この記事は2007年3月に掲載されたものです。
状況が変わったり、リンク先が変わっている可能性があります。
Producers meet Producers 2006 地域の制作者のための創造啓発ツアー/参加者リポート(5)矢作勝義氏を取材して
●分割掲載です。初めての方は概要から順にご覧ください。
PmP2006参加者リポート
「公共ホールの雄として自主事業、アウトリーチ活動を続ける
世田谷パブリックシアターを取材」
ゲスト:矢作勝義氏世田谷パブリックシアター制作部
セッション概要
正にPmPだったPmP2006
川村睦
劇団ゼミナール
報告日:2006/06/18
盛岡より川村です
育成と浸透。そして、劇場や地域、人とのつながり。理解。
漠然とした、目標や理想ともつかない思いを抱えて、地元盛岡の演劇環境をより良い方向へ導かねば、と気負いばかりが先に立っていました。
そんな悶々と過ごす日々の中で頂いたPmP2006のお話。二つ返事で参加を決めました。
今回参加された皆さんも同じだと思いますが、非常に忙しい中の参加でしたので、最初は着いて行けるかどうか不安もありましたが、終わってみると、着いて行けたかどうかではなく、着いて行こうとしていたかが自分の中では何かを得る力だったのだな、と思いました。
PmP2006、2日目。
お約束の時間に少し遅れて着いた世田谷パブリックシアター。その後にシアタートラムで観劇の予定だったので、本当に限られた時間の中でのインタビューでした。
素敵な雰囲気出しまくりの矢作氏に見とれている暇もなく、早速開始。
事前に纏めていた質問項目を元に進めて行きました。
私達が注目したのは、「区の劇場」と「区内の劇団」、「区民」との関係・連携についてと、次世代(中間層)の育成についてでした。
矢作氏のお話を聞いて、世田谷と盛岡の地域性の違いや、「区内の劇団」という括りの難しさ、その辺りを柔軟に受け止め、且つ[区民]に対しては〈提供する事〉でバランスを取っている現状と、その現状に対するスタンスを知ることが出来ました。
その内容を受けて、私が盛岡で欠点と感じていた事が、実は利点でもあるという真実に出会いました。
小さな都市だからこそ、強く繋がれる、自分の上げた大きな声が届いて欲しい人に届く、自分の行動で盛岡の演劇の流れを動かすことが出来る、こと。いつか、その結束が、この盛岡の地から遠く離れた違う地域と繋がって行く、ビジョン。
これは、使えるではないか! 何故今までダメだと思い込んで来たのか。
今まで少しは見えていると思って来たのが、本当にほんの薄目の状態だったことに気付かされました。
矢作氏とのセッションを通して、これからは盛岡地の利を最大限に活かす方法を模索し、伸ばせる所をどれだけ見つけられるか、を再認識することが劇団単位にしても、盛岡の演劇界にしても共通する課題なのだと思いました。そういう意識を持ち続けること、それがなかなか難しかったりします。私自身もそうなのですが、目の前のことに囚われがちなので。
ここから先は、PmP2006全体を通しての感想です。
「熱い胸と冷静な頭」
勿論、これでもか!と言うほど熱は持っている自信はあります。けれど、決定的に私に足りないもの、それが「冷静な頭」です。
今回のゲストの方々や参加者の方々、事務局の方々との出会いで、私が感じたことです。
情熱をコントロールする力を皆さん持ち合わせている。情熱は全ての原動力になり得るが、それに浮かされ続けていては、いいものは作れない。そう感じました。
特にゲストの皆さんは、どの方も本当に物腰柔らかで強い眼差しをお持ちの方ばかりでした。どんなに振り幅が広くても揺るがない骨太な精神の持ち主たち。彼らに引き込まれるのは、とても自然なことでした。
今回のこの経験が、すぐにどこかで活かせるか、と言えばなかなか難しいかも知れません。けれど、この糧にいつか必ず私は助けられる時が来る、とそう信じています。
セッション9レポート
澤田綾香
香港活劇姉妹
報告日:2006/06/18
出発前……世田谷パブリックシアターの事業はそれこそ世田谷区から世界までと幅広い。幅広いというより、普段小さな町でささやかに楽しく芝居をしている私から見るともはや壮大である。壮大故に個人的にはお伺いしたいことだらけなのだが時間は限られているので質問の的を絞らねばならない。聞きたい事を自由に口にしていると恐ろしくまとまりのない取材になってしまうだろう。河村さんと私は連日その質問内容について話しあった。後見人である盛岡市文化振興事業団の新沼さんや長根山さんにもお忙しい中幾度となく相談にのっていただいた。その結果、「規模は違えど盛岡の演劇状況とシンクロする部分に的を絞ろう」ということに。また、取材のスタイルについては河村さんが質問をして、私は記録という事で進行することになった。とにかく人見知りするので不安だったが、そんな人見知り感に苦悩する時間も余裕もないだろうと開き直って出発した。
最初に……世代交代が進みつつある盛岡ではどうやって演劇人口を増やしていくか?若い世代を育てていけばいいか?という問題に直面している。その問題解決の為には市内の劇団の横の繋がりを強化していく事が必要だと思う。盛岡市には盛岡演劇協会という市内にある劇団同士を繋ぐ団体があるのだが、会員であり、中間世代である私たちはその問題に急いで取り組んでいかねばならない。世田谷区では過去にA.R.T.Sという世田谷区内の劇団関係者のネットワークがあったのだがなくなってしまった事について伺うと、皆生活に忙しく継続が難しくなってしまったとの答えが返ってきた。芝居で生活している人達もいるが、殆どが他に仕事を抱えながら芝居をしている。加えて、自劇団の活動もあるとなると時間がない。これは盛岡も似た状況にある。世田谷区内に事務所などを持つ劇団や団員が5人以上世田谷区在住ならば区内登録できるのだが親戚知人の名前を借りる事も少なくない。それに東京の劇団の横の繋がりは大学の演劇サークルの先輩後輩だったりする場合が多い事もあり、あまりそのカテゴリーにこだわらないようにしているそうだ。似た状況にありながらも、盛岡の協会が稼動できているのは人口の少なさと小さな街であることが逆に幸いしているのだと思った。しかしA.R.T.Sの継続は厳しかったからといって、区民と世田谷パブリックシアターの関係が希薄かというと決してそうではない。毎年G・Wに「フリーステージ」なるお祭り(?)を開催しているのだ。演劇、ダンス、クラシックバレエ、音楽、ダンスなど様々な公演が行われる。演劇に関しては2つの劇団が選考される。*1 このシステムを作るに至った動機は「区民はなかなか気軽にはホールをしようできないので、逆にそういう場をこちらから提供していきたい。区民が使用するというのもありますが、区民がお客様として来て楽しんでいただきたいという気持ちも強い。提供する場でありたい。また、(矢作氏)自分自身昔劇団にいたが30歳前後の頃が岐路に立っている。30歳前の劇団に劇場から声をかけてくれるところはなかった。だからやる必要があると思います。」と話していました。ちなみにこのフリーステージは毎年大盛況のようです。機会があれば実際見てみたいです。
次に……盛岡では小学生対象の演劇講座や60歳以上の芝居などを盛岡劇場や盛岡市文化振興事業団などが手がけていて、年齢に関係なく演劇の入り口として様々な世代に対してアプローチしている。世田谷パブリックシアターには小学校で行うワークショップなどたくさんの講座があるが、講師の選考や人気講座になるまで告知などどうしてきたのか、また講座を終えて演劇に興味をもった人に対しての受け皿的なもの(地元の劇団を紹介したりとか)はあるのかなどワークショップに関する事を聞いてみたところ……「先ず、講師の数は多くなくいろいな方を招聘して続いている。演劇を作るのと、ワークショップを行うのとではやり方が違う。ワークショップそのものに興味をもった方に講師をお願いしています。小学校のは人気が高まり、人手が足りなくなってきたので進行役を育てることにしました。告知に関しては、例えばその小学校の場合HPで告知して……最初はあまり人が集まらず営業しながら進めていきました。チラシを配り、先生を募集したり。そんな中、受講した先生が評判を広め口コミで広まっていったんです。そのうち先生達と相談しながら進めるようになり、継続的にやってきたところは深くなっていった。そのうち教育委員会から世田谷区内のすべての学校でやってほしいという話にまでなりました。そんな感じで継続的に10年やってきてやっと認知されてきた。東京では近年ワークショップの認知度そのものが高まってきて、特に紙を媒体にしなくても定員を超えるくらいの応募がくるようになった。毎回参加している人より新しい人が増えている。いきなり演劇とは何か?というのではなく、肉体表現の楽しさを伝えるのが目的です。あくまで演劇の入り口に向かって。……受け皿に関しては特にそういったものはありませんが、年度末に「地域のワークショップ」というのがありまして、地域の歴史などを掘り起こしてインタビュー形式でワークショップをして最終的にはシアタートラムで公演をします。物語を作っていって自分で言葉にするという作業はしています。実際に劇団に属したいのであれば養成所とかに行った方がいい。世田谷区では受け入れきれないのでそういうスタンスでいます」と。盛岡では劇団の人が講師の場合が殆どでワークショップ専門の講師はあまり見かけない。確かに同じジャンルでも別物だと思った。もし専門の人を育てる事ができたら演劇人口の裾野がる広がるような気がした。
最後に……矢作氏は世田谷パブリックシアターのこれからについて「東京では制作者が不足しています。これからの急務は制作者を育てる為に来年からなにかしていこうと思います。」と話していました。
取材を終えて……東京に到着した時に矢作氏の赤裸々なプロフィールを見て弱干の緊張が走ったものの、お会いしてみたら滑舌よく、またよく通る声でさわやかにお話する素敵な方でした。ところ変わればでその地域だからできること、できないことがあるのだと当たり前の事ながら実感しました。盛岡演劇のチャームポイントは横のつながりが割と強い事と、人口の割合に対して観客動員数が多い事、行政が芸術に理解があること。いい環境で芝居をさせてもらっていると思います。それなのにたまに何か依頼されると枠に囚われたくないとか渋ってみたり。たまになぜ自分が芝居をしているのかとかわからなくなったり。でもそれは自分が一方的に地域に求めているだけで、育ててくれた土壌に還元する気持ちがなかったからなんだと恥ずかしくなりました。自分で自分の視野を狭めていたようにも思います。演劇や劇団に限らず、その他の地元の人達にも興味をもってもらえるような……というか、一緒にできるような何か楽しい事をいつかやろうと帰り道漠然と考えました。
最後になりましたが矢作さん、その他のセッションのゲストの皆様ありがとうございました。荻野さんはじめ、事務局の皆様、他地域から参加の皆様お世話になりました。
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- 選考条件としては劇団員のどなたかが世田谷区在住。脚本を提出してもらう事など。 [↩]