この記事は2012年7月に掲載されたものです。
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なにはさておいても、地域の表現者が結果を出さなければいけない

カテゴリー: さくてき博多一本締め | 投稿日: | 投稿者:

●「fringe blog」は複数の筆者による執筆です。本記事の筆者は 高崎大志 です。

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2012年6月7日付け朝日新聞デジタル「劇場法案」増えるか自主事業 借り手の反発必至 について私個人のブログ で批判したところですが、この記事の中で、以下の内容と関係者の言葉を引き出したのは、功績と言うべきだろうと考えています。

(前略)

 法案にいう「新しい広場」をめざしながらつまずいたのが、静岡県袋井市が2001年に開館した「月見の里学遊館」だ。

 芸術文化の体験プログラムを軸にした自主事業を、市民グループを加えて運営する点が画期的だった。市民参加によるモリエールの演劇「ゴリ押し結婚」やドイツの合唱団による障害者向けワークショップ、不登校の子向けの出前公演など年間40~50件。年間予算1億6千万円の小規模施設としては積極的だった。

 ただ、先進性が市民全体に広く受けいれられたとは言い難い。「本来巻き込むべきだった地元文化団体を、事業の質確保を理由に運営側が事実上締め出し、溝が深まった」(関係者)。
(後略)

 

これは、非常に重要な例をあげているように思えます。つまり、地元のアーティストのレベルが低いので、事業の質を確保しようとすれば地元のアーティストは起用できない。ということを正面から言っているのです。
 (それが正しい見識かどうかはひとまず置きます。)

 質の高い作品の鑑賞機会を提供するのは、公共劇場にとって優先順位の高い事業でしょう。
 公共劇場が自主製作の事業をおこなうときに、質を取って地元アーティストを起用しないか、質を諦めて地元アーティストを起用するかの二択を迫られているという状況が一部の地域で発生しているということです。

 地域の人材ということへこだわりすぎ、悪い意味での地域ナショナリズムとなってはいけませんが、地域の人材起用へのこだわりを全く失ってもいけないでしょう。それはバランスであり、状況に合わせて、常にその時その時で、最善のバランスを考えないといけない事柄でしょう。
 地元のアーティストがほとんど関われていないというケースや、演劇の場合で言えば脚本・演出家が地域から出せていないというケースは、私にはとても残念なことだと思います。
 公共劇場等が、地域のアーティストの育成になるような事業を行うことも重要です。しかしながら育成事業の成果は限定的なものであり、最終的にはアーティストの才能と努力に期待するしかありません。
 このような発言がごく自然になされることがないようにするためには、地域のアーティストが奮起するしかないでしょう。