阪神・淡路大震災のときにも議論されたことだが、こういうときこそ演劇の持つ力で被災地を励ますべきという考えや、それに対してなにも出来ない自分の無力感に打ちのめされるという思いが、演劇人の中にあると思う。
だが、これはカンパニーの作品世界によって全く異なるわけで、路上で誰でも楽しめるようなコンテンツを持っているのなら慰問公演をすればいいし、そうでなければ無理に被災地を訪れなくてもいい。すべてのカンパニーがそうしたコンテンツを持っているわけではないし、自分たちの本拠地でいつもどおり粛々と公演することも、被災地以外の日常を維持する意味で重要だと思う。fringeでも被災地で上演する団体への助成金を紹介しているが、これは情報として掲載しているわけで、被災地での上演を推奨しているわけではない。いますぐ被災地に直接関わらないことで、良心の呵責に苦しむ必要はない。
今回の震災は私たちの世界観や価値観にも大きな影響を与えたはずだが、それをすぐに作品世界に反映することもない。長い時間をかけて作品に昇華させていけばよい。セゾン文化財団の片山正夫常務理事は、コラム「アートにできること」の中で、阪神・淡路大震災で被災した深津篤史氏が「いまなお震災に関する芝居を書き続けている」とし、「アートの大事な役割はここにもある」と説明している。
震災直後は被災地での活動がマスコミでも大きく報じられ、それがすべてのような印象を受けるが、片山氏も書かれているように「日本人の性質は、熱しやすく醒めやすい」。阪神・淡路大震災のときも、2か月後に起きた地下鉄サリン事件で東京の関心はそちらへ移ってしまったように感じた。今回も息の長い支援が必要で、企業メセナ協議会のGBFund(東日本大震災 芸術・文化による復興支援ファンド)は、当面2016年12月まで寄付金を受け入れるとしている。被災地での応援活動と活動再生を対象にしたファンドだが、時間の経過につれて後者の比率が高まるはずで、そのときこそいま以上の寄付が必要ではないかと思う。
被災地以外での公演だが、こういうときだからこそ、私はそれぞれの地域で上演期間を長くする努力をしてほしいと思う。上演期間が短いと、悪い意味で演劇を〈特別なもの〉にしてしまう。そうした地域では、演劇が〈日常の風景〉になっていないわけで、今回の東京と同じ状況に置かれたら、安易に公演自粛に向かってしまわないだろうか。劇場で毎日公演があり、劇場をクローズするほうが異常に思える風景をつくってほしい。そのためには、上演団体自身がロングランを強く志向するしかない。
震災の後で、私たちの考えも変わったのではないか。演劇が上演出来るのは素晴らしいことだ。だったら、もっともっと長くやってほしい。上演期間を長くすることに消極的だった人も、なぜ演劇をやるのか、なぜ劇場があるのかを改めて考えるきっかけにしてほしい。
(参考)
払い戻しではなく次回公演への振り替えに出来ないか
専門誌が伝える演劇界と映画界の動き
自粛からはなにも生まれない
東京で上演し続けることの意味