作成者別アーカイブ: 荻野達也

日本版アーツカウンシル案は導入を急ぐあまりミスリードが目立つ

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日本芸術文化振興会が、「文化芸術活動への助成に係る新たな審査・評価等の仕組みの在り方について(報告書案)」に関する意見募集を6月8日締切で実施中だ。今年度から音楽・舞踊分野で試行が始まる日本版アーツカウンシル案へのパブリックコメントである。

短い内容だし、助成の審査・評価に関するものなので、制作者なら誰でもコメント出来るだろう。特に地域在住の方は言いたいことがあるのではないか。福岡の高崎大志氏の指摘はもっともで、「手段と目的を混同した内容」というのは私も同感である。高崎氏は「東京だけにしぼったものとして考えれば、かなり優れた報告書だと思う」と述べているが、東京だけで考えても私は疑問である。皆さんも積極的に意見してほしい。

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「野球をやっている場合じゃないなんてことが、ありえるのか」

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『週刊現代』5月28日号のグラビア特集「The Target」に登場した爆笑問題の太田光氏が、プロ野球の開幕延期についてこう語っている。

「今回ばかりはナベツネ(渡邉恒雄)にちょっと同情しました。あの人は野球人ではないけれど、野球の持ってる力を信じてきた人なんだと思うんです。ところが、野球をやる当の選手たちが、野球をやってる場合じゃないと言い出した。これは、お笑い芸人が、お笑いをやってる場合じゃないと言っているのと同じですよ。野球選手は野球に命をかけているわけでしょう。不謹慎だろうがなんだろうが、野球をやっている場合じゃないなんてことが、ありえるのか」
 何がよくて何がいけないのか、よくわからないままに周囲の雰囲気に流され、自分が本当にできることを見失ってしまったのではないか、と太田は言う。
「自分たちは野球しかない、野球をやるんだ、となるべきだったはずなんです。僕自身、大事にしてきたことが否定されてしまったようで、すごく悲しかった」

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自分に出来ることを粛々とやればいい

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阪神・淡路大震災のときにも議論されたことだが、こういうときこそ演劇の持つ力で被災地を励ますべきという考えや、それに対してなにも出来ない自分の無力感に打ちのめされるという思いが、演劇人の中にあると思う。

だが、これはカンパニーの作品世界によって全く異なるわけで、路上で誰でも楽しめるようなコンテンツを持っているのなら慰問公演をすればいいし、そうでなければ無理に被災地を訪れなくてもいい。すべてのカンパニーがそうしたコンテンツを持っているわけではないし、自分たちの本拠地でいつもどおり粛々と公演することも、被災地以外の日常を維持する意味で重要だと思う。fringeでも被災地で上演する団体への助成金を紹介しているが、これは情報として掲載しているわけで、被災地での上演を推奨しているわけではない。いますぐ被災地に直接関わらないことで、良心の呵責に苦しむ必要はない。

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払い戻しではなく次回公演への振り替えに出来ないか

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震災時の公演の可否について考えてきたが、今回のような大震災では、公演を続行しても「こんなときに観劇する気持ちになれない」「余震や停電が心配で外出したくない」という人が多数いる。公演が続行されると前売券の払い戻しはないため、こういう人にとっては「なぜ公演するのか」という心境だろう。このようなケースでは、他ステージへの振り替えで対応することが多いが、短期間では状況が変わらないかも知れない。結果的に「あのカンパニーは払い戻しをしたくないために公演した」と思われ、お互いしこりを残すことになる。残念なことだと思う。

どの業界でもそうだが、決済後の払い戻しは大きな痛手となる。演劇の場合、ほとんどのカンパニーが自転車操業で、ギリギリのキャッシュフローで演劇製作をしている。公演中止でも多額の支払いが待っている。そこで観客に払い戻しすると、プレイガイドへの手数料も上乗せされ、カンパニーの存続自体が危うくなる。

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専門誌が伝える演劇界と映画界の動き

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東日本大震災後の演劇界と映画界の動きを、『シアターガイド』6月号と『キネマ旬報』5月上旬号がそれぞれ特集した。

『キネマ旬報』の緊急特集「3月11日以降の映画界」は、第1部「映画界ではなにが起こったか」で映画館の施設被害、作品の公開延期や中止、各社の動きなどをまとめ、阪神・淡路大震災を体験した大森一樹監督の談話を掲載。印象的なコメントを発表した宮崎駿監督にも触れている。第2部「映画作家、ジャーナリストと考える原発、これからのエネルギー問題」は、『ミツバチの羽音と地球の回転』が公開中の鎌仲ひとみ氏が、本橋成一氏、上杉隆氏と突っ込んだ議論をする骨太の企画だ。

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自粛からはなにも生まれない

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東日本大震災では、被災地以外で自粛の風潮が広まった。今回は比較的早い段階で、被災地から「過度な自粛は経済を萎縮させ、復興を逆に妨げる」と訴えてくれ、一定の歯止めがかかったと思う。それでも早々と中止を決めた伝統行事やイベントなど、疑問を感じることが少なくない。

企業からの協賛金が集まらない、仮設トイレが出払っている、節電対策で電車が増発出来ないなど、やめる理由はいくらでもあるだろう。だが、本来なにもないところから生まれるのが祭りやイベントのはずだ。それを楽しみに人々は日常を営み、それを業にしている人もいる。本当に復興を願うのなら、やめる理由を数えるのではなく、規模を縮小してでもやれる方向を考えるのが、私たちがいますべきことだと思う。

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東京で上演し続けることの意味

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あの大地震があった翌朝、私がいちばん勇気づけられたのは、いつもどおり近所の豆腐屋が店を開き、美容院のスタッフが掃除をしていることだった。この時点で東京は直接的被害が少なかったが、東北の甚大な被害は報道を通じて刻々と伝わり、原発事故も不気味さを増していた。私自身も今後が見通せない漠然たる不安を抱えていた。そんな状況の下、昨日までと同じ風景が目の前にあるだけで癒される思いだった。失ってから初めてその価値に気づくものは少なくないが、普段は意識することのない近所の風景も、その一つだということを思い知らされた。

震災後の演劇公演については、その是非を巡って様々な意見があったが、東京という演劇が日常の風景になっている都市では、劇場施設や交通機関に問題がない限り、その上演を継続するのが当然だと私は思う。演劇の持つ力や公共性を訴えるつもりは全くない。むしろ震災直後の演劇は無力に近い。そんなことより、純粋に業として上演しているのだから、プロフェッショナルとして粛々と上演を続けるのが当然だと思うからだ。

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有川浩氏『シアター!2』はなぜロングランに消極的なのか

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制作者の視点から小劇場界の構造的欠陥を描いた有川浩氏『シアター!』(メディアワークス文庫)。その続編『シアター!2』(2011年1月発行)を読んだ。

1巻が主宰の兄から見た制作談義中心だったのに対し、今回は劇団員それぞれの群像劇となっている。カンパニーにエピソードは尽きないわけで、この辺はいくらでも転がっていく感じだが、売れるグッズとはなにか、カンパニーという組織の不思議さ、身内客だけで回っている客席など、小劇場界へのダメ出しは変わらず随所に散りばめられている。エンタテインメントを否定する中劇場の嫌味な支配人も登場し、これは誰をモデルにしたのだろうと勘ぐってしまう。1巻に続き、興味深い内容だ。

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2010年に最も注目したポストパフォーマンストーク

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時間堂『月並みなはなし』

小劇場のポストパフォーマンストークと言えば、演出家や周辺の演劇人によるものが圧倒的に多いが、時間堂が2010年3月に上演した『月並みなはなし』には驚かされた。JAXA(独立行政法人宇宙航空研究開発機構)の後援で、同機構の月・惑星探査プログラムグループに所属する松本甲太郎氏をゲストに招いたのだ。

この公演は第7回杉並演劇祭参加作品として座・高円寺2を使用したもので、オープン間もない同劇場を無料で7日間借りられる絶好のチャンスだった。チラシには、その杉並演劇祭やイープラスのロゴと並んで、JAXAの青いロゴが印刷されている。月への移民者を選考する物語なので、確かにJAXAと関連はあるのだが、社会派ではないエンタテインメント作品である。よくJAXAにアプローチしたなというのが率直な感想だ。

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身内客・常連客との関係性

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「創り手と観衆との距離が縮まったが為に死んだ批評性」に関連して、身内客・常連客に対する私自身の考えを改めて紹介しておきたい。

まず、ナレッジ「身内客から一般客へ移行するためのロードマップ」で書いているように、身内客そのものは重要な存在である。カンパニーの初期はどうしても劇団員の手売りに頼らざるを得ないわけで、その意味で旗揚げを支えてくれた恩人と言っていい。重要なことは、観客が増えるに従って一般客が疎外感を抱かないよう、その存在感を薄くしていくことである。これは身内客をないがしろにするわけではなく、接遇のテクニックを使って、それぞれのサービスレベルをきちんと両立させるのだ。

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