この記事は2011年5月に掲載されたものです。
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自粛からはなにも生まれない

カテゴリー: フリンジのリフジン | 投稿日: | 投稿者:

●「fringe blog」は複数の筆者による執筆です。本記事の筆者は 荻野達也 です。

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東日本大震災では、被災地以外で自粛の風潮が広まった。今回は比較的早い段階で、被災地から「過度な自粛は経済を萎縮させ、復興を逆に妨げる」と訴えてくれ、一定の歯止めがかかったと思う。それでも早々と中止を決めた伝統行事やイベントなど、疑問を感じることが少なくない。

企業からの協賛金が集まらない、仮設トイレが出払っている、節電対策で電車が増発出来ないなど、やめる理由はいくらでもあるだろう。だが、本来なにもないところから生まれるのが祭りやイベントのはずだ。それを楽しみに人々は日常を営み、それを業にしている人もいる。本当に復興を願うのなら、やめる理由を数えるのではなく、規模を縮小してでもやれる方向を考えるのが、私たちがいますべきことだと思う。

自粛は阪神・淡路大震災でもあった。同じ年に出版された国際演劇評論家協会(AICT)日本センター関西支部編『阪神大震災は演劇を変えるか』(1995年、晩成書房)に、私はこんな文章を寄稿した。

 劇団にとっては、公演を打つことこそが存在証明になる。それぞれの集団が、自分たちの置かれた逆境の中、最善の方法を模索しながら公演活動を続けた。それはルーティンになっていた演劇制作で薄れかけていた人間関係を、再確認する作業にほかならなかったと思う。表現レベルの葛藤とは違った次元で、ライブの持つ意味、舞台で表現することの意味を関西の演劇人はつかんだのではないか。どのような作品世界を持つ集団であれ、それが今後の活動に必ず反映されるものと期待している。

 そんな演劇の意味を理解せず、震災後しばらくは歌舞音曲の類を自粛するような風潮があったことは非常に残念である。もし選抜高校野球が会場変更になっていたら、この風潮はもっと長引いていたかも知れない。世の中が暗いときにこそ、人々を勇気づけるものが必要なのではないか。一冊の本に救われることがあるように、演劇も直接心に語りかけるものだ。それが機材を使って臨場感を高めるがゆえに、未経験者には派手に映るだけのことだろう。外見だけで物事を判断する一部の偏見に、躊躇しないでもらいたい。仮設住宅から熱心に劇場に通ってくる演劇ファンを、私は何人も知っている。

私がいたカンパニーでは、1月17日に阪神・淡路大震災が起こったあと、2月15日~19日に東京公演、3月28日~4月2日に大阪公演を行なった。自宅が全壊した劇団員も複数いたが、公演をやりたいという彼らの熱意が計画を変えさせなかった。この時期の演劇というだけで批判は少なからずあったが、文中で触れたとおり、住所欄に「仮設住宅」と書かれたアンケート用紙を見つけたときは、涙が出そうになった。

この状況での上演に苦悩する劇団員もいた。この文章では「存在証明」という言葉を使ったが、演劇人に出来ることは演劇しかない。作品の持つ力とは別に、ライブで演じるという行為自体が大切ではないかと感じ、長時間説得したのを覚えている。公演自粛からはなにも生まれない。けれど公演をすれば、それを観たいと思う人に選択肢を提供することが出来る。一人でも芝居を観てくれる人がいる限り、予定どおり公演すべきだと思った。

会場では義援金を募ったが、観客には劇団員に被災者がいることを報告し、集まった金額は本人たちに配分させていただいた。ご厚意により想像以上の金額が集まり、結果的に被災者の旅公演費用はこれでまかなうことが出来た。本人たちにとっても、生涯忘れられない公演になっただろう。

東日本大震災では、大阪の玉造小劇店がザ・スズナリで3月5日から16日まで上演中だったが、震災当日19時開演の回(観客6名だったらしい)も含め、1ステージも休演することなく公演をやり遂げ、収益は義援金に回した。わかぎゑふ氏のブログには、長年のファンから「公演を続けているのは払い戻しを不可能にする為」という批判もあったが、なによりも演劇を業にしている者として、公演を中止するより、粛々と続けることが進むべき道と考えたのではないだろうか。私は、その意思を尊重したいと思う。

(参考)
東京で上演し続けることの意味