高校演劇については、fringe blogでも2回(「高校演劇の不思議」「続・高校演劇の不思議」)に渡って議論しましたが、今年の全国高等学校演劇大会(全国高等学校総合文化祭演劇部門)は、青森県立青森中央高等学校が最優秀賞(文部科学大臣奨励賞)になりました。
作・演出は弘前劇場を退団した同校演劇部顧問の畑澤聖悟氏で、創作脚本賞も受賞しました。これについて「誠博客」が、「青森中央の最優秀賞はおめでたいが、素直に喜ばないでおく」というアーティクルを書かれています。筆者の佐藤誠氏は元・弘前劇場の制作者で、畑澤氏が新たに立ち上げたユニット「渡辺源四郎商店」のスタッフでもあります。身内ながらこういうことをはっきり書くことに、まず尊敬の念を覚えます。
佐藤氏は「高校演劇の不思議」で私が書いた、
を引用してくださり、
と書かれています。今回は畑澤氏の作・演出で最優秀賞という画に描いたような図式になりましたので、気持ちはよくわかります。これまでの議論で、私も高校演劇大会がなんでもありの異種格闘技のようなもので、参加している当事者からも不公平だというクレームが出ないことは理解しましたが、畑澤氏で最優秀賞というのは当たり前すぎて、果たしてコンクール形式を取る意義があるのかなと根本的な疑問を感じます。
畑澤氏が顧問ということでもう一つ気になるのは、異種格闘技と言いつつも、実際は顧問以外に演劇人が関係することは難しいからです。全国高等学校演劇協議会規約では、「キャスト及びスタッフについては在校生のみとする」と明記されているのですが、顧問の演出は黙認されているようですね。高校演劇関係者はご存知だと思いますが、私が所属していた遊気舎の谷省吾氏は関西の高校演劇界とつながりが深く、1996年度全国大会の話題作、兵庫県立神戸高等学校『破稿 銀河鉄道の夜』は彼の原案で生まれた作品です。演劇人が協力すると他校から相当な反発があり、細心の注意を払いながら行動していると当時彼は語っていました。そういう姿を知っているだけに、顧問が演劇人というパターンはやはりアドバンテージありすぎだなと感じます。
高校演劇大会の順位だけが物差しではなく、世の中には様々な指標があることを高校生には知ってほしいと改めて思います。私個人はコンクールで一喜一憂するよりも、地域の観客が訪れる多彩な公演活動を続ける岩手県立花巻南高等学校演劇部のような姿に心惹かれます。
(参考)
高校演劇の不思議
続・高校演劇の不思議
高校演劇の不思議4
うさぎ庵主宰の工藤千夏と申します。荻野さんの高校演劇に関するご意見、大変興味深く拝読致しました。件の青森県立青森中央高校の 『修学旅行』自主公演のチラシに拙文を寄せている経緯もあり、筆を取らせて頂きます。一つ荻野さんに知って頂きたいと思ったのは、青森中央が決してコンクール至上主義ではなく、むしろ、荻野さんが推奨される岩手県立花巻南高校のような活動を、他校に先駆けて10年近く続けているという事実です。毎年、東北大会終了後に青森市内と県外数ヵ所で自主公演を行い、県内の小学生対象の公演も打っています。盛岡で行われた、コンクール参加だけではなく一般の劇場で公演しようという趣旨のシンポジウムにも中心メンバーとして関わりました。 今回、八戸での全国大会も実際に全校観ましたが、青森中央の部員たちは、全国大会というお祭り騒ぎはお祭り騒ぎとして適度に緊張しつつ(高総文開催地だったので青森県全体がお祭り騒ぎでした)、とにかく自分たちの舞台を楽しんでいて、結果として最優秀賞も創作脚本賞もついてきてしまったというのが私の印象です。
花巻南高校演劇部の顧問です。
荻野さん> 私どもの日々の活動に注目していただきありがとうございます。
さて、畑澤さんと私を比べればどちらがコンクール至上主義かというと、これは、どう考えても私です(笑)。全国大会出場したいです。はい。
畑澤さんとは、2001年盛岡で新世紀高校演劇祭を一緒に企画させていただきました。その企画のサブタイトルは「高校演劇よ、もっと表にでろ!」といった感じでした。コンクールだけではなく、もっと市民の観劇の場に出て行くべきだ!という畑澤さんの提案でした。とても刺激を受けましたし、その後の花南演劇部の活動の指標にもなっています。
ここでの論点はプロの指導をどう考えるかですよね。
確かにある地域では、プロの方がアドバイスにすら入ることを極端に嫌うこともあるようですし、別の地域ではプロの作品の上演はOKでも(指導はだめですよ)、顧問創作を上演することはNGという地域もあるやに聞いています。理由は、顧問創作だと生徒の自主性が損なわれるからと言った感じでしょうか?
私は、今まで地域演劇にもほとんど携わっていませんし、学生時代演劇活動をしていたこともありません。顧問になってからいろいろと知識をつけてきました。ですが、他校の生徒から見れば、「いろいろ知っている顧問」ということで羨ましがられたりします。
そうなると、生徒からみた「公平性」はナンだか判らなくなってしまいます。
私自身は、今回の畑澤さんの受賞は正直喜んでいます。特別視されずに、いろいろな意味で公平な土俵にたっていた事実に喜んでいます。
そして、畑澤さんが演劇におけるプロであることは事実ですが、同時に、普段の授業やクラス経営や生徒会指導をこなしすつつ生徒との教育活動に揉まれながら、演劇部も指導している顧問であることも事実です。この点は、「プロだからダメ」という括りだけでは語れないものはあるのだと思います。
顧問が書いた作品でも、受賞を重ねる毎(いわゆる常連校になる毎)に、より厳しい目で見られたりすることもコンクールではあります。
「有名税だよね」
なんて、顧問同士で話したりするわけです。ですが、生徒は毎年変わっているわけで、その生徒をどう活かし成長させていくか?顧問の「有名税」で逆のアドバンテージを受けてしまうのならば、それはそれで不公平な感じが私はします。
私は、今回の最優秀賞ならびに創作脚本賞受賞を喜んだ一人です。
>工藤さん、岡部さん
コメントありがとうございます。
私も高校演劇大会がなんでもありの異種格闘技ということを理解しましたので、青森中央高校の最優秀賞だってアリだと思っています。しかし、地域によって異種格闘技に関する考え方に大きな隔たりがあり、演劇人の関与が許されないような地域があることも事実ですので、その不公平さを問題提起するために、このような書き方をさせていただきました。
畑澤氏や長谷川孝治氏の活動、そして岡部さんのウェブログを拝見していると、東北は非常に理解のある地域だなとうらやましく思います。私は関西で高校教諭を続けながら演劇活動を続けている人を複数知っていますが、いずれも勤務校に演劇をやっていることが絶対にバレないよう苦労していました。うち一人は関西の小劇場界でそれなりに名の知れたカンパニーの主宰者ですが、「勤務校に知られたら演劇を続けられなくなる」と非常に気を遣っていました。
この問題は、公務員の兼職禁止規定とも関係があります。小劇場系カンパニーは営利企業ではありませんので、国家公務員法や地方公務員法の兼職禁止規定には該当しませんが、数千円のチケット料金を取って千人単位の観客を集める行為が、演劇の台所を知らない部外者には営利活動に映ってしまう可能性があります。この誤解を解き、地域に関係なく公務員が演劇をしていることをカミングアウト出来るようになってほしいと思います。
前述の主宰者の方が勤務校に知られぬよう悩んでいたとき、世の中では歌人・俵万智氏の『サラダ記念日』がベストセラーになっていました。彼女は当時、神奈川県立橋本高校の教諭で、神奈川県の長洲一二知事は「彼女は神奈川県の公務員の誇りだ」と称えていました。しかし、ベストセラーを出して億単位の印税を受け取っていい公務員がいる一方で、赤字の演劇活動さえカミングアウト出来ない公務員がいる日本という国はおかしいのではないかと、私は憤りを覚えたものです。
岡部さんが書かれている、畑澤氏が通常の教育活動も続けながら演劇部を指導されているという点は私も認めますが、それと弘前劇場を兼ねられてきたこと自体が、他地域から見ると恵まれていると感じます。他地域では、本人の努力だけではどうにもならない外圧があるのです。その点、東北はとても理解があるのだなと思います。
畑澤氏や俵万智氏は恵まれた環境にいたのだと思います。そのこと自体は喜ぶべきことですし、受賞もおめでたいことですが、表現に携わる者として、そうでない環境にいる人々を思いやることが重要なのではないでしょうか。
畑澤氏の最優秀賞という事実を盾に、「教諭が演劇人であってもいいんだ」「演劇人が演劇部を指導してもいいんだ」という理解が全国に浸透することを心から願っています。
初めまして。なるほど全国の事情というのはいろいろあるなと感心して読んでおりました。何の因果か全国の事務局などをしているのですが、全国の趨勢を全て知っているわけでもなく、演劇に関わっている者が顧問ではいけないような風潮もあるのか・・・。と考えてしまいました。
北海道は特にそのような縛りもなく、それどころか部活動を維持するためにどうしようかと思案し続けているのが実情です。演劇活動の前に教育活動でもあるのが高校演劇というジャンルです。いつも疑問が出て、いつも最後まで決着付かないのがこの問題。
高校演劇は生徒と顧問が作る共同作業で出来るもの。決してどちらか一方では評価されにくい事になります。とはいえ、脚本はその70%近くを決めるのですから顧問の力は自然とそこに注がれる事になります。顧問の筆圧が全てを決めると行っても良いかもしれません。生徒創作と称しながら、完全に生徒だけで作られている脚本で優秀な作品は本当にまれです。
舞台をたくさん観る事の出来る都会ならともかく、地区大会でしか他の作品を見る事が出来ない地方では、生徒創作ははっきり無理と言えます。そういう事も含めてみんながいろいろな事情を理解できたらいいのになあといつも感じています。
私も、今回の青森中央高の受賞を大変喜んでいる一人です。アゴラ劇場で畑澤先生の作品を何度か見ていますが、その、今が旬の劇作家が高校生と作った芝居、見てみたいと思うじゃないですか。それが、東京で日曜日に公演、BSで中継、ということになれば、高校演劇演劇関係者じゃない一般の演劇ファンの目に触れる機会が増すわけで、結構なことだと思うのです。高校演劇への理解、支援を増やすためにも絶好の機会ではないでしょうか。それにしても、公演の情報が不足しています。何とかなりませんか >中島先生
ところで、一流の演劇人が作・演出をし、演技のうまい生徒を集めれば全国大会で入賞するかといえば、そんなに簡単なものではありません。現に、今回青森中央高と同時入賞した茨城県の学校は、誰でも容易に入手できる、高校演劇界では有名な台本で上演し、役者も決してうまくはないのですが、不思議に心を動かされる作品に仕上がっています。あれは、プロには絶対できない芝居です。顧問の先生は、全国大会では練習しすぎてうまくなってしまったので、失敗した、と冗談のようにおっしゃっていました。このような学校が「勝つ」(ということばは趣味じゃありませんが)ことは、スポーツ界では絶対にありません。
プロの指導者が付くことの是非の問題ですが、高校演劇界が、例えば硬式野球のように、一流の監督・選手のスカウト合戦になる気遣いはありません。なぜなら、高校演劇で入賞しても、指導者に支払う高額のギャラに見合うメリットは学校にないし、生徒も、野球のようにスカウトに見いだされ将来につながってゆくようなルートが、現状ではないからです。というわけで、プロが支援することで、教育の場としての高校演劇界がゆがめられてしまうような心配はないと、私は考えています。
荻野さんがおっしゃっている、現職教諭と演劇人の兼務の話題は、また別の問題かと思います。現職教員が演劇人であることをカミングアウトできないのは不幸なことだと思いますが、実際問題、現場の教員が抱える課題は多すぎて、創作活動に裂ける時間はほとんどない、というのが現状ではないでしょうか。その意味でも、畑澤先生の場合は、たいへん幸福なレアケースであると思います。
どうもその東京優秀4校の公演の雲行きが怪しくなってきました。あと、NHKの放映も確実に今回で一区切りとなります。ぜひ、NHKオンラインにメールで意見を送ってください。このままでは来年からの中継はなくなってしまいます。優秀4校の中継についてはやむなく国立劇場からの中継となっておりますが、それもまたたまたまらしいです。まだ事務局2年目の中島には見えてこない部分が多々あるのです。
今年の優秀4校公演は8/27・28NHKによる中継は
翌日の29日月曜日の12:15~17:30BS2です。
続々・高校演劇の不思議
「続々・高校演劇の不思議」という文章を読む。 確かに高校演劇というジャンルがあることも変だし、演劇をコンクール形式で上演し、順位をつけるというのは圧倒的にへんてこりんである。とりあえず首まで使っている高校の演劇部顧問である僕も、やっぱり変だと思うことは…
二つ上の、自分のコメントについて、読み返してみると舌足らずなところがあるので、補足したいと思います。やや長文になりますが、お許し下さい。
「プロが支援することで、教育の場としての高校演劇界がゆがめられてしなうような心配がない」という一節は、コンクール入賞目的でプロに頼ることの是非を述べたまでで、通常の部活動や、もっと拡げて授業において学校外の大人の力を借りることは、「心配がない」どころか、もっと推奨されるべきことだと私は思っています。
学校というのは、何かと閉鎖的な場所でありますが、学校で起きている諸問題は、もはや学校の中だけでは解決できないように思います。学校で何もかも抱え込むのではなく、かといって、外部に丸投げするのでもなく、アーティストを含む社会人と良好な関係を築いて連携してゆくことが必要だと、私は思います。
大阪では、「ドラマ科」という科目を設置した中学校があって、大いに成果を挙げていると聞きますが、(計画の部分では演劇人の助言を受けているにせよ)授業は全部素人の教員が行う、というのが、基本方針だそうです。しかし、(ドラマを作ること自体が目的ではないようですが)ドラマ作りの技術は素人が数年で身につけられるほど安易なものではないと思うのです。専門家に任せる部分は任せ、専門家の力をどう教育現場で生かしてもらうかを考えるのも教員の仕事だと思うんですが、給料もらってるのに、教員が外の人に恃んで生徒を指導してもらうのはおかしい、という考え方が学校には根強いようです。
外国語のALT(外人講師)には、比較的高額のギャラが支払われていますが、総合学科などで演劇の授業をする演劇人の時給は安く、しかも、交通費も含めてかなりの後払いであることも多いようです。演劇人を招くことの価値がなかなか認知されないのは、いらだたしいことです。
さて、話を戻しますが、高校演劇の大会では、審査員としてプロの演劇人を招くことも少なくありません。これは、選抜をしてもらう、というより、現場の教員では思いもよらぬ視点で講評をしてもらうことに、意味があると思います。時々、プロの講評に腹を立てる教員や生徒もいるようですが、自分が考えていること同じことを言ってもらいたいなら、自分たちで話し合えば済むこと。高校演劇の講評を経験された演劇人の方は、懲りずに、機会があれば、またご支援をいただければと思います。
私の属する「東京都・山手城南地区」では、去年、夏井孝裕さんと、横山仁一さんに、一日ずつ講評をお願いしました。自分たちでは決してできない講評という意味でも、それは期待に違わぬおもしろさでした。その節はありがとうございました。
別件ですが、今月末に国立劇場で行われる「全国大会優秀校東京公演」について、打ち切りなどの動きがあるのでしょうか>中島先生。プログラムが発表される前に、高文連のページで案内されている整理券の申込締切日が設定されているというのは、主催者(高文連ほか)に客を呼ぶ意志がないとしか思えませんもの。
あまり詳しい話は出来ないのですが、たとえばスポンサーのマクドナルドが降りたらその年で終わります。
国立劇場は無料ではありませんから、いつ降りるかという秒読み段階である事は確かです。
優秀校公演については、高文連主催行事であるため、高演協が中身についてあれこれ言う立場ではありませんから当方のHPにも詳細は載せないわけです。
NHKは青春舞台についてもう良いだろうという見解を上の方で持っているようで編成会議の段階でほとんど終了するべき長寿番組として認識しているようです。
NHKオンラインから青春舞台にリンクしていない現状を見たらすでに最終盤に来ている番組であると観るのが自然かと思います。
つながるとしたら新たな番組を模索しなければならない。担当プロデューサーが定年を迎えた事もあり、この先の継続はかなり絶望的。少なくとも優秀公演の中継という形から何か姿を変えないといけないようです。
いま話が出来る部分はこのあたりまでかな。