あの大地震があった翌朝、私がいちばん勇気づけられたのは、いつもどおり近所の豆腐屋が店を開き、美容院のスタッフが掃除をしていることだった。この時点で東京は直接的被害が少なかったが、東北の甚大な被害は報道を通じて刻々と伝わり、原発事故も不気味さを増していた。私自身も今後が見通せない漠然たる不安を抱えていた。そんな状況の下、昨日までと同じ風景が目の前にあるだけで癒される思いだった。失ってから初めてその価値に気づくものは少なくないが、普段は意識することのない近所の風景も、その一つだということを思い知らされた。
震災後の演劇公演については、その是非を巡って様々な意見があったが、東京という演劇が日常の風景になっている都市では、劇場施設や交通機関に問題がない限り、その上演を継続するのが当然だと私は思う。演劇の持つ力や公共性を訴えるつもりは全くない。むしろ震災直後の演劇は無力に近い。そんなことより、純粋に業として上演しているのだから、プロフェッショナルとして粛々と上演を続けるのが当然だと思うからだ。