この記事は2011年5月に掲載されたものです。
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東京で上演し続けることの意味

カテゴリー: フリンジのリフジン | 投稿日: | 投稿者:

●「fringe blog」は複数の筆者による執筆です。本記事の筆者は 荻野達也 です。

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あの大地震があった翌朝、私がいちばん勇気づけられたのは、いつもどおり近所の豆腐屋が店を開き、美容院のスタッフが掃除をしていることだった。この時点で東京は直接的被害が少なかったが、東北の甚大な被害は報道を通じて刻々と伝わり、原発事故も不気味さを増していた。私自身も今後が見通せない漠然たる不安を抱えていた。そんな状況の下、昨日までと同じ風景が目の前にあるだけで癒される思いだった。失ってから初めてその価値に気づくものは少なくないが、普段は意識することのない近所の風景も、その一つだということを思い知らされた。

震災後の演劇公演については、その是非を巡って様々な意見があったが、東京という演劇が日常の風景になっている都市では、劇場施設や交通機関に問題がない限り、その上演を継続するのが当然だと私は思う。演劇の持つ力や公共性を訴えるつもりは全くない。むしろ震災直後の演劇は無力に近い。そんなことより、純粋に業として上演しているのだから、プロフェッショナルとして粛々と上演を続けるのが当然だと思うからだ。

劇場も商店と同じように営業を続け、日常の風景を維持することにこそ意味がある。コンビニエンスストアは、どんなときでも24時間営業するからこそコンビニエンスストアだ。劇場も、予定どおり作品を上演してこそ劇場だと思う。施設の安全が確認出来て、交通機関が動いているなら、それ以外に休演する理由はない。それで観客が来場するかどうかは観客自身が判断することで、劇場や上演団体が決めることではない。一人でも訪れる観客がいる限り上演する――それが業としての演劇だと私は思う。

発表会として上演するのなら、観客が集まりやすい日程に延期するのも意味があるだろう。けれど業として上演しているのなら、予定どおり上演すべきだ。そこに携わる者の生活がかかっており、中止や延期は大きな損害につながるからだ。私は大阪で阪神・淡路大震災を経験したが、構造的な被害を受けた阪神地区の劇場や、自主事業を自粛した一部公共ホールを除き、上演可能な劇場はどこも予定どおり上演したと記憶している。私がいたカンパニーも自宅全壊の劇団員が数名いたが、2日後から稽古を再開し、1か月後には予定どおり東京への旅公演を実施した。

今回の震災では電力不足、計画停電という事態も重なった。大規模停電を避けるためには、確かに節電しか方法はない。だからといって、パチンコ店やプロ野球のナイトゲームが一方的に批判される風潮を、私は疑問に思う。どの世界もそれを業としている人々がいる。休業するなら保障とセットで議論されなければならないし、消費電力を抑えながら営業する方法もあるだろう。演劇も電力を使うと思われているが、空調を切って舞台照明を最低限にした場合と、観客が上演時間を自宅で過ごした場合とでは、どちらの消費電力が多いのか。そうした客観的なデータで比較しない限り、演劇と節電を並べて論じるべきではないと思う。

震災後の劇場では、どこも前説がとても丁寧になった。劇場の構造に問題がないこと、余震があった場合も照明が落下しないこと、万一の場合は係員が避難場所に誘導すること……。そしてどのカンパニーも、主宰やプロデューサーがこの環境下で上演することへの思いをそれぞれの言葉で付け加えた。私は以前から前説はお手伝いさんや録音で済ませるべきではないと思っていたが、東京のカンパニーは前説の果たす役割を改めて認識したのではないだろうか。

現在進行形で続く原発事故を考えると、もしかしたら早々と海外や関西に避難した外資系企業のように、劇場をクローズすることも正解だったのではないかと思える瞬間がある。だが、繁華街でそこだけシャッターを下ろした外資系ブランドの店を見ると、東京のカンパニーが東京で上演することの意味をいまこそ問われているのだと思えてならなかった。近所の店がいつもどおりシャッターを開けるように、劇場もいつもどおり演劇を上演する――その繰り返しが私たちのかけがえのない日常を生み出しているのだと痛感する。

公演やワークショップを予定どおり実施した劇場・カンパニーに、心から敬意を表する。