ひょっとこ乱舞の広田淳一氏がこの件について再度書かれています。
私も議論のための議論はしたくないのですが、見過ごせない部分がありますので、以下を記しておきます。
●私の真意は、自分からもっとアンテナを張れということ。
この点は、前の発言でのコメントのやりとりで理解していただけると思っていたのですが……。物事には遅くてもいい反応と、時間が限られていることがあります。現代の話題だから反応しろと言っているのではありません。新刊なのですから、内容に疑問があるならベストセラーになる前にネガティブキャンペーンが張れたのにということを言いたかったのです。
この件に限らず、創造環境を巡る法案や制度など、演劇人の周囲にもそのとき声を上げなければダメというものがあると思います。そうした時間の限られているものは、自分からアンテナを張る努力が必要で、私の記事を読んで初めて『13歳のハローワーク』を読むようでは……という気持ちが強かったわけです。
●「ハーフタイム」を組み込んでも「劇団員」は減らない。
広田氏の説が正しいとすると、「ハーフタイム」の演劇関係者には、きちんと「ハーフタイム」分の報酬が支払われていなければなりませんが、小劇場系カンパニーは所属俳優全員に正当な出演料を支払っているでしょうか。著名になっても客演にしか支払えないところが大半ではないでしょうか。「ハーフタイム」を組み込んだところで、演劇活動で報酬を得ていない「劇団員」は多数いるのが現実だと思います。
●私の文章は制作者向けで、13歳が読んだらどう感じるかは別の話。
13歳がこの本を読んだら誤解するという広田氏の危惧はそのとおりでしょう。しかし、私の記事は大人の制作者に向けて書いたものです。私に反論するのなら、制作者がこの本を読んだときにどう感じるかを論じなければ、全く噛み合わないと思います。
私は、過去の記事で13歳が読んだ場合の評価は一言も書いていません。制作者が読んだときのことしか書いていないのです。前提条件が全く異なるわけで、そこへ私の文章を引き合いに出す広田氏の論理は理解に苦しみます。この本が13歳にふさわしくないと考えるなら、純粋にそのことだけを書けばいいと思います。
●どんな仕事にも「報酬とは違う贅沢」がある。それは大前提。
(中略)
この仕事の贅沢とは、「報酬」の多い少ないとは全く違う次元でいい大人が真面目にああでもないこうでもないと時間と労力を費やすことができるという贅沢です。
広田氏は演劇についてこのように書かれています。素敵な言葉だと思いますが、私はそれは演劇に限らず、どんな仕事にも共通することだと思っています。そりゃ傍目には報酬のために働いているようなケースもあるだろうし、全然楽しそうじゃない仕事だって山ほどあるでしょう。けれど、自分の仕事に誇りを持っている人は、その仕事の内容にかかわらず、広田氏が書かれているような心境になることがあると思います。
私は、どんな仕事にも「報酬とは違う贅沢」があると思っています。そんなことは社会人なら誰もが知っている大前提で、演劇が特別だとは全く思っていません。その大前提の上で、報酬という共通のモノサシで比較してみたのが、『13歳のハローワーク』の「舞台俳優」と「劇団員」だと考えています。
そもそも演劇だけが特権的な仕事のように書くのは、アーティストの盲目的な面を見せられるようで、私は好きではありません。逆に、どんな仕事の中にも「贅沢」を発見しようとする人を私は応援したいと思います。
繰り返しになりますが、別のモノサシがあることを中学生に話すのは有意義なことでしょう。どんどんやっていただきたいと思います。けれど、それと制作者レベルの議論は全く違います。ターゲットや論点が違うにもかかわらず、端々に私の文章を引き合いに出して比較するのはいかがかと思います。
>私は、どんな仕事にも「報酬とは違う贅沢」があると思っています。そんなことは社会人なら誰もが知っている大前提で、演劇が特別だとは全く思っていません。
この点はとても賛成です。私はサラリーマンですけど、報酬だけ見たらサラリーマンは割に合いません(笑)。
>その大前提の上で、報酬という共通のモノサシで比較してみたのが、『13歳のハローワーク』の「舞台俳優」と「劇団員」だと考えています。
>(略)逆に、どんな仕事の中にも「贅沢」を発見しようとする人を私は応援したいと思います。
この点は少し違和感を感じます。著者(村上龍)は生活の糧(≒報酬)を得るための仕事という点とは別に、充実度(向き不向き)というものを同じくらい重視しているからです。本から一部を抜出しますと、本の初めには
「この世の中には2種類の人間・大人しかいないと思います。(略)自分の好きな仕事、自分に向いている仕事で生活の糧を得ている人と、そうではない人のことです。」
と書かれていますし、終わりには
「『何をすればいいのかわからない』というのが、現在の日本を読み解くキーワードではないのか、ということだ。(略)『何をすれば』というときの、『何』は、生きる意味や人生の目的といった曖昧なものではなく、どうやって充実感と報酬を得るのか、という仕事に結びつくものではないかと思う。」
とも書かれています。詳しくは本にあたっていただくとして、向いている仕事で稼いでいこう、というのが著者の趣旨だと理解しています。荻野さんの論調は報酬に寄り過ぎていますし、広田氏の論調は充実感に寄り過ぎている上に、それ以外にも発散していると、本の読者としては思います。荻野さんは議論をわざと報酬に振っている気配もありますが、広田氏はちょっと力みすぎです。
ところで、
>そもそも演劇だけが特権的な仕事のように書くのは、アーティストの盲目的な面を見せられるようで、私は好きではありません。
これって同じアートの分野でも、結構限られた「職業」の人にしか見られない現象だと思うのですけど、なぜ演劇関係者はその限られた「職業」に入っている(入ってしまった)のでしょう。直感では、働いている場面(撮影、稽古、上演)が一般人にも膾炙している「職業」ほど、そうなりがちなのかなと思うのですが。内部関係者である荻野さんのご意見を伺えますでしょうか。
ハローとワーク。
先日、おくればせながら蒸し返した議論にfringeの荻野氏が真正面から返答してくださいましたので更に考えたことを書きます。
随分遅くなってしまったので前回トラックバックをしなかったのですが、コソコソ書いたようでかえって失礼になってしまい申し訳ありませんでした…
トラバ専用(13歳のハローワーク)
以下のブログでのやりとりへのトラバです。
fringeブログ
膝ブラック
>>荻野さんの論調は報酬に寄り過ぎていますし、
これは、『13歳のハローワーク』の「舞台俳優」と「劇団員」の説明がほぼ
「報酬」の切り口でしか見ていないので、必然的にそうなるかと。
…
>六角形さん
> これって同じアートの分野でも、結構限られた「職業」の人にしか見られない現象だと思うのですけど、
演劇は作品が残らないために、自分たち自身の存在に価値を見出す意識が強くなるのかも知れませんが、私は「職業」でカテゴライズするのは危険な気がします。企業だって様々な性格の人がいるのと同じように、結局は個人の問題ではないかと。もし演劇人が目立っているとしたら、それは他ジャンルより年齢が若かったり、あいだに立つスタッフがいないだけだと思います。
答えをいただいているのに返事が遅れました。
職業と書いたのは確かによくなかったです。ただ、そういう人たちの比率が多いという印象は持っています。自分のやっていることに対して、冷めた部分を持っていない(ように見える)人たちですね。
元ネタの村上龍の文章を読んで思いつきましたけど、それは職業ではなく「閉鎖的な集団(環境)」に属しているかどうかに、大きな影響を受けるのかもしれません。
ただ、検証のしようがない話題なので、これ以上のあてずっぽうはやめます。ご意見ありがとうございました。