この記事は2001年4月に掲載されたものです。
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観客に演出がわかるのか
私は前々から疑問に感じているのだが、演劇の場合、果たして観客に演出家の仕事というものはわかるのだろうか。例えば観客が演出賞のようなものを決める場合、その舞台の成果が演出家の働きによるものだということが、どうしてわかるのだろうか。
なにをバカなことを言っているのか、観れば演出など誰にでもわかるのではないかと思われる観客の方も多いだろうが、反対に演劇の現場にいる方なら私の意見にうなずいていただけるのではないか。なぜなら、本当に演出家の仕事を把握しようと思えば、戯曲と稽古序盤の俳優の状態を充分承知した上で本番を観る必要があるからである。もちろん稽古場に足を運ばねばならないわけで、そんなことは一般の観客には出来ない。演劇評論家にも難しい。演出家がその作品に対してなにをしたかを本当に知っているのは、稽古場にいる人々だけなのではないだろうか。あるいは同じ戯曲を違う演出家が手掛けた場合に、それを見比べてやっとわかるものではないだろうか。
これがテレビドラマや映画なら、カット割りやカメラワークのように演出家の技量を測る物差しがあるのだが、演劇にはそれがない。観客を惹き付ける俳優の仕草は、実は戯曲上で細かく指定されていることかも知れないし、余韻を残す独特なしゃべり方は、実は俳優自身が稽古場で演出家に提案したものかも知れない。私が所属していたカンパニーでは、よくアンケートに演出家への誉め言葉として選曲のことが書かれていたが、実際に選曲を担当していたのは外部の音響スタッフだということを、ほとんどの観客が知らなかった。私自身も演劇に携わる前は偉そうに演出の良し悪しを語ったものだが、制作者になって演劇が出来る過程を知ってしてしまうと、演出は本当にわからないという思いが強くなった。
小劇場では作・演出を兼ねる場合が多いので、なおさら両者を分離することは無意味に思えてくる。意図的に戯曲のト書きには記さず、稽古を重ねながら口伝していく場合もあるだろうし、その逆もあり得る。もし観客や評論家が演出家に賞を出すとしたら、それは演出という見えない仕事に対してではなく、作品全体の芸術面での責任者という意味で授賞すべきではないかと思う。映画のようにポジションごとに細分化出来ない演劇に対して、スタッフを代表して賞を出すという考えのほうがふさわしいと思うのだ。