この記事は2011年11月に掲載されたものです。
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全国に拠点劇場が乱立したら、劇場法(仮称)は破綻する

カテゴリー: フリンジのリフジン | 投稿日: | 投稿者:
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「ネットTAM」の「アートマネジメント事始め」に連載していた「劇場法(仮称)入門」が完結した。「入門」なので客観性を心掛けてきたが、最後の「今後の展望」は持論を書かせていただいた。「無目的ホール」の稽古場施設への転用、プロパー職員の増員、貸館における民間劇場との役割分担で、こういう議論をしてほしいと思うことを具体的に挙げた。

私たちが図書館、博物館を認知するのは、そこがいつも開かれているからだ。単に開館しているだけではなく、開架や展示といった本来業務をしているからこそ、そこが図書館、博物館だと誰もが気づく。こうした施設でもアウトリーチ活動は行なっているが、背景には必ず日常的な本来業務がある。これに対し、公共ホールはアウトリーチ活動が盛んになっても、本来業務である公演がまだ限られている。アウトリーチに触れて劇場に足を運びたくなっても、肝心のホールが扉を閉ざしているのが現状だと思う。「公共劇場」と呼ばれる先進的なホールでも、公演でスケジュールが埋まっているところは限られた一部である。

図書館、博物館と比較したが、ライブである舞台芸術作品でスケジュールを埋め尽くすのは、非常に大変なことだ。並の公共ホールでは不可能だと思う。だからこそ拠点劇場を選定し、そこに人材と資金を集中してほしい。劇場は、公演していてこそ劇場と認知される。たまに素晴らしい公演があっても、それ以外でホールの扉が閉じられていては、舞台芸術に関心のない市民にとっては無用の長物に映ってしまう。図書館との複合施設になっている劇場では、図書館の利用者から「閲覧室が満席なのにホールの扉はいつも閉まっている」などの声が聞かれる。こうした市民の率直な意見に、いまの公共ホールは反論出来ないのではないか。

平田オリザ氏は『芸術立国論』で演劇の公共性を提唱し、医療や教育に例えてその必要性を訴えた。だが、それがあまねく保障されなければなならいことを強調しすぎたため、読者が自分の都合のよいように解釈していると思う。医療施設には、診療所から大学病院まで様々な規模がある。大学病院がすべての街にある必要はないし、そんなことになったら医師不足、患者の奪い合いになってしまう。同様に拠点劇場も数を限定することが不可欠だ。平田氏や高萩宏氏の最初の実感である「拠点劇場は30~100あればいい」という考えが重要で、劇場法(仮称)はそれを推進する法律であってほしい。全国に拠点劇場が乱立したら、この法律は破綻すると思う。

「今後の展望」では、多くの公立ホールに拠点劇場をあきらめてもらい、その代わりに稽古場施設への転用を目指してほしいと書いた。どうしても拠点劇場を目指すなら、プロパー職員の増員に踏み切る覚悟があるかも問うた。プログラム充実のためには、貸館の重要性が再認識されると思うので、そこで生じる民間劇場との役割分担も改めて強調した。文化庁による「劇場,音楽堂等の制度的な在り方に関する中間まとめ(案)」へのパブリックコメント募集も始まっているので、ぜひ参考にしていただきたい。

可児市文化創造センター館長兼劇場総監督の衛紀生氏が提唱している劇場の社会的効用や社会包摂的機能について、少し触れておきたい。劇場の公共性を考える上で、非常に意義のあるミッションで、いわき芸術文化交流館アリオスなどが実践していることだと思う。ただし先に述べたように、アウトリーチ活動が盛んなだけでは、アウトリーチ専門施設になってしまう(ホールは要らない)。必ず公演との両輪であるべきで、これがホールが閉じていてもよい理由にならないよう願いたい。

(参考)
劇場法(仮称)に対する私の考え
劇場法(仮称)が総論賛成各論反対になる理由――推進派はここをもっと説明すべき
劇場法(仮称)を「公共ホール救済法」にしないためには、稽古場施設と民間劇場も対象にすべきである

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