『13歳のハローワーク』Web版をご紹介したところ、かなり反響がありました。直接トラックバックをいただいたのは3件ですが、それ以外にも記事にしているところが相当あります。
この本は2003年11月発行のベストセラーで、すでに120万部を突破し、全国8,000以上の小中学校・高校で採用されました。早い段階で「ネットワークユニットDuo」が「劇団で活動している方々に是非、読んでいただきたいです」と推奨し、私も同感だったので04年1月にご紹介しました。最近Web版の存在に気づいたので再度取り上げましたが、今回初めて知って反感を覚えている方は、遅すぎるのではないでしょうか。賛否両論あるのは自由ですが、異議を唱えたいのならもっと早く声を上げないと。アマゾンのカスタマーレビュー(酷評が多数あります)に参加するとか、方法はいろいろあったはずです。
拒否反応の激しい方もいるようですが、演劇を職業として考えたときに報酬の有無を切り口にするのは当然のことで、そのこと自体は真摯に受け止めてほしいと思います。演劇は芸術ですから、全員がプロフェッショナルにはなれません。そこに至らない演劇人が無数にいる現実も直視しないといけないでしょう。芸術の世界では、その評価と報酬がリンクしないことも多々ありますが、これは職業ガイドであって生き方ガイドではありません。生き方は人の数だけ存在します。その前提の上で読めば、腹は立たないと思うのですが。
この本がフルタイムとハーフタイムの違いに触れていないことも意識してください。現実にはハーフタイムの俳優も多いわけで、そのハーフタイムの活動に対して報酬を得ているのなら、「舞台俳優」と言っていいと思います。「収入のすべてを舞台で稼ぐこと」とはどこにも書いていません。残りをアルバイトで稼ぐことまで否定していないわけで、冷静に読み解いてほしいと思います。
制作者なら、誰もが所属俳優にギャラを出してやりたい、舞台だけで食べられるようにしてやりたいと願っているはずです。演劇の世界でお金に最も向き合っている存在は制作者でしょう。そうした制作者にこの本は「もっとがんばれ」と言っているようで、私は「耳が痛い」と書きました。ひょっとこ乱舞の広田淳一氏は私の紹介方法に不満のようですが、ひょっとこ乱舞の制作者がどう感じているか、感想を求めてみてはいかがでしょうか。
複数のサーチャーの原稿をまとめているので、この本全体でムラが激しいのは事実です。アマゾンの酷評にもうなずける部分があるし、「(財) 辺境創造 - 辺境の劇場で何を思うか?」が指摘しているように、なぜか画家にはやさしい。この本全体が素晴らしいとは私も言いませんが、少なくとも「舞台俳優」と「劇団員」の項に刺激を受けたわけです。私は演劇界の現状を変えたくてfringeを始めた人間ですから、現状を肯定的に書くことにこそ危機感を抱きます。
「現代社会は、先鋭的な演劇を基本的に必要としていない」(劇団員)にも反感が多いようですが、演劇が現代社会にどこまでフィードバック出来ているかと問われれば、それはまだまだ発展途上でしょう。「基本的に」とあるのは、筆者からの挑戦状だと私は受け止めますし、「PLAYNOTE」のように俳優養成や批評の熟成にまで思いを馳せる分析もあります。この本を戯言だと切り捨てるのは簡単ですが、ここから考えていかなければならないことは、あまりに多いと私は思うのです。
[舞台とか演劇とかについて考える] 続・「13歳のハローワーク公式サイト」叩き:なぜ今だったのか?
fringe blogからトラックバックをいただいた。 今回初めて知って反感を覚えている方は、遅すぎるのではないでしょうか。 これ、自分でも不思議なのだが、確かに本が話題になったとき(立ち読みだけど、)中身を読んだ。舞台俳優と劇団員の項も、あまり覚えてなかったけど読
私自身、思うところはあるとして、特に該当記事に対して否定的な気持ちは抱きませんが。
>今回初めて知って反感を覚えている方は、遅すぎるのではないでしょうか。賛否両論あるのは自由ですが、異議を唱えたいのならもっと早く声を上げないと。
反感、拒否、異議を、覚え、論じ、唱えるのに、遅さや早さって関係あるのでしょうか。確かに、職業という点でも舞台という点でも、時代状況にかかわりはあるでしょうが。
一方で、明確な批評(肯定にしても否定にしても)は、そんなに状況が変わってないなら、遅いと切り捨てられないはずです。
大切なのは、内容に筋が通っているか。
ふらふら荻野さんの記事を見てるものにとって、以前も紹介したのに遅すぎるなんて書かれた日にゃ、該当記事を読んで反感抱く前に、荻野さんの文に違和感を感じてしまいます。
fringeの各種記事を読んで、感心しっぱなしなのですが、以前のweb制作スタイルの件といい、荻野さんは、何だか妙なところで挑発的でいらっしゃる。
「もっと早く声を挙げないと」の次に続く言葉をお聞きしたいです。
私が挑発的なのは、同時代のことにもっと敏感になってほしいからです。
制作者と話していても、助成金制度さえ知らない人もいます。自分でもっとアンテナを張り、行動すべきことは行動してほしいという思いからです。
なるほど。戦略的な、それも業界を思う故の、挑発だったわけなのですね。納得致しました。
あのう、それで確認なのですが、それは挑発ゆえで、別に該当記事のような「公開されている個人(或いはとある団体など)の文言」について遅く反論すること、そもそも接触が遅いこと、については別に構わないわけですよね?
助成金の存在を知らない、遅く反応する、ということと、該当記事のような「公開されて…以下略」を知らない、遅く反応することでは、かなり性質が違うように思います。
助成金を知らない人や、例えば締切に遅れて悔しがる人に対し、一喝して、挑発もせねばならないとは思います。しかし、今回は違う。
挑発にも、理がなければならぬかと。
実際に、遅く反応した人に対し、「遅い」と批判してるのだから、それに対してはその批判の責任取らねばならぬかと思います。その理由が、挑発のため、ってんなら、まともな批判じゃない。
遅く反応した人に、その反応の内容に対しての更なる反論が、挑発的なのは、良い刺激だと思うのですが。
fringeに見られる、荻野さんの、冷徹ながらも挑発的なご意見の数々には私も見入っております。
今、わざわざ申し上げたいのは「見当外れなところで」挑発的なのは、よろしくない、ということです。
もっとまとめれば「ある意見に対して、反応するのは自由であり、その価値は純粋に内容に求めら、早さ遅さは関係ない。それを理由に批判するのは、例え刺激を与えるためであってもよくない。刺激を与えるなら、純粋に内容に対し批判するべきであって、早い遅いについて言うのには、見当違いであり、同時に、見当違いな違和感や反感も生み、よろしくない」
斉藤さんが書かれている「挑発にも、理がなければならぬ」は重要なことだと思います。
ただ、助成金も『13歳のハローワーク』も私にとっては同じなんです。斉藤さんが「挑発的」と書かれたので、私も鸚鵡返しでそのまま「挑発的」を使いましたが、もっと具体的に言えば、「遅い」ことを「遅い」と気づかせるために書いたわけです。そんなの当たり前じゃないか、ざわざわ書く必要ないと言われるかも知れませんが、締切のある助成金は「遅い」ことを本人が自覚しますが、『13歳のハローワーク』は自覚しない可能性もあると思いましたので。
書評が遅いとダメなのかと問われると、それは決してそうではないと思いますが、せっかく同時代に出版されている本なのですから、反論するならベストセラーになる前にネガティブキャンペーンを張ってほしかったな(それが出来たのにな)、という気持ちからです。締切は決まっていないけれど、もう少し早く動けばよかったと思うことって、結構あると思います。
ご指摘のとおり、早い遅いについて言及するのは違和感や反感を生むと思います。私も「遅い」と書くのは最後まで迷いましたが、今回は書きたいと思ったんですね。そこに至った心理をご説明しますと、9月25日に「続」を書いた時点では、3年前の話題でWeb版も出来て1年経ち、いまさら書く必要あるのかと思っていたのが、多数の反響があって驚いたわけです。自分では終わったと思っていた話が、そうではなかったことにびっくりしたのです。そこで「物事には旬がある」ということを言いたい気持ちが、今回は勝ってしまいました。もちろん、すべて主観に基づくものですから、こうやって斉藤さんからご忠告いただくのも、それは仕方ないことだと思っています。
含蓄ある内容をありがとうございました。