この記事は2004年1月に掲載されたものです。
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演劇人が「先生」と呼ばれたら終わり

カテゴリー: fringeのトピック以前 | 投稿日: | 投稿者:

●「fringe blog」は複数の筆者による執筆です。本記事の筆者は 荻野達也 です。

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fringeでもご紹介したことのある三重のゴルジ隊

作・演出の油田晃氏の公開日記がたいへん興味深く、私の巡回先でもあったのですが、昨秋から公開されなくなってしまいました。fringe以上の毅然たる姿勢が魅力だったので、再開を望んでいます。代わりに掲示板をときどき拝見するのですが、ここ数日は県内で上演される別公演のトラブルが話題になっており、思わず当事者である七嘉豊香氏公開日記を追ってしまいました。

地元の文化協会が主催する市民劇を巡る劇作家(七嘉氏)と演出家の対立で、稽古に遅れて合流したプロ演出家が、稽古が進んでいた戯曲の6割を一存でカットしてしまったというもの。全国でこういうトラブルはそれなりにあるでしょうが、稽古場のやりとりがこれほど赤裸々に公開されるのはめずらしいと思います。インターネットの公開日記に書くということは、世の中に発表することと同じですから、覚悟があって書かれているのだと思います。

12月21日、12月27日、1月4日あたりを読むと、状況がつかめると思います。なお、七嘉氏は役者としても出演しており、役者の場合はご本名の「田中豊」を使っているようです。「タナカ」という表記が混在してくるのはそのためです(余談ですが、この日記スタイルは森博嗣氏の影響ですね)。

こういう話を読んで私が感じるのは、プロデューサー不在、契約の不在です。東京でも演出家が劇作家の戯曲を全く使わず、演出家が稽古場で違う話をつくってしまった実例を耳にします。劇作家にとって、自分と無縁の作品を自分の名前で発表されることになるわけですから、耐え難い行為だと思うのですが、演劇に限らず映画やテレビでもこうした話はまだまだあるようです。

どんな公演であろうと、テキストレジーに関しては契約内容に盛り込むべきだと思います。日本劇作家協会が公開している統一モデル契約書をなぜ使わないんでしょう。これを交しておけば、第3条(戯曲の内容に関する協議) で演出家の一方的なテキストレジーは防げたはずです。

油田氏はゴルジ隊の掲示板で、「現場で『先生』と言われたらおしまいだ」と書かれていますが、私もこれには同感です。油田氏は行政との付き合いも多いので、特にそういう機会があるのでしょう。これは〈呼ばれる側〉より、〈呼ぶ側〉に問題があるんじゃないかと私は思います。

私と同世代の演劇人たちも受賞や大学に招かれたりして、若い人たちから「先生」と呼ばれてしまうようになってきましたが、本人はイヤじゃないのかな。油田氏の書かれているように、相手がどんな存在でも「さん付け」で通したほうが、逆に好感を持たれるんじゃないでしょうか。

油田氏自身の次回作は、三重県文化振興事業団主催の三重県演劇塾第6回公演『あじごはん』朝日新聞三重版にも大きく載りました。記事によると予算は500万円だそうで、大金をかけずとも出来る事業があることを強調しています。記者のセンスが光る記事だと思います。