この記事は2010年9月に掲載されたものです。
状況が変わったり、リンク先が変わっている可能性があります。



劇場法(仮称)制定後の「天上がり」「制作外注」について考える

カテゴリー: フリンジのリフジン | 投稿日: | 投稿者:

●「fringe blog」は複数の筆者による執筆です。本記事の筆者は 荻野達也 です。

Pocket

今回は、劇場法(仮称)制定後の現場の変化について考えてみたい。法案自体がまだどうなるか全く見えないが、公共ホールに専門職員を配置し、芸術家とプロデューサーの手に劇場を取り戻すという理念は変わらないと思うので、その延長で考えを巡らせると、現実問題として俎上に載ってくるのが「天上がり」「制作外注」ではないかと私は想像している。

誤解のないように記しておくが、私は別に劇場法(仮称)にネガティブな印象を与えたくてこれを書くのではない。実際にこうした状況が発生するだろうから、それについて心構えをしておくのがよいのではないかというスタンスだ。ためにする議論のつもりは全くないので、そこは間違えないでいただきたい。

「天上がり」は、東京の演劇人が他地域の劇場を支配する懸念を意味する。流山児祥氏は個人ブログ「祥 MUST GO ON!」7月29日付で、「演劇天上がりが地域にじゃぶじゃぶ送り出される時代がやって来た」と「妄想記」を披露している。これに対し、平田オリザ氏がよく例に出すのがプロスポーツで、野球やサッカーの監督・選手が地元出身である必要はなく、そこで質の高い活動をすれば地域性はあとからついてくると語っている(まど。「平田オリザ氏インタビュー」)。

自分を必要としている場所に出向くのは、どの業界にもある話だと思うので、平田氏の言いたいことは理解出来るが、その地域にどこまで根ざした活動が出来るかが問われるだろう。当然のことながら非常勤ではダメで、その地域に移住することが求められる。これは可児市文化創造センター館長の衛紀生氏も力説しており、専門職員の条件について下記のように述べている。

基本的には常勤(フルタイム)であるべきだと思います。たとえ非常勤であっても、年間150日から180日程度の勤務を義務づけるべきと考えます。
(中略)
フランス政府が任命する国立演劇センターの芸術監督には職務専念義務が課せられており、他の仕事に従事する(パリで演出するなど)は禁止されているのも根拠があってこそなのです。

移住はアーティスト・イン・レジデンスとは違い、生活の基盤をその地域に移すことだ。本人の人生設計にも大きな影響があるだろう。演出家の場合、主宰するカンパニーも移転を迫られることになるだろうから、東京の俳優はマスコミ関係の仕事を失うことも覚悟しなければならない。非常勤で芸術監督やプロデューサーを務めることは許されず、これをどこまで徹底出来るかが、「天上がり」不安を払拭するポイントではないだろうか。

芸術監督にどこまで人事権が与えられるかによるが、劇場によっては芸術監督交替に伴って幹部職員が入れ替わる事態も想定される。プロスポーツに例えると、監督・選手だけでなく、フロントの球団職員を他地域から招くようなものだ。公共ホールの職員は演劇以外の事業も扱うし、学芸事業も担当する。地域に根ざすためのモチベーションが必要だろう。Jターンならわかるが、Iターンの場合はその意気込みが問われてくるのではないだろうか。

「制作外注」は、創造拠点になった公共ホールが、実際の制作業務を外部プロダクションに業務委託することを意味する。現在でも彩の国さいたま芸術劇場の自主事業をホリプロが制作したり、2011年1月オープンの神奈川芸術劇場の自主事業をパルコが制作することが発表されている。公共ホールの人材不足・コスト削減で、劇場法(仮称)制定以降はこの「制作外注」がさらに進むのではないかと私は予想している。

ビジネスで考えると外注が進むのは仕方ないことで、放送局の番組だって大多数をプロダクションが制作しているし、映画会社もプロダクションが制作したものを配給している。公共ホールも同様に、質の高い作品をつくるためには、結局東京の制作会社に外注することになるのではないだろうか。劇場法(仮称)が出来ても、地域の人材育成にはあまり貢献せず、東京の制作会社のビジネスチャンスを広げるだけかも知れない。東京の制作会社が担当すると、東京の俳優が東京で稽古したものを巡演するだけというケースも考えられ、この辺の兼ね合いが問われることになるだろう。

「制作外注」が進むと、優秀な制作者は結局地域には移住せず、東京の制作会社に就職したほうがやりたいことが出来るということになる。演劇制作だけをやりたい制作者は、他の事業もやらされる公共ホールに勤めるよりいいと思うだろう。これに対し、公共ホールには様々な事業を通じたコミュニティ形成というミッションがあるわけで、そのミッションに共鳴して地域に移住する優秀な制作者の確保が重要になるだろう。

なんだか、医師が地域医療を志すか、大病院で専門医を目指すかみたいな話になってしまったが、要は劇場法(仮称)で制作者の就職先が増えると、こうした他業界と同じような現象が演劇界にも起こってくるということだ。これまでは制作者の就職先自体が限られていたが、業として成立するようになると、こうした東京と地域の格差がさらに際立つようになる。来るべき時代に備えて、制作者それぞれが自分のキャリアデザインを描くことが求められている。

私自身は東京生まれだが、親の仕事の関係で各地を転々とし、東京より地域の人々に共感することのほうが多い。一方で東京の質や量を目の当たりにしていると、ビジネスの世界ではどうしようもない格差を感じてもいる。演劇制作も同じで、劇場法(仮称)は大きなパラダイムシフトになるだろうが、だからといってバラ色の未来が開けているわけではなく、一人一人の制作者が自分の人生と向き合い、地域と東京を秤にかけながら、道を決めていくしかないのだと思う。