この記事は2018年11月に掲載されたものです。
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演劇の創客について考える/(26)谷賢一氏のTwitterが完全に「情熱大陸」になっている

カテゴリー: 演劇の創客について考える | 投稿日: | 投稿者:

●「fringe blog」は複数の筆者による執筆です。本記事の筆者は 荻野達也 です。

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●分割掲載です。初めての方は(予告)から順にご覧ください。

本連載の「(11)Twitterは宣伝ツールではなくライフログだ、アーティストは『情熱大陸』に密着取材されている心境でつぶやこう」では、谷賢一氏(DULL-COLORED POP主宰)のツイートがいかに魅力的かを書きました。谷氏のタイムラインを見ていると、まさに画面から葉加瀬太郎の曲が流れてくるようでした。

作・演出を務めているワタナベエンターテインメント+ゴーチ・ブラザーズ『光より前に~夜明けの走者たち~』公演を前に、これぞ「情熱大陸」と思えるタイムラインになってきましたので、再度紹介したいと思います。

断わっておきますが、私は別に谷氏の熱狂的ファンではないし、谷氏の発言すべてに賛同しているわけでもありません。考えが異なる部分も当然ありますし、評価はあくまで作品単位です。逆に谷氏もfringeを同様に評しています。それでも演劇とはなにかを真摯に考え、それを行動に移し、相手が誰であっても胸襟を開こうとする姿勢は、一人の人間として魅了されます。歳上の人々から信頼を得ているのも、そのためでしょう。このツイートの紹介も、アーティストのTwitterの活用方法として優れていると思えるからです。

谷氏が特別だとも思っていません。このツイートを見た他のアーティストが、「これは谷賢一だから出来るのであり、自分には無理」と思った時点で、勝負はついているのではないでしょうか。東京在住でなくても、大手プロダクションの仕事でなくても、アーティストとして「こういうツイートをする人の作品なら観てみたい」と思わせる発言は出来ると思います。そんなタイムラインがあれば教えてください。今度はそれを紹介したいと思います。

執筆時期のツイート。同じことを感じている演劇人は多いはずですが、こうして感情を吐露することは少ないでしょう。

稽古初日のツイート。短いセンテンスを重ねたテンポのよい文章です。こんな文章は自分には書けないって? じっくり推敲すればいいじゃないですか。SNSであっても、世の中に発表する文章に変わりはありません。表現に携わる者なら推敲を重ね、永遠にネットの海に残ることを覚悟して投稿すべきだと思います。最近の炎上や論争を見ると、文章を仕事にしているのに脊髄反射で投稿してしまう人が多すぎるのではないかと感じます。

稽古中はプロデュース公演の本質に関するツイートが飛び出します。

マラソンが題材なので、それに関係するツイートが多くなるのは当然ですが、単なる内容紹介ではなく自分たちの状況をマラソンに例えています。こうした表現が出来る演出家を私はあまり知りません。

ライフログなので、私生活も織り込みます。このあと両親への感謝を味わいある言葉で語り、母親をモチーフにした代表作『くろねこちゃんとベージュねこちゃん』の再演について、嫌味なく話題をつなげます。これは職人芸だと思いました。

画面から葉加瀬太郎の曲が流れ始めました。

公演が近づき、集客のために確信犯でつぶやている部分もあると思いますが、宣材や記事の文章とは違う次元で書かれた、アーティスト自身の魂の叫びがここにあります。こうした演出家の言葉があればこそ、観客は動くのだと思います。

そうきたか。

今回は集客に苦戦しているのでしょう。ブログに谷氏個人レベルの企画意図が赤裸々に公開されました。「そこまで書くか」という内容まで綴られています。「情熱大陸」でも、ここまでアーティストの本音を引き出せたら大成功でしょう。それをセルフプロデュースしているわけです。もちろん、露骨なチケット購入のお願いはありません。

私自身、観劇予定に入れていなかった作品ですが、まだまだ残席があるようなので、今回は谷氏のTwitterだけで観ることにしました。「観てもいいな」と思ったのは、もちろん上記の葉加瀬太郎の曲が流れたツイートを目にしたからです。こういうことは、年に1回あるかないかです。

繰り返しになりますが、谷氏のツイートが特別だとは思っていません。地域で少ない観客を相手に上演している人でも、Twitterを宣伝ツールではなく、アーティストとしての矜持とセンスを伝えるライフログに出来るはずです。そんな魅力あるツイートが増えることで、演劇を見る周囲の目も変わってくるでしょう。

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