この記事は2008年8月に掲載されたものです。
状況が変わったり、リンク先が変わっている可能性があります。



フラットな環境がベストなのか?

カテゴリー: さくてき博多一本締め | 投稿日: | 投稿者:

●「fringe blog」は複数の筆者による執筆です。本記事の筆者は 高崎大志 です。

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芸術文化環境の地域間格差をテーマにブログを書いておりますが、ようやく全体の半分の項目について書き終えたところです。
ここで、ちょっと、捕捉で、私の基本的な立場を整理しようと思っています。

私も、国内のハード面・助成金面で芸術文化環境がフラットになればいいと思っているわけではありません。それは国際競争というものがあるからです。
東京という地域には、世界水準の作品をつくり、その成果を世界に問う。という使命があると考えています。なので東京が他の国内の地域をある意味でリードし、世界の舞台芸術と勝負していくという構図は、これは絶対に必要だと考えています。
ですので、特定の地域にリソースを集中的に投下する必要性はあると思います。

ただし、問題はバランスです。
現状は、いくら何でも偏りすぎているだろうと考えています。

私は将来的に、国内の芸術文化シーンが、国内の食の状況のようになればいいと考えています。
たとえば、ミシュランの三つ星のレストランは国内では東京に集中しています。しかし東京以外の地域にもそれぞれ素晴らしい個性ある料理があるわけです。
高級感はぐぐっと落ちますが、たとえば福岡の長浜ラーメンやもつ鍋は国内的に認識されているし、札幌のかに・いくら・札幌ラーメンも国内的に認識されている。もっと小さな市でも、そこにおいしいものが確かにある。

このように首都である東京がその重量をもちながらも、決して東京一極集中ではないバラエティに富んだ状況が「食」の状況では成立しています。
(そして今の国内では餓死することはほぼないと言える環境も整っている。)
これに近似した状況が、20年後位の日本に訪れているといいなぁと思います。

それと「環境」と「個々の努力」は、相互に関連する部分がありますが、その相互作用の強さはグラデュエーションです。
2007年11月20日「表現団体の人は、環境のことを言いにくいので、」に書いたようなこともあり、この二つの問題は、別個の問題として扱っていきたいと思います。