KYOTO EXPERIMENT 2011 DOCUMENTSを拝読しました。140ページに及ぶ充実した内容でKYOTO EXPERIMENT 2011を総括するものとなっています。まだすべてに目を通せていませんが、自分たちの地域での演劇活動を振り返るためにも大変参考となる内容です。
中でもプログラム・ディレクターを務めた橋本祐介氏の「仕組みであると同時に運動でもあるフェスティバルの姿とは」の下記の部分には、考えさせられるものがありました。
東京の演劇関係者から見た地方の姿は、以前と比べてその乖離を小さくしていっていると感じていますが、偏見のような見方がまだ残っているのも事実でしょう。これは地域のアーティスト、カンパニー、アートマネージャーがより広く活動していって、解消するしかないのかもしれません。
また、公的支援のシステムは今過渡期にあると思っていますが、「文化庁芸術団体人材育成支援事業」が「次代の文化を創造する新進芸術家育成事業」に様変わりした結果、地域の実情にあわせたオリジナリティのある育成事業がやりにくくなったというのが私の実感であり、3つ目の引用部分にも深く頷けるものがあります。
地域のアートマネージャーにおいては、この総括誌を入手し一読されることを進めたいと思います。
必ずしもすべての演劇祭が、こうした総括誌をつくる必要があるとは思いませんが、語るべき理念やコンセプトを明確に持つ総合演劇祭ではこうした総括誌を作るべきでしょう。
私が総合プロデューサーを務めた福岡・九州地域演劇祭では総括誌を作成しました。さすがにKYOTO EXPERIMENT 2011とは規模が異なりますが、今後、地域で演劇祭を行う人への手がかりを残すことが出来ればという思いを込めました。
>「橋本:今回とても面白く仕上がったので是非見に来て下さい。批評家:だったら東京でも公演やってよ。」非常に違和感を持ったことを書き留めておく
この違和感におおきな共感を持っていましたが、今日あることに気づいて考えが変わりましたので補足します。
この批評家の発言が、
「(自分一人が京都に見に行くのは不可能ではないけど、そんなにいい芝居ができたなら、公演成果を拡げるためにも発信力のある多くの人に見てもらうべきで)だったら東京でも公演やってよ。」という文脈だとすれば、これは現状頷かざるをえないなと思いました。
というか、むしろ適正です。
そう考えての発言なのかどうかはわかりません。東京でやって当たり前という無意識から出た可能性も残ります。