この記事は2011年1月に掲載されたものです。
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「創り手と観衆との距離が縮まったが為に死んだ批評性」

カテゴリー: フリンジのリフジン | 投稿日: | 投稿者:

●「fringe blog」は複数の筆者による執筆です。本記事の筆者は 荻野達也 です。

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Twitter上で1月22日~23日にかけ、新宿シアター・ミラクル支配人の星英一氏と、観客のK_OSANAI氏のあいだで、たいへん興味深い意見交換があった。私の書いた「いまの東京の小劇場界を盛り上がっていると感じている人は、大きな勘違いをしていると思う」にも通じるところが多いと感じるので、Togetterでまとめさせていただいた。

Togetter – 「演劇コミュニティを巡る星英一氏とK_OSANAI氏の意見交換」

赤字でデコらせていただいたが、星氏の書かれている、ITが発達したがゆえに逆に身内客しか劇場に来なくなって演劇は退化しているのではないかという指摘や、終演後に身内客であふれる客席を見ると、そもそも演劇をやりたくてやっているのではなく、コミュニケーションの目的がたまたま演劇だったのではないかと感じる点などは、本当に考えさせられる。

Twitterによる劇場キャンセルの穴埋め企画を実現したり、演劇ツイートまとめサイト「TwitStage」を運営する星氏自身がこのようなジレンマを抱えていることは、演劇の間口を広げるということがいかに難しいかを物語っている。なにが正解なのか、走りながら考え続けなければならない時代だが、そこで羅針盤になるのが、まだ演劇に出会っていない観客の視点だろう。演劇にどっぷり漬かっている人ほど、第三者の視点を持ち続ける必要がある。視点をいくつ持てるかが、ブレイクスルーの基本だと思う。

ところで、K_OSANAI氏は「創り手が、唐vs寺山みたいなガチと注射が半ばするエンターテインメントを繰り広げられなくても」と書いているが、これをやりたいと思っている演劇人はいると思う。この背景にはカンパニー制が緩くなり、客演への依存度が増した現在の創作システムがある。喧嘩したくても、今後のことを考えるのだろう。でも、相変わらず身内だけの飲みの席ではいろいろ言っているはずで、それをもうちょっと表に出してもいいんじゃないか。志ある人は、ぜひ熱いバトルを見せていただきたい。

距離が縮まると批評が難しくなるのは、もちろんこのfringeにも言えることなので、その点は最大限の配慮をしている。是々非々がこのサイトのモットーであり、それが出来なくなったらサイトを閉じるときだと心得ている。