アンケートは小劇場演劇に付きものとなっている。だが、そもそもなぜアンケートが必要なのか、制作者はその目的を考えて実施しているだろうか。周囲がやっているから、これがないと物足りないからと、あまり深く考えずに習慣でやっている部分があるのではないだろうか。
アンケートの役割は大別して三つあると思う。まず、観客名簿のデータを収集すること。次に、公演を知った経緯や再演希望作品を尋ねるなど、マーケティング用途での活用。最後に、公演の感想を自由記入で求めるのが一般的だろう。この感想欄が、私は昔から不要ではないかと感じてきた。
例えば、客席の空調が効きすぎて寒かった、受付の態度が悪かったなど、制作面で参考になる感想は意味があると思う。アンケートを読んだ制作者が翌日から改善することも出来る。だが、作品そのものの感想を求めることにどれだけの意味があるだろうか。
終演後のアンケートは、その作品を評価した観客だけが書くことが多い。評価しない観客はわざわざ時間を割こうとは思わないし、次回公演案内も不要なので書かない。さっさと帰るはずである。そのため、回収されたアンケートの多くは批評ではなく、作品へのエールになっている。関係者にとって悪い気はしないだろうが、それが本当にアンケートの目的と言えるだろうか。
小劇場演劇になぜこれほどアンケートが定着したのかを考えると、劇評の不足からこういう事態になったと思われる。小劇場演劇では、公演に対して劇評が発表されることは稀だった。若手では特にそうだろう。そうした批評のなさを補うため、アンケートというものが重視されたのだと思う。
だが、エールばかり書かれたアンケートが、果たして劇評の代わりになるだろうか。終演直後の短い時間に書かれた文章が、熟考して書かれた劇評の代わりになるだろうか。私自身、終演直後はとても考えがまとまらないことが多く、あの短い時間で他の観客はよく書けるものだと、以前から不思議でならなかった。応援メッセージなら書けるだろうが、それが本当に次回公演の参考になるだろうか。
もし本当に芸術面の参考にしたいのなら、ネガティブな意見も含めて本音を引き出すべきである。アンケートを出さずに帰った人の声こそ聞きたい。そういう人に謝礼を払って集まってもらい、グループインタビューするぐらいのことをすべきだと、演劇を観始めたころから私はずっと思っていた(周囲にも提言した)。エールはもちろんありがたいが、批評という観点からは、真摯な批判をじっくり聞くほうがずっと意味があるのではないか。
こうした思いをずっと抱いていたため、私自身はアンケートの感想欄はやめてしまいたかった。制作面で気づいた点を書いてもらう程度にしたかった。だが、現実は〈アンケート命〉のような若い俳優もいて、終演後はアンケート束の奪い合いになるような状態だったので、モチベーション維持のためにやめることは出来なかった。
それでも、若い俳優がアンケートの褒め言葉に大はしゃぎしている姿を見ると、それはちょっと違うんじゃないかという気がして、同じ思いのベテラン俳優と共謀し、酷評のアンケートを捏造して紛れ込ませたりした。読んだ本人はショックを受けていたが、それぐらいでないとバランスが取れないと思ったのだ。
ここまで読んだ方ならお気づきと思うが、これはまだインターネットが一般的でないころの話である。いまなら劇評ブログ、そして感想を気軽に書き込める演劇情報ポータルがあり、劇評に飢え、モチベーションのために感想を欲した演劇人も、アンケートにこだわる必要はないと思う。むしろ、時間をおいて書かれたネットの文章のほうが、充実した内容でずっと参考になるのではないか。
劇評ブログや演劇情報ポータルは、観客も自分自身の記録として書く場合が多いので、評価出来ない作品も取り上げられる。そこがエールだらけのアンケートと全く違う点だ。厳しい内容もあるだろうが、それこそが本当の評価であり、アンケートを重視する演劇人は現実から逃げているように思える。発想を転換する時期だと思う。
「えんげきのぺーじ」がまだ東京の小劇場界に影響力を持っていた2001年、「一行レビュー」の自作自演が問題となり、演劇人の側からネットへの批判が巻き起こったが、あれもエールだらけのアンケートに浸りきった弊害に私は思えた。芸術は賛否両論あるのが当然であり、そうでなければ嘘だと思う。私の理想は「私ならレビューサイトをこうする(5)」を再読してほしい。
もう一つ、以前から気になっていることがある。それは、アンケートを読まないと公言している演出家が結構いることだ。別に読まなくてもいいが、それならアンケートの感想欄をやめないと、観客に失礼ではないか。演劇はライブの表現であり、その気になれば翌日から演出を変えることも出来る。そうした〈成長する表現〉だと信じてアンケートを書く観客もいるだろうに、演出家が読まないと公言するのはどうかと思う。
弘前劇場の長谷川孝治氏は、『地域と演劇 弘前劇場の三十年』の「アンケートと観客」の項でこう書いている。
「俳優さんたちの迫力ある演技に感激」
「レベルが高いなぁと思いました」
「照明が綺麗でした」
「まるでそこに私も参加しているようでした」
これらは批評ではなくて感想である。勿論、感想を書いて欲しいとリクエストしているのだからそれ以上のものが出てくるわけではない。それを糧に次の芝居を考えることは非常に危険である。観客は当然ながら作品の質に責任を負わない。もともとものすごく感動した観客とものすごく失望した観客はアンケートを書かずにそそくさと劇場を後にするものだ。
ここまでわかっていて、なぜ感想欄をやめないのだろう。観客に本気で批評を望むのなら、それが書ける環境と謝礼を提供すべきであって、アンケートという旧態依然の慣習を疑わないカンパニーの側にこそ問題があるのではないか。アンケートは受け継がなければならない決まり事でもなんでもない。制作者の工夫でいくらでも変えられるのだ。
小劇場演劇は、変えようと思えば、まだまだいくらでも変えられる余地がある。それが出来ないのは、演劇をずっと続けてきた演劇人自身の固定観念に依る部分が大きいと私は思う。アンケートの感想欄は、その象徴のような気がする。
誤解のないよう書いておくが、アンケート自体をやめろと言っているのでない。結果的に自己満足になってしまうだけの設問、読まないことを前提にした設問がおかしいと言っているのだ。いま私がアンケート用紙をつくるとしたら、「公演の運営でお気づきの点があればお書きください」という欄は設けるが、感想を求める欄は設けない。その代わり、「作品に関するご意見はネット上で拝見いたします」と書いておきたい。