この記事は2011年6月に掲載されたものです。
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日本版アーツカウンシル案が玉虫色になった背景を考える

カテゴリー: フリンジのリフジン | 投稿日: | 投稿者:

●「fringe blog」は複数の筆者による執筆です。本記事の筆者は 荻野達也 です。

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日本版アーツカウンシル案(日本芸術文化振興会「文化芸術活動への助成に係る新たな審査・評価等の仕組みの在り方について(報告書案)」)への様々な意見に目を通した。

具体的な提案内容に差異はあるが、多くの意見に共通していたのが、現状の審査委員(専門委員会→部会→運営委員会の3階層)には手を付けず、プログラムディレクター(PD)、プログラムオフィサー(PO)を追加する形になっていることへの疑問だった。PD・POは調査分析による情報提供等が専門で、決定権を全く持たないことが多くの批判を呼んでいる。地域への目配りがないことも批判を集めているが、それ以前の枠組み自体に問題があるように思えてならない。

この案をまとめた「文化芸術活動への助成に係る新たな審査・評価等に関する調査研究会」は錚々たる顔ぶれで、本当にこの委員たちがまとめたものなのか、文化庁の作文を変えられないのではないか、といった疑念もネット上で散見された。

確かに、パブリックコメント募集初日の6月1日にネットTAM運営事務局が、「日本版アーツカウンシルなど話題になっていた件が、このような方向性になっている。この通りでOKですか?ぜひご意見を。募集期間が相変わらず短すぎ…」とツイートしている。同事務局は企業メセナ協議会が構成メンバーだ。調査研究会に委員を送り出している同協議会の関連アカウントがこう書くということは、推して知るべしであろう。少なくとも、委員全員がこの案に賛成しているわけではないと思われる。

ここからは私の想像だが、普通に議論が行なわれたなら、現在の枠組みにも当然言及されるはずである。PD・POだけを追加するといった、屋上屋を重ねるような議論にはならないと思う。それが全く触れられていないということは、現在の体制を見直すことで、過去の審査に課題があったことを公式に認めることを避けているとしか思えない。報告書案に書かれた課題が玉虫色の表現で、突き詰めた分析がなされていないのも、すべて過去の不備を公式に認めたくないからではないだろうか。

官僚にとって、過去の政策の不備は絶対に認めたくないはずだ。芸術文化振興基金による助成が22年目、アーツプラン21による重点支援が始まって16年目、その間の助成すべてが「明確な基準や事後評価なしで決めていました」とは、口が裂けても言いたくないのではないか。調査研究会の委員にも審査委員経験者がいるわけで、過去を批判するような報告書にはしたくなかったのではないか。その辺の力関係で、こんな報告書になってしまったのではないかと思う。

しかし、いま必要なことは、「これまで明確な基準や事後評価なしで決めていました」とはっきり宣言し、どうしたらいいかを白紙の状態で考えることだろう。過去の政策に不備があることは、どの分野でもあり得ることで、私たちに必要なのは失敗を認める勇気である。そこから現在の審査委員の役割を冷静に見つめ、PD・POに決定権を委譲して審査委員が助言に回るか、会議体を一部廃止するかを検討すべきだろう。いまのままだと、調査研究会の委員自体も疑問視されると思うので、個人的に違う意見をお持ちなら、きちんと発表されたほうがいいと思う。

もし、PD・POに決定権が委譲されたなら、審査委員が存続してもその影響力は大きく下がることが予想される。専門委員会の大半を占める評論家の影響力も比例して下がるはずだ。これまで芸術団体は、助成金や演劇賞への影響を考慮して評論家に接してきた部分があり、招待のすっぽかしを繰り返す非礼な評論家にも我慢してきた。PD・PO中心の審査になれば、評論家自体も正しく淘汰されていくだろう。

締切後、調査研究会は6月10日に第8回が開かれている。ここでパブリックコメントを目にした委員たちの考えが知りたい。

(参考)
日本版アーツカウンシル案への反応まとめ
日本版アーツカウンシル案への反応まとめ(2)