演劇の創客について考える/(3)人間の意識や行動パターンは変えられるか――万年筆の殿戦に学ぶべきこと

カテゴリー: 演劇の創客について考える | 投稿日: | 投稿者:

●「fringe blog」は複数の筆者による執筆です。本記事の筆者は 荻野達也 です。

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●分割掲載です。初めての方は(予告)から順にご覧ください。

演劇に関心のない人に興味を持ってもらい、劇場に足を運んでもらう。これは人間の意識や行動パターンを変えることにほかなりません。想像しただけで高いハードルを感じますが、私が創客というテーマで連載を始めようと思ったのは、自分自身の実体験で意識や行動パターンが変わったことが何度もあり、そのきっかけを分析すれば、創客のヒントになるのではないかと考えたからです。

私がこれまでの人生でいちばん衝撃を受けたのは、「日本人が水を買うようになったこと」です。1990年代まで「水と安全はタダ」と思っていた日本人が(水道も料金は発生しますが、飲料分はタダのようなもの)、いまや水道水が普通においしい地域でもミネラルウォーターを買っています。逆に言えば、そこに付加価値を感じたなら、無料のものにも対価を払うようになったのです。このことを考えると、どんなに身に着いた意識や行動パターンでも、新たな魅力や価値があれば、変えられないものはないのではないかと感じます。

私の場合はミネラルウォーターが筆頭ですが、皆さんも「あり得ない」と思っていたことが実現した体験が、人生で何度もあるでしょう。そのとき自分に影響を与えたものがなんだったかを思い出し、それを演劇界に置き換えて考えてみてください。単純な置き換えは困難だと思いますが、なにかしらの共通点は必ずあるはずで、それを見つけて行動に移していくことが、最終的に創客につながるのではないか、と私は信じています。

私自身の最近の実体験で、今回の連載の参考にしたいと考えたのが、「万年筆にはまった」ことです。私は文書作成はほとんどパソコンで、手書きする機会は限られています。手書きもコピー用紙や複写用紙への記入が主で、速乾性で筆圧がかけられるボールペンでないと役に立ちません。つまり、万年筆を使うシーンは存在していなかったのですが、2年半前から急に「万年筆にはまった」のです。現在、万年筆は静かなブームと言われていますが、ちょうどブームの始まりごろでした。

万年筆と演劇を比べてみると、意外なほど共通点がありました。

  1. なくても別に困らないが、知ってしまうと手放せない。

    万年筆は生活の必需品ではありません。代わりの筆記具はいくらでもあります。けれど、その魅力を知ってしまうと手放せなくなります。これは芸術全般にも言えることですが、演劇も全く同じです。

  2. 自分好みの一本と巡り合うと価値観が一変する。

    万年筆の書き味は一本ごとに異なります。自分好みの一本に出会うと、書く道具ではなく、書くこと自体が目的になるほど快感を覚えます。心に残る作品に出会い、それで劇場通いが始まるのと同じです。

  3. 価格が幅広く、価格と書き味が比例するとは限らない。

    万年筆は100円ショップで買えるものから、数万円の高級品まであります(それ以上の限定モデルも)。高価なものが書きやすいとは限らず、千円のものが数万円の書き味に匹敵することもあります。演劇のチケット代そのものではありませんか。

  4. 限定品が多く、販売数が非常に少ない。

    万年筆は定番商品以外に限定モデルが多数発売され、ファンの所有欲をくすぐります。限定モデルは国内販売数が300本~3,000本程度と少なく、小劇場の動員数と同じです。各メーカーが毎年様々な限定モデルを投入する様も、劇場のラインナップを見ているようです。

  5. 気軽に店舗に入れない。気軽に試し書き出来ない。

    高級万年筆は文房具店のショーケースに陳列され、試し書きも店員に頼まないと出来ません。試し書きすると買わなければいけない雰囲気があり、気が引けます。演劇を観ない人にとって、劇場の敷居が高いのと同じだと思います。

  6. 決して便利ではなく、むしろ手間がかかる。

    万年筆は放置するとインクが固まり、水洗いが必要です。インク交換も手間がかかりますし、ペン先の保護にも気を遣います。ボールペンのほうがずっと気楽です。わざわざ指定された時間に劇場を足を運ぶ必要がある演劇と似ています。

私の場合、自分好みの一本に出会ったことが万年筆の印象を一変させました。それまでは、少し引っ掛かりを感じるペン先を「万年筆とはこんなものだ」と考えていたのですが、とある万年筆を試し書きさせてもらったとき、その「ぬらぬら感」に思わず声を上げそうになりました。インクフローのよさが書くこと自体を快楽に変えたのです。

ここまで読んで「それのどこがいいのか、よくわからない」「ボールペンで全く問題ない」と思った方へ。それこそが、いま演劇を観ない人が抱いている「演劇のどこがいいのか、よくわからない」気持ちと同じなのです。ならば、自分がどう言われたら心が動くかを考えてみてください。

万年筆はボールペンの普及で生産量が激減し、パソコンの普及でそれに拍車がかかりました。日本筆記具工業会による「筆記具統計」の輸出入数量を見ると、90年代半ばから右肩下がりとなり、2000年代前半に半分以下になっているのがわかります。

こうした状況を前に、万年筆業界の有志が「万年筆の殿戦しんがりせん」として独自の活動を始めたのが、現在の静かなブームにつながっています。殿しんがりとは戦国時代の兵法で、撤退する味方の最後尾で、敵方の追撃を食い止めながら後退する重要な役割です。この部隊の力量次第で、全滅かどうかの命運が分かれたそうです。歴史小説好きならお馴染みの存在でしょう。

有志が起こした行動、それは万年筆を支える職人の記録、万年筆の魅力を伝えるサロン設立、書き手に合わせたペン先調整付きの販売、合わない万年筆を甦らせる「ペンクリニック」の開催、落ち着いて万年筆を選べる「ペンブティック」の整備などでした。

こうした環境整備に押される形で、専門誌『趣味の文具箱』(エイ出版社)が04年に創刊され、斬新なネーミングとボトルデザインで文房具好きの心を鷲掴みにしたカラーインク、パイロット「iroshizuku<色彩雫(いろしずく)>」が07年に発売されました。最近は各メーカーが安価な入門用万年筆を競い、海外メーカーではラミー「サファリ」が限定カラーを毎年発売、国内メーカーではパイロット「カクノ」が人気を集めています。後者は子供向けですが、千円(税別)で高級品に匹敵する書き味があり、大人でも利用する人が増えています。皆さんの周囲でも、万年筆を使う人が少しずつ増えているのではないでしょうか。

カクノについては興味深いデータがあります。パイロットの調査によると、万年筆を使ってみたいと考えている若い世代は多く、高価格と知識不足がネックになっていたのです。その障壁を取り除く商品が、カクノだったのです。

 なぜ、低価格製品なのか。そのヒントは万年筆の「使用経験」にあった。同社が8000名を対象に実施した調査によると、50代の男女の9割以上が万年筆を使った経験があると回答。一方で、20代のなんと半数以上が、使ったことがないと判明した(「万年筆に関する実態調査」2012年)。さらに興味深いことが見えてきた。

「万年筆が欲しい、と考えている人が最も多い世代は、意外にも20代でした。若い人が抱く万年筆のイメージは、オシャレ。肯定的なんです。ところが購入していない。理由は、価格と、使い方がわからないことにありました」

 同社の狙いは、「関心はあるが使ったことのない」新しいユーザーを掘り起こすことにあった。

皆さんも、自分自身の具体例に置き換えて考えてみてください。

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