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カンパニーや知り合いの役者が出演している作品を観たあとは、楽屋挨拶に訪れることが多いと思うが、私はこれが非常に苦手である。なぜならほとんどの役者が、「どうでした」と感想を求めてくるからだ。

本心から評価出来る作品の場合はなんの問題もない。こちらも素直に思ったままを伝えることが出来る。困るのは、どうしても辛口な評価しか思い浮かばないときである。どんな作品でも無理に探せばいいところはあるものだから、やむを得ずその役者の演技面を中心に、言葉を慎重に選んで断片的な感想を言う。相手は作品全体の感想を訊いたつもりなのに、私が演技のことしか言わないものだから、ちょっと怪訝な顔をされることもある。そこは雰囲気で察してほしいのだが、相手が手応えを感じている作品では感情がすれ違い、対応に苦労する。

楽屋には他の役者やスタッフもいる。会話は筒抜けだし、ましてや作品の評価に関わるものなら耳をそばだてるだろう。何か月もかけて作品を創り上げてきた運命共同体の巣窟のような場所で、悪いことが言えるだろうか。個別シーンのちょっとした改善点など、次のステージから直せるかも知れないような場合は助言するが、戯曲や演出全般に関わることは公演中に言ってもどうにもならない。もしかしたら本人たちも気づいていることかも知れないが、それをいま言ったところで、彼らはこのまま楽日まで同じことを繰り返すしかない。ならば無難な言葉で、気分よく最後までステージを務めてもらうしかないのだ。

制作者はキャスティングやスタッフワークで、いつ誰のお世話になるかわからない。小劇場界は狭い世界だから、楽屋で言った悪口などすぐに広まってしまう。感想を訊かれても、思ったままのことを言うのは不可能なのだ。だから楽屋挨拶はあくまで挨拶だけで、そこで感想を訊くのはやめてほしいのだ。楽屋での感想=人畜無害なお世辞であることを、役者たちも気づいてもらいたい。本当に評価を訊きたいのなら、全日程終了後に誰もいないところで会いたいと思う。そういう場をセッティングしてくれるのなら、思う存分感想を言わせていただく。

楽屋挨拶しなくても、受付の制作者に感想を訊かれることもある。相手が制作者なら客観的な目を持っているだろうと思い、率直な感想を述べたら、とたんに機嫌が悪くなったこともあった。作品にのめり込むのは結構だが、賛否両論を受け止める余裕さえなくすようでは、制作者としてどうだろうか。賛美は放っておいても耳に入るし、あまり成長のバネにはならない。私自身は厳しい評価ほど大切にしたいと思うし、辛辣なアンケートほど感謝している。それが制作者の姿勢ではないかと思っている。