この記事は2011年1月に掲載されたものです。
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身内客・常連客との関係性

カテゴリー: フリンジのリフジン | 投稿日: | 投稿者:

●「fringe blog」は複数の筆者による執筆です。本記事の筆者は 荻野達也 です。

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「創り手と観衆との距離が縮まったが為に死んだ批評性」に関連して、身内客・常連客に対する私自身の考えを改めて紹介しておきたい。

まず、ナレッジ「身内客から一般客へ移行するためのロードマップ」で書いているように、身内客そのものは重要な存在である。カンパニーの初期はどうしても劇団員の手売りに頼らざるを得ないわけで、その意味で旗揚げを支えてくれた恩人と言っていい。重要なことは、観客が増えるに従って一般客が疎外感を抱かないよう、その存在感を薄くしていくことである。これは身内客をないがしろにするわけではなく、接遇のテクニックを使って、それぞれのサービスレベルをきちんと両立させるのだ。

例えば、身内客・常連客だけを集めたクローズドな催しはあってよい。ここには一般客は同席しないので、身内客・常連客向けの特別なサービスをすればよい。それがカンパニーと伴走してきてくれた身内客・常連客への感謝の気持ちだろう。

これに対し、通常の公演は一般客が混在するわけで、神経を遣わなければならない。初見の一般客が次の公演に足を運ぶかは、作品内容と共にここが重要だと思う。受付で「劇団員に誰かお知り合いはいませんか」と尋ねてはならないことは何度も訴えてきたが、終演後の面会については、まだ意識が徹底していない公演が多いように感じる。

劇場ロビーで面会となると、スペース的に一般客の帰りの導線をふさいでしまうことになるし、広いロビーがあったとしても、終演後の余韻に浸りたいと思っている個人客にとって、人の輪を横目で見ながら帰るのはいかがなものかと思う。一般客の中には、素の状態に戻った俳優を見たくないという人もいるはずだ。

こうした様々なデメリットを考慮すると、小劇場での面会は、希望する観客に終演後も客席に残ってもらい、そこで行なうべきだと私は考える(中劇場以上で充分なバックヤードや楽屋スペースがある場合は、もちろんそちらがベター)。こまばアゴラ劇場は2階が劇場だが、楽屋が1階のため面会が1階ロビーで行なわれることが多い。このため、面会客が劇場前の道路にあふれている光景も目にする。こうした小劇場は、客席での面会を基本にすべきである。次のステージのプリセットに影響するが、これしかないと思う。

私が担当した遊気舎では、面会場所を確保出来ない小劇場ではこれを実践した。ただし、作・演出の後藤ひろひと氏のこだわりで、素に戻った俳優が客席に行く場合は、必ず客席入口から入ることを徹底させた。舞台袖から装置が建て込まれている舞台を経由して客席に行くのは、作品世界の余韻を壊すことになるとして絶対禁止だった。そういう意識合わせをした上で、面会をオペレーションしたのである。

身内客・常連客の側にも言いたいことがある。客席で明らかに身内客・常連客だとわかる会話は慎んでもらいたい。特に演劇人同士が打ち合わせに近い内容の話をしたり、招待席で隣り合った演劇評論家や記者が情報交換などをするのはやめてほしい。ここはあなた方のサロンではないのだ。一般客がすぐそばにいる本番公演中の劇場なのだ。そうした話をしたいのなら、劇場を出てから喫茶店でやってほしい。

特別な常連客に対しては、完売済みのチケットを用意したり、飲み会に招くこともあるだろう。それ自体は構わないが、そうした特別待遇をブログやTwitterに平気で書く常連客を散見する。それを読んだ一般客がどう感じるか、想像したことがないのだろうか。いくら本数を観て劇評を書いていても、その人物は小劇場の未来を思っているのではなく、自分自身の自己満足なのではないかと思う。基本的なマナーが欠けている常連客を切る勇気も、カンパニーには必要だろう。

Togetterでは、その後アロッタファジャイナの松枝佳紀氏が「K_OSANAI氏による観客と劇団の距離の変遷まとめ」を作成しているので、こちらも参照を。

(参考)
敢えて日記には書かない
「劇団員に誰かお知り合いはいませんか」撲滅運動
続・「劇団員に誰かお知り合いはいませんか」撲滅運動