この記事は2004年8月に掲載されたものです。
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演劇人だけがアーティストではない

カテゴリー: fringeのトピック以前 | 投稿日: | 投稿者:

●「fringe blog」は複数の筆者による執筆です。本記事の筆者は 荻野達也 です。

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最近の「tanise-etc」で私がいいアーティクルだなと思ったのが「上下左右」

これは若い演劇人にぜひ身に着けてほしい感覚です。あなたに見えているのは相手のごく一部分であって、相手はあなたの全く知らない分野で全く別の評価を得ているかも知れないということです。学生や狭い演劇界だけで生きていると、相手と全人格的な付き合いをすることが多いと思いますが、ビジネスの世界では限られた分野での才能の切り売りが普通です。それをすべてと思うのは大きな間違いで、あなたの知らないことが世の中にはいくらでもあるのです。

客席にいる人々を、私たちは「観客」とひとことで片付けてしまいがちですが、その一人一人が才能と活躍する分野を持っているはずです。劇場では演劇人がアーティストかも知れませんが、劇場の外では観客がアーティストとして輝いている場面がいくらでもあるはずです。

2001年11月~12月に「えんげきのぺーじ」談話室で一行レビューの在り方が議論になったとき、私は「えんぺの影響力」というタイトルで次のようなことを書きました。

脱線するかも知れませんが、演劇の分野ではクリエイターではないにしても、
私たちは誰もが皆、なんらかの分野でクリエイターなのではありませんか。客
席にいる観客の方々も、職場や家庭でなにかをクリエイトされているのではあ
りませんか。それは一般的に芸術と呼ばれるものではないかも知れませんが、
表現という観点では同じではないでしょうか。表現者にとって自分を信じるこ
とは基本です。その苦しみは作り手でないとわからないとか、そういう次元の
ものではないと思います。

これは、日比野啓氏の書かれた

本当に自分たちが面白いと思っていたら、他人に何を言われようが創作活動を続けられるのではないですか。「精神的ダメージ」なんてのはクリエイターであるかぎり一生ついてまわるものでしょう。

という非常に真っ当な発言に対して反発した演劇人がいたので、情けないと思いながら書いたものです。自分たちだけが表現をしている、自分たちだけがアーティストだと思い込んでいる演劇人は、舞台の向こうに広がる客席の広大な知性を自覚すべきでしょう。残念ながら、演劇人の視野が広がらない限り、一行レビューへの過剰反応はなくならないのではと思います。