波紋を呼んだ朝日新聞大阪本社版3月19日付夕刊記事(以後「朝日新聞記事」)、それに対する平田オリザ氏の青年団サイト4月1日付「新年度にあたって 文化政策をめぐる私の見解」(以後「4月1日付見解」)、そして平田氏自身が「それをお読みいただければ、おおかたの誤解は解ける」とした日本劇団協議会機関誌『join』68号のロングインタビュー(以後「『join』68号」)と、この話題を巡る情報は一定のレベルで共有されつつある。平行して文化審議会文化政策部会の議論も進み、劇場法(仮称)は法制化に向けて着実に進んでいるようだ。この時点での私の考えをまとめておきたい。
劇場法(仮称)の提言自体は大いに賛成。
多すぎる「劇場」の差別化、公演助成から劇場助成へのシフトは
fringeも長年主張してきたこと。
公立文化施設を対象にした芸団協による劇場法(仮称)の提言自体は、私もそのとおりだと思う。fringeでは以前から、劇場の無秩序な増加はむしろ創造環境に弊害を生むと考え、真の「劇場」とそうでない施設を分けるべきだと主張してきた。上演のためのスペースはたくさんあっていいが、それと人々が認知する「劇場」は分けるべきである。そのほうが結果的に観客の間口を広げ、「劇場」で上演することを目指した芸術団体の切磋琢磨になるはずである。このことは2006年の「ロングラン定着で小劇場演劇から〈負の連鎖〉を断ち切れ!」で詳しく説明している。
芸術団体への支援も公演助成から劇場助成へシフトすべきと考えてきた。04年の「公演助成から劇場助成へ」でも明記している。最大の理由は、公演助成では助成先を適切に採択出来ないからだ。無数にある芸術団体を限られた選考委員で選ぶのは無理があり、どうしても東京に偏ってしまう。特に地域の若手など絶望的だ。助成を本当に必要としている若手を支援するためには、地域の演劇事情に精通している劇場に助成し、劇場が劇場費減免などの形で支援すべきである。
現在の公演助成が赤字補填のみを目的にしているのも納得出来ない。赤字補填しか認めないから、結果的に芸術団体側が赤字になるような決算報告にせざるを得ないのだ。芸術文化振興基金等では07年度から制作者の企画制作料も対象となったが、これも公演に直接関わる分だけで、常勤スタッフの給与や事務所費用は認められていない。公演は赤字、しかも団体を維持する費用は認めないということになると、常勤の制作者はどうやって収入を得たらいいのか。この奇妙な助成制度は誰が設計したのかと思う。
黒字公演に公的助成は必要ないという理屈だろうが、間接経費を考慮すると黒字でなければ団体を維持出来ないわけで、芸術を支援する考え方として赤字補填は根本的に間違っている。単に不正の温床になるだけである。このことは曽田修司氏(跡見学園女子大学教授)が04年に個人ブログで明快に示している。
ときどき、ドキドキ。ときどき、ふとどき。「助成を受けたプロジェクトが黒字になってもいい理由」
私自身こうした考え方なので、朝日新聞記事を読んだあとに開催したミニアンケート「劇場法を巡る報道で伝えられた次の案について、あなたの考えは?」に回答すると、「作る劇場」「見る劇場」に分けることは賛成、公演助成から劇場助成にシフトすることも賛成で、「賛成・賛成」になる。この案は当初「平田案」として記載していたが、4月1日付見解で「公的助成は劇場に集中させ、カンパニーへの助成は劇場経由とする」ことがすべてではないことがわかり、「平田案」の文言を削除し、回答受付も早めに終了した。ただし読者の考えを知る参考になると思い、結果自体は残している。公演助成から劇場助成へのシフトについては賛否が拮抗しているが、「作る劇場」「見る劇場」に分けることは賛成が合計67%と上回っている。ハコモノだけの公共ホールが多いことは、皆さんも実感しているのだろう。
合意形成にもっと時間をかけるべき。
劇場法(仮称)は個別法で、文化芸術振興基本法のときとは違う。
芸団協が公式の会議体やラウンドテーブル開催で合意形成を進める一方、平田氏の手法には拙速と思える部分がある。これはきちんと指摘しておきたい。
平田氏は朝日新聞記事から生じた誤解について、「たいへん遺憾に感じています」と書いているが、本来は誤解を招かぬよう、内閣官房参与に就任して劇場法(仮称)の議論が本格化する前の時点、つまり昨秋の段階で構想の全容を青年団サイトに文書で発表すべきだったと思う。それをせずに講演会や取材で小出しに考えを述べれば、曲解される危険性も高まる。発言の一部だけがネットで一人歩きすることもある。多忙で時間が取れないのなら、青年団制作部が聞き手になってロングインタビューしたものをテープ起こしすれば、『join』68号と同等のコンテンツを昨年中につくれたはずである。青年団制作部もボスを応援するために、そうしたことを自発的にやるべきだったと思う。
劇場法(仮称)は、01年の文化芸術振興基本法制定直後から構想に携わってきた人々にとって、長年の悲願という思いが強いだろう。劇場に関する法律がなかったこと自体おかしいという感覚で臨まれていると思う。しかし、それ以外の演劇人は、劇場法(仮称)という言葉をここ数か月で初めて耳にした人がほとんどだろう。この温度差を埋めるためにも、今回は議論を尽くさなければならないと私は思う。文化芸術振興基本法のときは、この機会を失いたくないとの思いが推進側に強く、業界全体の合意形成よりもスピードが優先された感があった。基本法の論議はそれでよかったのかも知れないが、個別法である劇場法(仮称)は関係者に具体的に関わるものだ。議論の手間を惜しんではならない。
演劇人は論争好きなので収拾がつかなくなるとの意見も耳にしたが、法律制定が多少遅れてもいいではないか。劇場法(仮称)は演劇だけのものではなく、舞台芸術全体を対象にしている。演劇界だけ議論が先行しているようだが、これから舞踊界や音楽界とも合意形成していく必要があることを考えると、まだまだ時間が必要なはずだ。推進側も基本法とは違う、個別法にふさわしいスケジュール感で臨むべきである。
平田氏は『join』68号で「(芸団協の)お手伝いをしているのに、なぜ個人攻撃されるのか、まったく意味がわからない」と語っているが、日本劇団協議会の説明会では、平田氏の持論も交えた内容になったと聞いている。平田氏の持論は新劇系カンパニーと対立する部分もあり、当事者を前にしての発言で反感を買った個所もあるだろう。平田氏が〈確信犯〉で発言をしているのなら大したものだが、平田氏自ら「芸の域にまで達した」と認める「芸術の公共性」論の説得力に比べると、劇場法(仮称)についてはまだ説明が足りないように思える。劇場法(仮称)の重要性を考えると、主義主張の違いを乗り越えて実現すべきものであって、反対意見を「後ろから鉄砲を撃たれる」という言葉で片付けてしまうのはいかがなものか。大変なのはわかるが、内閣官房参与就任を受諾したのは自分自身なのだから。
参与が単なるアドバイザーだというのは、そのとおりだろう。2月28日放送のNHKスペシャル「権力の懐に飛び込んだ男 100日の記録」で、「年越し派遣村」村長から内閣府参与になった湯浅誠氏(NPO法人自立生活サポートセンター・もやい事務局長、反貧困ネットワーク事務局長)の仕事を見たが、確かに決定権はなにもなく、縦割り行政の狭間で苦悩していた。平田氏も同じ立場だと思う。だから内閣官房参与としての平田氏に過剰な期待はしていないが、文化政策の動向を知り得る立場の人間として、業界との橋渡し役を務めてほしいと思う。まさに行政と業界とのコミュニケーションデザインを図ってもらいたいのである。
芸団協は今後の助成金のロードマップも追加提言すべき。
わかりやすい図で助成金全体のパイが増えることを明示すべき。
芸術団体が劇場法(仮称)で最も注目しているのが、今後の助成制度と劇場製作による創造環境の変化だろう。劇場法(仮称)と助成制度は別の枠組みで、劇場法(仮称)が制定されても現状の助成制度がすぐになくなることはない(結果的に助成金全体のパイが増える)、というのが推進側の一致した見解のようだ。別の枠組みなので、劇場法(仮称)の提言自体にこのことは明文化されていない(むしろ既存の助成金を原資に回すのではと錯覚する)。このことが演劇人を不安に陥れ、反対を招いている一因だろう。
平田氏も4月1日付見解や『join』68号で初めて、「劇団への現在の助成金額は、とにかく最低限、現状維持」「劇団への助成金は減らさずに劇場への助成金を増やしていきたい」とした。平田氏は「それが最初からの目標です」と語っているが、聞き手の古城十忍氏が「という方向に変わったんですか?」とツッコミを入れているぐらいなので、やはり説明不足だったことは否めないと思う。この点を推進側は真摯に反省していただきたい。
いまからでも、芸団協は助成制度の今後のロードマップを、わかりやすい図を添えて追加提言すべきである。4月16日に発表した「実演芸術の将来ビジョン2010(第一次案)」の助成制度に対する提言がそれに相当するのかも知れないが、もっとわかりやすい助成制度全体のイメージ図を描くべきだ。全体のパイが広がることをきちんと図で示せば、合意形成にも効果的だろう。現在の公演助成(本来は団体助成に戻すべき)が劇場法(仮称)とは別の枠組みで存続されることを示し、その上で今後は公演助成をさらに増額するのではなく、劇場への助成によって助成金全体が増えていくことを明示してほしい。これまで推進側は、「そんなこと、わざわざ書かなくてもわかってるじゃん」という意識だったと思う。そこが演劇人全体との温度差なのだ。これを埋めなくてはいけないと思う。
劇場法(仮称)が制定され、創造拠点が劇場に移っていくにしても、カンパニーという制度は残るだろうし、民間劇場での手打ち公演を貫くところもあるだろう。劇場法(仮称)は公立文化施設を対象にしているため、民間劇場が今後どうなっていくのかが見えない点も不安要素だ。
具体的に書くと、例えば今年度の芸術創造活動特別推進事業で、小劇場系で最も助成金額が多い燐光群(4作品4,460万円)は、ザ・スズナリで2~3週間上演した作品を旅公演に持っていくことが多い。地域によっては信頼関係を築いている民間劇場を使う。こうした長年培われた良好な関係性が、劇場法(仮称)制定後も変わらないでほしいと思うし、それが可能な公演助成(本来は団体助成に戻すべき)を維持してほしい。民間劇場で公演すると助成金が出なくなり、民間劇場の借り手が減るようでは絶対にいけない。『join』68号で平田氏は既存のカンパニーを分類し、「もう劇団たらざるを得ないところ、ほぼ万人が認める、『この人たちはしょうがない』みたいな」カンパニーには、「多くの助成金を出してもみんな文句は言わない」としている。私は燐光群がこの分類に入り、現在の公演スタイルを貫いてほしいと思う。
助成制度では、文化庁の今年度新規事業「優れた劇場・音楽堂からの創造発信事業」が注目される。専属・フランチャイズの団体による公演を対象事業にするなど、明らかに劇場法(仮称)制定を視野に入れた動きだ。支援対象は法人格があれば民間劇場でもよく、5月14日に追加掲載されたQ&Aでも「公立、民間の別はありません」と明記された。5年間という長期の継続支援で金額も大きい。この事業に加え、芸術拠点形成事業で選ばれた劇場・音楽堂が劇場法(仮称)の対象拠点になっていくと思われるが、選ばれた民間劇場への支援が劇場法(仮称)制定後も減ることがないよう、強く求めたい。
日本の演劇文化を育ててきた民間劇場へのリスペクトを。
利益誘導になってもいいから平田氏は民間劇場への支援を主張すべき。
こまばアゴラ劇場の支配人でもある平田氏は、民間劇場について語ると利益誘導になるとしてノーコメントだが、それはいかがなものか。世の中には公共ホールと民間劇場しかないわけで、民間劇場について語らないことは片手落ちである。結果的に利益誘導になっても、そのことで誰も文句言わないだろうし、それで文句が出るようなら、そのときこそ演劇界が一致団結して平田氏を援護射撃したい。
劇場は公共性が高いのに、図書館法や博物館法のような個別法がなく、単なるハコモノになってしまっているというのが今回の出発点だと思うが、そもそも日本の演劇文化は民間劇場で発展してきた。公共ホールの自主事業と言っても、その実態の多くはパッケージの買取公演で、自主製作で優れた作品を提供し始めたのは1990年代になってからだ。公共ホールを演劇人に取り戻したいという理念はわかるが、同時にこれまで日本の演劇界を育ててきた民間劇場に対するリスペクトを失ってはならず、民業圧迫にならない措置が必要である。私は、07年の麻布die pratze閉館決定のときに真壁茂夫オーナーが書いた文章を忘れることが出来ない。
die pratze blog「麻布die pratzeの閉館について」
私個人は、行政が提供すべきは劇場より稽古場施設で、都市部の公演は民間劇場で行なったほうがよいと考えている。07年の「都市部に貸館中心の公共ホールは要らない」を読んでいただきたい。公共ホールの自主事業の実態は、パッケージの買取公演や劇場費無料の貸館といったものが多い。劇場法(仮称)によって公共ホールが演劇人の手に戻ったとしても、本当の自主製作かどうかをレビューし、公的資金による民業圧迫にならないよう監視すべきだろう。
劇場法(仮称)制定と平行して進めなければならないのが、民間劇場に対する事業収入や固定資産の非課税措置だ。民間劇場は営利や貸館中心なのが助成制度にそぐわないとされるが、厳しい経営状況がそれをやむなくさせているのであり、逆に貸館を通して独自の選択眼でカンパニーを切磋琢磨させてきた民間劇場の努力に感謝すべきだ。非課税措置で余裕が出来れば、民間劇場の創造環境は劇的に変わると思う。民間劇場にも公共ホール同様の公共性があるわけで、本来なら劇場法(仮称)と同じ観点で、人件費や設備更新に対する補助金があってよい。06年に書いた「舞台芸術のために国や自治体は民間劇場向けのイス設置奨励補助金を」はそんな思いが詰まっている。
『join』68号で平田氏は、「貸し劇場についても、芸術施設の免税措置は別の形で、どうにかしてやりたい」と語っている。「どうにかして」ではなく、「なにがなんでも」やるべきだ。劇場法(仮称)制定よりも、こちらが先でよいくらいである。民間劇場が対象になるので、これも平田氏にとっては利益誘導になるかも知れないが、利益誘導でいいからどんどん進めていただきたい。
芸術文化振興の財源をどうすべきか。
これは演劇人である以前に日本人としての課題である。
最後に、助成金全体のパイが増えることについて、その財源について触れておきたい。今後も芸術文化に対する支援制度は拡充すべきだろうから、これは避けて通れない課題だ。
不景気による税収不足という要因があったにせよ、国の今年度一般会計は過去最高の新規国債発行を行ない、当初予算の段階から借金が税収を上回る非常事態となっている。予算編成前の民主党政権は埋蔵金やムダの見直しで財源は確保出来ると豪語していたが、今年度予算で結果は出ておらず、財政破綻の懸念がつきまとっている。マニフェスト実現のためにさらに予算が必要とも言われており、当然ながら消費税増税も現実味を帯びたものになるだろう。
私たちは演劇人である前に日本人である。各自が国の財政に関心を払うべきであり、助成制度の動向だけで一喜一憂すべきではない。財政難の中、支援制度の拡充を目指そうと思えば、当然ながら財源の確保が必要となる。増税の是非を巡る議論の中で、「演劇に公的資金を注ぎ込む必要があるのか」ということになるかも知れない。従来にも増した公共性の理論武装に加え、これからの日本になにが求められているのかを考えていかねばならない。文化政策を考えるということは、これからの国を考えることと同じなのだ。