この記事は2001年3月に掲載されたものです。
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劇場との付き合い方
演劇と他の仕事を兼ねながら時間に追われて生活していると、芝居だけで食べていけたらどんなに幸せだろうと考えるのが普通である。昼間は次回作品の稽古に充て、夕方から小屋入りという生活を夢見る俳優も少なくないだろう。けれど、どんなに憧れの生活でも、それに慣れてしまうとルーティンワークになってしまい、小屋入りするのがサラリーマンの出勤と変わらない感覚になってしまうと、ロングランを体験した演劇人たちは語る。動員力から考えてもっと続けられるはずの公演を、数十ステージ限りにしている背景には、そうしたメンバーの精神面の限界があるのだろう。緊張感のある芝居を維持するには、芝居をしていない時間こそが大切であり、本番が続く生活は本当は苦しいことなのかも知れない。
その本番がエンドレスで続く場所、それが劇場である。カンパニーには公演こそがすべてで、楽日には燃え尽きて真っ白になってしまうところも多いだろう。バラシのとき、宴の後の寂しさを感じる演劇人は多いだろうが、劇場では翌朝に新たな仕込みが始まる。この繰り返しが精神的にとてもキツイと、私に本音を語ってくれた劇場関係者は多い。
「劇団の皆さんは公演で全部吐き出して打ち上げに臨めるでしょうが、劇場はまた明日から気持ちを切り替えていかないといけないんです」
昔こう聞かされて、それまで劇場の気持ちなど考えたこともなかった私は、公演がルーティンワークになってしまった劇場の苦しさを初めて知った。そう考えると、せっかくの公演だからこれぐらいのことは許される、問題が生じても終わってしまえば勝ちのような感覚が、非常に浅はかなものであることを思い知った。舞台や機材を壊せば次に入るカンパニーが困るし、近隣に迷惑をかければ劇場は追い込まれる。カンパニーにとって、そこは一公演だけの貸し小屋なのかも知れないが、劇場はその場所から動くことが出来ないのだ。どんなに作品が優れていても、制作や舞台運営で問題のあるカンパニーに劇場が厳しい態度を取るのはこのためである。
希望どおりに劇場を契約出来ない悔しさから、劇場は客商売であることを忘れているのではないかとの批判も耳にするが、私はそれは違うと思う。金を払う側が客として立場が上というのなら、学費を払う学生が受験で選別されることを説明出来ない。劇場は毎日本番を抱える演劇界のプロ中のプロである。立場上、決して口には出さないが、私がこれまでお付き合いさせていただいたどの劇場スタッフも、肥えた目で厳しい評価を内に秘めていた。そうした劇場で上演すること自体がカンパニーにとっては勉強であり、そこで選別されるのは当然のことではないだろうか。
カンパニーが特別と思っていることでも、劇場にとっては毎日なのだ。カンパニーがすごいと思っていることでも、劇場は過去に何度も経験してきたことなのだ。このことを肝に命じておくだけで、劇場との付き合い方はずいぶん違ってくるはずだ。