この記事は2019年12月に掲載されたものです。
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「当日制作」という役割はない
はじめに
2010年代の初めごろから、公演中のフロントスタッフを務める若い人が「当日制作」と名乗るようになりました。演劇制作の役割を表わす呼称として、これはおかしいと思います。本人は「公演当日の制作」という意味で使っているのだと思いますが、ゼロ年代までこうした呼び方はなく、学生劇団が使い始め、それが若い世代に広がったのではないでしょうか。それまでは「お手伝いさん」と呼んでいたのが、日当が支払われるに伴って、アルバイトの呼称として変化していったのではないかと想像します。
学生劇団の場合、世代交代が続いていくため、先輩が始めたことの是非を検証せず、そのまま継承する傾向が強いと思います。皆さんも自分の学生時代を振り返ってみてください。「なぜあんなことをしていたんだろう」と思うことはありませんか。「当日制作」という呼称を使う若い人がいまだに散見されるのも、そのためでしょう。ここでは「当日制作」がなぜおかしいのかを解説し、公演制作の全体像と役割分担を改めて考えます。
「制作」は領域の総称で一部を示すものではない
公演制作の業務を時系列で並べると、概ね次のとおりになります(「制作者の役割」参照)。
- 公演企画
- スタッフ・キャスト交渉
- 劇場契約
- 予算管理
- 票券管理
- 宣伝計画
- 稽古立ち会い
- 劇場・スタッフ打ち合わせ
- 本番運営
- 精算及び決算
このうち公演期間中の業務は9だけで、全体のごく一部です。他のスタッフ・キャストにとっては本番が最重要ですが、制作者にとっては本番までの準備こそが山場であり、それまでに全体の9割程度の力を使っています。公演制作全体に占める割合は決して大きくありません。もちろん本番運営は重要で、本番が成功しなければ準備が水の泡になりますが、それと制作者の業務量は比例しません。制作者はスタッフ・キャストとは異なる時間軸を生き、だからこそ「芝居」を「公演」に出来るのです。
公演制作には様々な領域があり、事前の準備が本番の成果につながります。そうした準備があるからこそ、本番でお客様を迎えることが出来るのです。この業務の積み重ね全体が「制作」であり、「公演当日だけの制作」という役割はありません。公演期間中だけを担当するのであれば、それは受付、フロントスタッフ、ケータリング、物販などの個別業務であり、総称である「制作」から公演当日だけを区切って「当日制作」と呼ぶのはおかしいのです。「制作」を分業し、個別業務を専門にすることはありますが、そのとき区切るのは領域ごとであり、当日という時間ではないのです。
これは他のスタッフも同じです。例えば、「照明」「音響」は公演中にプランナーとは別のオペレーターが入ったり、増員することがありますが、それを「当日照明」「当日音響」とは呼びません。「照明」「音響」は戯曲を読み込み、稽古に立ち会ってプランをつくり、機材や音源を揃えて小屋入りしますが、その総称が「照明」「音響」であり、公演中のオペレーションだけを行なうのであれば、「照明オペ」「照明操作」あるいは「音響オペ」「音響操作」となります。つまり、領域全体を把握している責任者だけが領域の総称を名乗れるのです。
「当日制作」ではなく「当日運営」と呼ぼう
では、公演期間中に本番運営だけを担当するスタッフの呼称はなんでしょう。「ケータリング」や「物販担当」など、専門特化した役割がある場合はそれを名乗ればよいと思いますが、フロントスタッフとして接客全般を担当するのであれば、「当日運営」がふさわしいと思います。「運営」はオペレーションの意味ですから、「照明」「音響」が当日スタッフを「オペ」「操作」と呼ぶのとも合致します。
領域全体を表わす「制作」に「当日」を付けて「当日制作」と名乗った場合、本来は時間で区切れないものを無理やり区切っているので、芸能人がイベントで務める「一日駅長」「一日警察署長」のようなニュアンスになります。本来は一日だけ務めることがあり得ない要職を、イベントの名誉職として命名しているわけですから、そこに責任は発生しません。責任が発生しないことを自他共に認めているからこそ成立する呼称であって、「当日制作」と名乗る人はそれを普段やっていることになります。
時間で区切ることが出来るのは、やっていることが同じ内容の場合だけだと思います。公演制作は公演期間よりも準備期間のほうが圧倒的に長く、その結果で本番を迎えているのですから、「当日+制作」という組み合わせはあり得ません。「当日制作」に似た言葉として、「現地制作」「(地名)公演制作」など旅公演先での制作業務がありますが、この場合はツアー先での本番運営だけでなく、企画段階から本拠地公演の制作者と伴走し、票券管理や宣伝計画にもコミットします。このため、「現地+制作」という呼称が成立するのです。本番運営だけを担当する「当日制作」とは全く違います。
「当日制作」が意味するのは公演当日の責任を負うこと
ここまで読んで、「当日運営」を貶めていると感じる人もいるかも知れませんが、そうではありません。公演制作の領域は多岐に渡り、それらを一人で全部こなすこと自体に無理があります。適切な分業や外注が不可欠で、その全体像と役割分担を理解していれば、組織体制の必要性と個々の専門性が両立することに気づくはずです。「当日運営」の果たすべきミッションを理解し、それぞれの領域で評価を得ることこそが重要ではないでしょうか。
言うまでもなく、フロントスタッフは〈表方〉として接遇の顔です。その一挙手一投足がお客様の印象を左右します。オンタイムでの開演、前説の工夫など、「当日運営」に求められるスキルは増しています。受付は当日精算が一般化して「票券管理」との連携、公演期間中の周知はSNSが当たり前になって「広報宣伝」との連携が必要です。かつての受付を手伝うだけの時代に比べ、複雑なオペレーションが求められています。「当日運営」を公演に欠かせない専門領域だと認識すれば、「当日運営」と名乗ることに誇りが生まれるはずです。「当日制作」というおかしな呼称をやめて、「当日運営」のスペシャリストになってください。
もし本当に「当日制作」という呼称が成立するとしたら、「制作」が付く以上、文字どおり解釈すれば公演当日の責任者ということになります。例えば、俳優にアクシデントが起こって小屋入り出来なかったら、制作の責任者として公演内容を含めて対応しなければなりませんが、フロントスタッフだけを外注されている人にそんなことが出来るでしょうか。「制作」が付く役割を名乗ることは、それだけの責任を負うということです。「当日制作」という呼称を使うことはそうしたリスクも孕んでいます。だからこそ、適切な役割分担と正しい呼称を使う必要があるのです。この問題を最初に提起した一ツ橋美和氏(少年社中制作)はこうツイートしています。
そして、使っている人達は「当然!」って感じで使ってくる。青劇に入ってた時、当日制作の○○です!って元気良く入って来た子がいて、その場にいた人達がザワザワして、私が慌てて「円形じゃないかな?」と連れて行ったのだけれど…やはり演劇の中で「制作」と名のつく人は「責任ある人」なのだと思う
— ひとつばしみわ (@miwawoo) 2013年6月25日
「当日運営」も制作者であることに変わりはないので、「当日制作」はおかしくても、「制作」ならよいのではないかという考えもあると思います。確かに公演制作に関わる人は全員広義の制作者ですが、これは演出に関わる人が全員広義の演出家であるのと同じで、「演出助手」として参加している人が「演出」と名乗ったら、責任の度合いが変わってしまうでしょう。制作者であることと、公演の「制作」という呼称・クレジットは別物なのです。
まとめ
- 様々な領域から成る「制作」という総称を、時間(公演当日)で区切って呼ぶのはおかしい。公演当日に行なうのは「制作」全体ではなく、その一領域である「運営」。本番運営だけを担当するのであれば、「当日制作」ではなく「当日運営」と呼ぶべき。
- 「当日制作」を名乗った場合、公演当日の責任者であることを意味し、業務内容以上の責任とリスクを負うことになる。適切な役割分担のためにも「当日運営」と名乗り、自分の責任範囲を明確にすべき。制作者であることと、公演における呼称・クレジットは別物。