「東日本大震災における東京・神奈川の公演対応状況まとめ」を見ると、劇場の判断で大幅な公演中止となった事例がある。神奈川芸術劇場大スタジオの地点『kappa/或小説』がまさにそのケースだ。同劇場オープニングラインナップで、劇場主催による自主事業だ。3月15日に劇場が3月中の自主事業中止を発表したため、3月16日~21日の残り8ステージが中止となった。
劇場公式サイトでは、この中止について「神奈川芸術劇場主催3月公演等の中止」という表記をし、「神奈川芸術劇場では、このたびの地震の影響を考慮し、下記主催公演等を中止することにいたしました」と案内している。また、『シアターガイド』6月号で蔭山陽太支配人が次のように語っている。
ここで率直な疑問として感じるのが、3月13日に公演を一時再開し、貸館についても中止決定していないことから、施設の安全性は確保されていると思われるのに、なぜ自主事業だけを中止したのかということだ。計画停電や余震が関係者や観客に影響を及ぼすのは、自主事業だろうが貸館だろうが同じはずだ。蔭山氏のコメントを読んで、私はこのことが非常に気になっていた。新国立劇場も3月14日に3月中の公演中止を発表しているが、こちらは貸館を含めた全公演の中止である。計画停電や余震を考慮しての判断なら、こちらのほうが納得がいく。安全に自主事業か貸館かは関係ないはずである。
これに関連して、『シアターアーツ』47号に柾木博行氏(ステージウェブ主宰)が「大震災に揺れた劇場」という論考を寄せ、神奈川芸術劇場についても詳しく触れている。取材によると、公演中止の要因として最も大きかったのが計画停電で、今回のオープニングラインナップは横浜以外からの観客も多数予想されたことが問題になったとしている。柾木氏はこう書いている。
この前半部分は、神奈川芸術劇場の実際の対応と矛盾しているのではないか。もし劇場が、観客の交通機関までリスクを背負わないといけないのだとしたら、今回の状況では「不要不急の外出は控える」という結論になるはずだ。それが神奈川芸術劇場の判断だとしたら、劇場に人が集まること自体がNGのはずで、貸館も中止して劇場自体を3月中は閉館することが正しいように思える。
今回、神奈川芸術劇場の判断が「公共劇場による自粛」と誤解されているのは、こうした部分の説明の整合性が弱いからだ。安全を第一義として考えたとき、なぜ貸館は主催者判断でいいのか。計画停電で交通機関が止まるリスクを認識していたのなら、なぜ閉館ではなく劇場自体のオープンを続けたのか。こうしたことを、わかりやすく公式サイトで説明していない以上、「自粛」と思われても仕方ないのではないだろうか。
計画停電に関しては、東京都心部に比べて横浜市のほうがはるかにリスクが高かったし、劇場ごとにリスクに対する評価が異なるのも当然だと思う。だから、私は神奈川芸術劇場の判断自体を問題にしているのではない。自主事業だけを中止するのなら、貸館や劇場オープンの継続について、同時にきちんと説明すべきだったと言いたいのだ。
記録がないので、ここで言う貸館が具体的になにを指しているのか不明だが、例えば関係者のみの催しでリスクが低いと判断されたのならそう書けばいいし、劇場オープンについては、そのほうが近隣住民にとって安心感を与えると判断したのなら、そう書いたらいい。自主事業の中止だけを発表するという、広報の手法に疑問を感じるのだ。公共劇場なら、そうした説明責任について、もっと思慮すべきだったのではないか。
柾木氏にも申し上げたいが、今回の上演を巡る判断で、「公演をやったから偉いとか偉くない」という次元で物事を考えている人は少ないと思う。それぞれの劇場、上演団体で激論があったはずで、その上でそれぞれの判断があったということは、誰もがわかっている。そこで重要なのは、その判断に至る過程をきちんと説明することで、神奈川芸術劇場の実情がこうして雑誌の取材で初めてわかること自体を課題に挙げるべきではないだろうか。
芸術監督を有する劇場なら、こういうときこそ芸術監督名で詳細に説明すべきだったと思うのだ。宮本亜門氏のTwitterを見ると、公演中止の報告をあとから受けているようである。今回の意思決定に、芸術監督がどこまで関与していたかも掘り下げていただきたかった。