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 文化庁が早ければ平成24年の通常国会に提出したいとしている劇場法(仮称)は、「劇場・音楽堂等の制度的な在り方に関する検討会」が昨年12月に設置され、具体的な論点整理と制度設計の段階に移った。演劇界では総論賛成各論反対の状況を呈しており、これに自治体の思惑も絡んで業界全体としての合意形成に至っていない。現在の議論に不足している視点を、演劇の創造環境整備にかかわる立場から提言したい。

 劇場法(仮称)の出発点は、劇場に対する根拠法がないこと、オーバースペックの公立文化施設が乱立し、それを活用する人材がいないことにある。多目的ホールならぬ「無目的ホール」と揶揄される所以だ。このため、社団法人日本芸能実演家団体協議会(芸団協)の案では、創造型と提供型の拠点劇場を認定し、国による新たな支援制度の枠組みをつくろうとしている。法制度そのものに対する慎重論、地方分権への逆行という反対論もあるが、全体の方向性は現場から一定の支持を得ているようだ。

 問題は数を絞れるかということだ。拠点劇場が乱立すると、現在となにも変わらないことになる。せっかくの支援制度も、劇場側に制作機能がなければ、創造とは名ばかりの「無料の貸館」に等しくなってしまい、民間劇場に対する民業圧迫となる可能性が高い。一度枠組みができてしまうと、「自分たちの自治体にも拠点劇場を」と考えるのが日本人の常である。こうした思考がハコモノ行政を招いたのであり、このままでは20年後に同じことの繰り返しにならないだろうか。自治体側にも劇場法(仮称)への過度な期待があるようだが、これは拠点劇場をばらまく「公共ホール救済法」であってはならない。

 民間劇場に対しては優遇税制の必要性が指摘されているが、具体的進展がない。ならば劇場法(仮称)の対象に含めるかどうか、改めて議論すべきではないか。なぜ支援が公立文化施設だけなのか、そもそも公共と民間の役割分担はどうあるべきなのかという根源的な議論がないことが、各論反対の火種になっている。日本で公共ホールの概念が定着したのは90年以降と新しく、創造拠点の役割を担ってきたのは民間劇場といえる。芸団協案でもこの部分が抜け落ちている。表現への政治介入を避けるため、意図的に公立文化施設のみを対象にしたのかも知れないが、この議論こそが今必要だと思う。図書館法、博物館法が民間の公益法人を対象としていることへの整合性にも欠ける。

 すでにオーバースペックで、拠点劇場になれない公立文化施設をどうしていくかという道筋も必要だ。芸団協案にはないが、稽古場施設という分類を設け、今後大規模改修を迎えた際に、自治体自身が用途変更を図るスキームを提供できないだろうか。演劇の創造では劇場よりも稽古場が重要であり、稽古場施設が真の創造拠点といえる。低料金の稽古場施設こそ、行政にしかできない領域だ。芸術監督を配置して地域住民へ創造過程を公開し、ワークショップを開催すれば、拠点劇場に匹敵する存在となる。ハコモノ行政を繰り返さないために、劇場がすべてではないという価値観の転換を促してほしい。

 こうした課題を含んでいる法制度を、性急に決める必要はない。民主党政権下でなければ成立しない性格のものでもない。劇場の根拠法は演劇人にとって長年の願いだが、だからこそ問題点を徹底的に議論して、後発にふさわしい最良のものにすべきである。

『メセナnote』68号「文化政策ウォッチング」(企業メセナ協議会、2011年)掲載