この記事は2013年6月に掲載されたものです。
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舞台芸術制作者オープンネットワークに期待すること

カテゴリー: フリンジのリフジン | 投稿日: | 投稿者:

●「fringe blog」は複数の筆者による執筆です。本記事の筆者は 荻野達也 です。

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2月14日に設立総会を開催して正式発足した舞台芸術制作者オープンネットワーク(ON-PAM)の活動が本格化している。各地での説明会、公開・非公開の様々なプログラムが企画され、会員のTwitterでも熱い思いが語られているようだ。ここで、私がON-PAMに期待することを書きたい。

1. 持続可能な組織であること

ON-PAM設立の背景には、東日本大震災が大きく関与しているように感じる。制作者のネットワークについては、過去にも様々な動きがあったが、立場や利害関係の問題があり、新劇系中心の日本新劇製作者協会以外には実現してこなかった。小劇場系を横断的につなぐ組織は存在していなかった。震災という未曽有の危機に直面した人々の連帯感が、ネットワークの成立を心理的に促したと言えるだろう。

大切なのは、その気持ちを持続させることだ。関西では、阪神・淡路大震災を契機に関西演劇人会議から大阪現代舞台芸術協会が設立されたが、包括的なネットワーク形成までには至らなかった。人の記憶は時間と共に薄れていく。3.11で感じた思いを、参加する一人一人が胸に刻み付け、忘れないでほしい。そして迷ったときは、震災時だったらどうするかを思い起こしてほしい。設立に至ったコアメンバーの意思を、会員全体で絶えず共有し、振り返ることが重要である。

組織を持続させるには、経済的な裏打ちも重要である。ON-PAMの正会員は団体ではなく、制作者が個人の資格で入会するため、安定した収入確保は大きな課題だろう。2012年度と13年度はセゾン文化財団から助成を受け、それが拠りどころになっているが、経済的に自立出来る体制を早急に構築することが必要だ。制作者というファンドレイジングの専門家が集まっているので、ぜひ斬新なプランを考えていただきたい。

セゾン文化財団の支援には、ここで改めて敬意を表したい。思えば、ジャパン・コンテンポラリーダンス・ネットワーク(JCDN)もセゾン文化財団が3年間に渡る助成を行ない、設立にこぎ着けたものだ。ON-PAMも全く同じ経緯と言える。逆に言えば、創造環境整備に不可欠なネットワークが、民間の一助成団体に頼らざるを得ない現状が、日本の文化行政の脆弱性を象徴しているようにも感じる。このこと自体を課題ととらえてほしい。

2. オープンネットワークの理念を守ること

オープンネットワークとは、「ヒエラルキーのない、水平構造を持つネットワーク」と説明されている。美しい理念だが、ON-PAMがアドボカシーの役割を果たそうとしたとき、このスタイルで合意形成出来るかが問われるのではないだろうか。震災のような非常時は私利私欲を捨てて行動するが、平常時はどうしても自分の関与する芸術団体の利益を優先しがちである。

コアメンバーは舞台芸術全体を俯瞰的に見ていると思うが、すべての正会員がそのような境地に達しているかは疑問で、公共ホールや助成制度の在り方など、制作者の立ち位置によって見解が分かれるテーマは少なくないだろう。アソシエーションではないオープンネットワークで、どのように合意形成まで持っていけるかが大きな課題だ。名称と実態が乖離しないよう、組織運営に手腕が求められる。

ネットワークは手段であり、目的ではない。ON-PAMが10年先、20年先の未来を構想するのなら、はっきり言って、いま関与している芸術団体やアーティストはどうでもいい。カンパニーは10年経てば解散するところも多いのだから。それよりも舞台芸術という表現全体の未来を考え、議論してほしいと願う。

3. 制作者の職能を認めさせること

ON-PAMの目的として声高には謳われていないが、制作者の役割を認知させ、舞台芸術における重要な職能として確立させることは、会員全員が心の中で誓っていることではないだろうか(そうであってほしい)。制作者自身のことなので、あまり表に出さないのかも知れないが、この点はもっと主張し、利益団体、圧力団体として行動してもよいのではないか。

職能として認められていない人々が集まって政策提言しても、他者は重要だと思わない。アドボカシーの役割を果たすなら、まず職能として認めさせることが先ではないだろうか。本来なら、制作者一人一人の行動で広めていくべきだが、残念ながらこの30年間、制作者全体に対する世の中の認識はさほど変わっていない。ネームバリューのある制作者が個人的な職歴を披露しているだけで、まだ職能として理解されているとは思えない。

舞台芸術全体への貢献はもちろん重要だが、制作者の職能を確立することは、別のレイヤーで明確な意思を持って進める必要があると思う。ON-PAMはこれを重要なミッションとして位置づけ、真剣に考えてほしい。次世代の制作者を育成するためには、少なくとも職能が確立されていることが大前提だ。そうでないと、誰も制作者になりたいと思わないだろう。

4. 現代演劇・舞踊のアーカイブを考える

私が以前から考えている中長期的な課題として、現代演劇・舞踊のアーカイブがある。これらはライブの表現で、メディアに保存出来ない。もちろん録画は出来るが、それだけでいいのかと言われると違和感がある。舞台芸術は消えてしまう宿命だが、それを現代にふさわしいなんらかの形でアーカイブ出来ないかと思う。

現在でも上演記録は分散された形で残っているが、芸術団体やアーティストの過去を振り返ろうとしたとき、その全体像が伝わってこない。これはスタッフにとっても不幸で、各自が個別のパートを保存しているだけで、総合芸術としてのアーカイブが出来ていない。作品の全体像が目に触れないということは、舞台芸術に関わる人々のモチベーションにも影響すると思う。

いま五感に訴えたアーカイブを試みているのは、早稲田大学演劇博物館の企画展示「現代演劇シリーズ」ぐらいではないだろうか。これも期間限定なので、現代演劇・舞踊に興味を持った観客が、任意の上演団体を調べようと思っても難しい。どのような方法が考えられるのかも含め、現代演劇・舞踊のアーカイブについて議論すべき時期ではないだろうか。これを推進出来るのは制作者のネットワークだけだと思う。

5. 舞台芸術のメディア性を活かす

ライブの舞台芸術は、コンテンツであると同時にメディアであると言える。作品に寄り添う制作者の場合、どうしてもコンテンツの比重が高くなると思うが、ON-PAMのコアメンバーは劇場、演劇祭、支援団体などに所属する方が多く、舞台芸術のメディア性に着目した活動が展開出来るのではないかと期待する。

舞台芸術をより多くの人々に届けたい、もっと気軽に劇場に足を運んでもらいたいというのは、制作者共通の思いのはずだ。従来の手法だけに頼るのではなく、舞台芸術自体が一つのメディアであると考え、これまでにない新しい価値観の創出を目指してほしい。この30年間議論され続けてきたチラシ束の問題も、Nextからのコアメンバーがいることで、なんらかの進展を見せてくれると期待している。

コンテンツにかけるのと同等の情熱で、メディアとしての舞台芸術をデザインし、劇場を身近な存在にしてほしい。私たちは自覚していないが、制作者が手掛けるべき領域は、本当はもっともっと広いのではないか。そして、その広さはイコール可能性だと思うのだ。どうか、未来をデザインしてほしい。