東大・駒場小空間での小鳥クロックワーク最期公演(=最終公演)『わが町』(作/ソーントン・ワイルダー、演出/西悟志)に足を運びました。これをもって集団をリセットするそうで、名前も「TEXT EXCEPT PHOENIX+steps」(略称「TEP+steps」)に変わります。西氏の演出作品を観るのは、04年の劇団山の手事情社EXTRA企画『作、アレクサンドル・プーシキン』に続いて2本目。スタイリッシュだった山の手公演同様、台詞の大胆な抑揚と繰り返し、カットバックが目立ちます。印象的だった名曲多用もそのまま。
名作『わが町』なのだから、テーマ性や構成が見事なのは当たり前ですが、その感動を何倍にもする演出上のたくらみがこの上演にはありました。ネタバレになりますが、役者たちが本名で自己紹介するシーンが随所に折り込まれます。役ではない、演じ手そのものの紹介は観客の視点を絶えず現実に引き戻し、物語とリアルな上演現場を同居させたまま進みます。作品世界に浸るのを意図的に阻む演出は、第三幕、埋葬された死者たちの会話のあとで劇的な展開を迎えます。役者全員が本名、彼ら自身の生年、来るべき没年を叫び、(「××××(名前)、19XX年から20XX年!」)、退場していくのです。
第二幕の賛美歌代わりに使われた坂本九「上を向いて歩こう」が流れる中、タッパ6mあるキャットウォークから視界を遮るほどの銀雪が降り注ぎます。若い役者たちに自分が死ぬ年を言わせることで、避けられない死の存在が鮮明に浮かび上がり、魂を揺さぶられる感慨が襲ってきます。人生の一瞬の価値を描いた『わが町』を、2005年の私たちの物語として再生させた演出として、これ以上のものはないと感じました。文章にするとあざとく感じるかも知れませんが、劇場では見事に調和していました。
素晴らしい作品でした。こんな素敵な演出で『わが町』を上演してくれてありがとう。でも、終演後に配っていたアレはいけません。「休むに似たり。」や「某日観劇録」でも指摘されています。無料公演(実際には一律カンパ1,500円を徴収)なので大丈夫と思っているなら、大間違いです。大学内の公演でも、やっていいことと悪いことがあるでしょう。
そもそも、一律カンパ制自体をもうやめたら? 長年の慣習でそうなっているのでしょうが、大学当局と交渉して変えるべき時期です。ベンチャービジネスラボラトリーで国立大学が起業を推奨する時代ですよ。名目だけのカンパ制など廃止して、きちんとチケット代を取ってください。大学によっては、いまだに資本主義の手先だとか言ってプレイガイドへの配券を認めないし、もう21世紀だぜ。私も学生時代、学友会と交渉を重ね、300円が不文律だった学内イベントの入場料を800円まで認めさせた思い出があります。制作者は面倒がらずに学内の環境も変えてほしいと思います。
小鳥クロックワーク「わが町」
「fringe」サイトを主宰する荻野達也さんが小鳥クロックワークの最終公演『わが町』についてかなり長いレビューを載せています。 「西氏の演出作品を観るのは、04年の劇団山の手事情社EXTRA企画『作、アレクサンドル・プーシキン』に続いて2本目。スタイリッシュだった…
駒場小空間になる前の駒場小劇場で私が劇団をやっていた時(10数年前)は、たしか前売り800円(関係者割引だと600円)、当日1000円でした。チラシに「カンパ制」と書いたことはなかったので、小空間に変わってからそうなったのでしょうか?
この作品は私も拝見しました。素晴らしかったです。空調が壊れていた(本当かなぁ?)のはつらいですが、空間としてはすごく素敵なので、ぜひ正式にお金を取って使える場所になって欲しいですね。
いつもお世話になっております。
学内のイベントでお金が取れないというのは、優秀な劇団の大学内流出を促進する向きもあるようで、早稲田大学の学生として歯がゆいばかりです。しかし、大学の論理としては「学生のやっていることは非営利活動である」という認識が高いようです。「劇場はただで貸しているのだから、それくらい何とかしなさい」といわれることもあります。先年のBeSeTo演劇祭で早稲田大学近辺の演劇的可能性が再確認されたわけですし、どうにかして大学の理解を得ることはできないものかと考えております。
小鳥クロックワーク『わが町』01/14-17駒場小空間
わが町
西悟志さんの演出は山の手事情社EXTRA企画『作、アレクサンドル・…