪し、「このような事態を起こした私は、ハラスメント講習の講師や、ハラスメント問題に関する取材を受けるといった資格がありませんので、今後はこれらの活動を一切行いません」との声明を発表しました。誰もが加害者になる可能性があることを改めて実感すると共に、実効性確保のためになにが必要なのかを考えさせられます。

23年3月、劇作家女子会。は「持続可能な演劇のための憲章」を公開しました。

 劇団やプロデュースユニット、演劇の興⾏の会社は、それぞれが別々の店のようなものです。その全てを束ねるような演劇の組織も存在しません。私たち劇作家にも、それぞれの団体がどのような創作過程を経て演劇作品を仕上げているのか、わかりません。
 そのような中、どのような創作現場を⽬指せばいいのか、ひとつの指針になるようなものが必要だと考えました。

これまで芸術団体や劇場が設けてきたハラスメントに関するガイドラインは、その組織が関係する公演でハラスメントが起こることを防止するためのものです。外部で起こったハラスメントに対して、それを理由に行動を起こすことは、ハラスメントの認定や当事者のプライバシーの問題があり、明文化するのが非常に困難です。しかし、それではいつまでも、私たちはレッドカードを示せないという指摘もあります。こうした「憲章」を掲げることで、どのような理念で芸術団体や制作会社がスタッフ・キャストをオファーしているのか、劇場が主催・提携公演を選定しているのか、助成団体が助成先を選定しているのかを示し、ハラスメント防止の実効性を高めることにつながることを期待します。

  1. 前回まで選考委員だった宮沢章夫氏が、勤務先の早稲田大学でパワーハラスメントによる2か月間の停職処分を受けて選考委員を辞退した経緯に不明な点があり、若手劇作家の山田由梨氏、綾門優季氏、オノマリコ氏らが主催する白水社に問い合わせた件。詳細は山田由梨氏の一連のツイートとリンク先参照。 []
  2. BuzzFeed「『恋をしても告白禁止』『先輩から飲みに誘わない』平田オリザが“厳しすぎる”パワハラ・セクハラ規定を作った背景」に掲載されている「パワハラ規定を定めた書面の一部」画像と文章が同一。 []