劇場法(仮称)の議論について、前提条件の部分でなにか引っ掛かるものがあった。それを言語化すべく、「劇場法(仮称)が総論賛成各論反対になる理由――推進派はここをもっと説明すべき」を書いて以降、ずっと考え続けてきた。言葉が悪いが、やはり現在の議論では民間劇場はないがしろにされてしまうとの思いがあり、公共にしか出来ないことはなにかを突き詰めて考える作業をした。その答えがこの文章である。
劇場法(仮称)の原点は、全国に野放図につくられた約2,200館の公共ホールが活用されていないことだ。本来、自治体が競い合うように公共ホールをつくり続けてきたハコモノ行政自体が問われなければならない。国と自治体の関係から、そこまで踏み込むのが困難なことはわかるが、現在の劇場法(仮称)の議論を見ていると、どうしても「つくってしまったハコモノへの救済法」という印象が払拭出来ない。法律自体で拠点劇場の数が規定されるわけではないので、制定直後は拠点劇場の数を絞れたとしても、いずれ選に漏れた公共ホールが施設改修や人材強化で認定を目指すのではないか。それ自体は演劇人の雇用にはプラスかも知れないが、「劇場が多すぎる」という問題への抜本的な改善にはならないと感じる。
高萩宏氏も平田オリザ氏も、劇場の数が多すぎることでは一致している。両氏は劇評サイト「ワンダーランド」や日本劇団協議会機関誌『join』65号で、拠点劇場は30~100あればいいという考えを示している。私も同感だが、現在議論されている劇場法(仮称)の運用では、結局20年後には数100の拠点劇場が出来ているのではないか。劇場に限らず、需要を度外視して見栄だけで自分たちの自治体にも同じ施設が欲しいと考えるのが日本人の気質である。国立劇場を全国に設置するのならいいが、自治体の公共ホールを国の助成制度で拠点劇場化するという劇場法(仮称)のコンセプトで、数のコントロールが本当に可能なのか、私は非常に疑問に感じている。
総量規制が出来ない状態で、公共ホールだけを対象に劇場法(仮称)の議論を進めるのは、民間劇場にとっても不安である。公共ホールと民間劇場の役割分担が明確にされ、拠点劇場の数をきちんと決めるのがあるべき姿だと思う。そうでないと、助成金も数の論理で公共ホールに流れることになり、結果的に民業圧迫を招くことになる。これを補填する民間劇場への優遇税制が具体化していない状況では、民間劇場を劇場法(仮称)の対象にすることを真剣に考えるべきだろう。
劇場法(仮称)が嫌なら認定を受けなければいいだけの話で、推進派はなぜ最初から対象を公共ホールに限定しているのだろうか。図書館法や博物館法も民間の公益法人が設置した施設を対象にしているし、芸術拠点形成事業や「優れた劇場・音楽堂からの創造発信事業」も民間劇場を対象にしている。劇場法(仮称)だけが公共ホール限定になるのは不自然で、だからこそ「公共ホール救済法」に見えてしまう。平田氏が民間劇場を経営しているので、利益誘導にならないよう議論が起こらなかった面もあるが、推進派はいまこそ民間劇場を含めるかどうか、平田氏以外の民間劇場経営者たちも交えて幅広く議論すべきだろう。
数の規定がない状態で、公共ホールの拠点劇場化を一定数に抑えるにはどうしたらよいのか。それには、劇場に対する自治体の価値観を転換させるしかない。fringeでは、以前から「演劇に必要なのは、劇場よりも稽古場だ」「行政は、劇場をつくるより稽古場ビルを建てろ」を標榜してきた。劇場法(仮称)で不足しているのは、この稽古場に関する部分ではないかと思い至った。演劇は、劇場だけでつくられるものではない。稽古場を有する劇場は多いが、演劇界全体では稽古場は全く不足している。稽古場こそが創造環境そのものだと言っていい。稽古場を核としたアーツセンターの必要性を訴え、老朽化した公共ホールが改修時期を迎えたとき、拠点劇場を目指した改修をするのではなく、用途変更して稽古場施設にリノベーションするような意識改革が出来ないだろうか。
拠点劇場が最大100でよいということは、東京でも数か所でよいことになる。当然ながら通勤・通学の帰路に立ち寄りやすいロケーションを選び、平日の観劇を促進させるべきだろう。逆にベッドタウンの自治体は既存の公共ホールを稽古場施設に改修し、そこから全国へ作品を発信すればいい。劇場数を適正化するには、こうした自治体間の役割分担が不可欠だ。行政や住民にとっては、自分たちの自治体にも劇場が欲しいと思うだろうが、ベッドタウンにどんな立派な施設があっても、平日の稼働は限られる。自治体ごとに劇場を持つ時代は終わったのだ。
創造拠点の上限数がきちんと決まれば、民業圧迫の懸念もかなり薄れる。拠点劇場に認定された公共ホールに公的助成がシフトすれば、大ホールだけでなく、併せ持つ中小ホールを使った企画に民間の小劇場は相当苦しめられそうだ。これに対し、稽古場施設はいくらあっても問題ない。数が多ければ長期占有使用が一般的になり、作品のクオリティが向上する。結果的に演劇界全体の活性化につながるだろう。稽古場運営は、低料金になればなるほど公共にしか出来ない領域だ。長期占有使用を広めるには、自治体による稽古場施設を増やすしかない。この分野では廃校の転用が先行しているが、これから改修時期を迎える既存の公共ホールを稽古場施設にリノベーションする考え方があってもいい。
全国区の作品が巡演されるのは拠点劇場だが、稽古場施設にも発表用のスタジオは設ければいい。そこでワークインプログレスやトライアウトが日夜行なわれ、作品が磨かれていく。地域住民対象のワークショップも開けばよい。舞台機構を使った公演がないだけで、舞台芸術の息遣いが聞こえるアーツセンターなのだ。既存施設を稽古場にするのは、平田氏が富士見市民文化会館「キラリ☆ふじみ」プロデューサー時代に発案した「演劇トライアル」と同じだ。それをさらに進め、稽古場施設が劇場と同等であるという考え方に持っていくべきではないだろうか。稽古場施設にも芸術監督を置き、どんな団体・作品に長期占有使用させるのか、芸術監督が決めればよい。
劇場法(仮称)に拠点劇場と同等の扱いで稽古場施設を組み入れて根拠法とし、自治体に創造拠点でも鑑賞拠点でもない、稽古場施設という道を示すべきではないか。稽古場施設にもしっかりした助成制度の道筋をつけ、自治体の側から公共ホールの用途変更に踏み出すような誘導が出来ないだろうか。これが20年後の拠点劇場乱立を防ぎ、民間劇場も納得する役割分担だと思う。稽古場施設なら、劇場法(仮称)に距離を置いていた芸術団体の多くが接点を持ち、関心も高いはずだ。演劇界の合意形成も一挙に進むだろう。
現在の劇場法(仮称)の議論は、ハコモノ行政への対処療法で、根治療法ではないと思う。拠点劇場がどのくらい増えるのか総量規制が出来ない状態で、民間劇場との役割分担も曖昧なままだった。だから民業圧迫の懸念が拭えず、優遇税制など別の対応を考えなければならなかった。絶対に行政にしか出来ないことは、低料金の稽古場施設である。それを選択肢に加え、拠点劇場になれない公共ホールの用途変更を図るべきではないだろうか。