この記事は2016年2月に掲載されたものです。
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劇団制作社・樺澤良プロデューサーが「やるべきことをやりきった」と舞台芸術界を引退、介護業界の支援に転身――小劇場界の未来を見据え、17年間ぶれなかった理念

カテゴリー: フリンジのリフジン | 投稿日: | 投稿者:

●「fringe blog」は複数の筆者による執筆です。本記事の筆者は 荻野達也 です。

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樺澤良「引退試合~ひとのために生きる、自分のために生きる~」

舞台芸術界を離れることを表明した樺澤良氏(劇団制作社)が自らの経験を赤裸々に語る引退イベント、「引退試合~ひとのために生きる、自分のために生きる~」に足を運んだ。

会場は、「革命アイドル暴走ちゃん」の演出助手・安藤達朗氏が住人兼企画運営をしているオルタナティブスペース「あをば荘」(東京・押上)。古いアパートを改装したスペースで、立食パーティー風の開催だった。レストラン勤務の経験を持つ樺澤氏のレシピを味わいながら、17年間の制作者人生に耳を傾けた。

制作者がこんなイベントを開催したのは、フロントで観客と身近に接する立場でありながら、人知れず引退していくのかはどうかという職能上の疑問、そしてお世話になった方々に、メールではなく直接お礼が言いたいとのことだった。

樺澤氏が強調していたのは、舞台芸術界を離れるのは演劇制作が嫌になったのではなく、自分がやるべきことをやりきったから。そのため、心置きなく他業界へ転身出来ると語っており、決してネガティブに扱わないよう何度も繰り返していた。「革命アイドル暴走ちゃん」とも喧嘩別れではなく、祝福されての引退だという。

このような心境に至ったのは、やはり2012年5月に起きた「バナナ学園純情乙女組」の過剰なアクトと、その後の解散が始まりだった。事態は樺澤氏の想定を超えて広がり、制作者としての初動を誤ったと述懐していた。13年に結成された「革命アイドル暴走ちゃん」は、当初貸してくれる劇場がなく、海外公演で実績を積んで〈人気の逆輸入〉をするしかないと考えた樺澤氏は、それを目標に2年半走り続けたという。

14年9月にはこまばアゴラ劇場(東京・駒場)で凱旋公演、15年10月にはあうるすぽっと(東京・池袋)での凱旋公演が実現した。前者は公演中止となった「汎-PAN-2012」、後者は参加取消となった「F/T12公募プログラム」に代わる位置づけで、樺澤氏がこだわった劇場選択だった。特に「F/T」と同じ豊島区で、公共ホール・あうるすぽっととタイアップ公演したことは特別な思いだったという。

ブラックなイメージのついてしまったカンパニーを再生させるという、非常に困難な目標を達成したことで、自分の中でやり遂げた感があったのだろう。公演規模や商業的な成功とは違うレイヤーで、樺澤氏は「舞台芸術界でやるべきことはやった」と考えたようだ。「自分の中でPDCAサイクルが完結した」とも語っていた。

樺澤氏の転身先は介護業界だ。介護の世界は労働環境が過酷で、高齢化社会で担い手が欠かせないにもかかわらず、離職者が絶えないという。そんなケアスタッフを励ますためのインナープロモーション映像制作を、介護会社の中で担当するという。実際に介護現場へ撮影に赴き、ケアスタッフを主人公にしたドキュメント映像を編集するのだ。「自分には介護の仕事は出来ないが、映像をつくることで応援し、人のために生きたい」

介護業界と聞いて、私はあまり驚かなかった。過去に彼の生い立ちや家族観を半生記が書けるほど聞かされていたため、「ひとのために生きる、自分のために生きる」というタイトルから、そうした世界をイメージしていた。樺澤氏は口は悪いが、それは素直で裏表のない性格の表われだ。その意味で、物事に対してとても誠実な人だと思う。その誠実さが発揮される道として、介護業界でもがんばっていただきたい。

舞台芸術界が有能な人材を失うことは事実だ。制作者がプロダクションや劇場を渡り歩くのはめずらしくないが、樺澤氏は問題意識が行動に直結しており、彼が所属を変えると、それだけ創造環境が進化した気がした。「TACT/FEST」(国際児童青少年演劇フェスティバル、現・大阪国際児童青少年アートフェスティバル)を東京芸術劇場で受け入れてから、ロクソドンタブラック(大阪・阿倍野、現・オーバルシアター)のプログラムディレクターになるなど、わかりやすい。そもそも、俳優から笹部博司氏のメジャーリーグに転じたこと自体、その表われだろう(俳優としては05年まで活躍)。率直すぎるがゆえ、敵をつくることも多かったのではないかと思うが、私にはこの10年間を代表する制作者に思えた。

過ぎ去ったことを仮定形で話しても仕方がないが、もし東京芸術劇場の業務委託時代に東京都歴史文化財団が樺澤氏を正職員で雇用し、自由な裁量を与えていたら、日本の公共ホールを巡る環境は劇的に変わっていたかも知れない。公共ホールの人材育成とはなんなのか、改めて考えさせられる事例だろう。現場トップである副館長の高萩宏氏も、複雑な心境で樺澤氏の引退を見ているのではないか。

樺澤氏の制作受託を振り返ったとき、強烈な個性を持ったカンパニーの列挙に目が眩みそうになる。「庭劇団ペニノ」「クロカミショウネン18」「劇団フライングステージ」「innerchild」「劇団鹿殺し」「ことり事務所(鳥肌実)」「劇団、江本純子」、そして「バナナ学園純情乙女組」「革命アイドル暴走ちゃん」。ものすごい顔ぶれだと思う。

アーティストに寄り添うタイプの制作者だと、このうち一つを担当しただけで精魂尽き果てるのではないか。彼がこうしたカンパニーと渡り合えたのは、小劇場界をビジネスとして成立させたいという、確固とした思いがあったからだろう。チケッティングの開発協力、カンパニーの垣根を越えた共同プロモーション、稽古場施設の制度設計なども、そうした理念が具現化したものだろう。

このイベントでも、樺澤氏は「経営」という言葉を何度も口にしていた。少ない助成金で海外公演を行ない、結果的に持ち出しになっている若手カンパニーを厳しく批判していた。舞台芸術という不確かな世界では、どうしても目先のことばかり考えがちだが、メジャーリーグに入ったときから、彼の理念はぶれていないように思う。方法論や順列組み合わせを間違えたことはあるだろうが、最初に出会ったときから理念は変わっていない。

樺澤氏のまいた種が、いま様々な形で育っている。例えば、13年から劇団鹿殺しが中心となって行なわれている「半券割」も、そのルーツは07年に樺澤氏が企画した「劇場へ行こう!~駅前劇場編~」だ。彼の下で学んだ制作者も多い。彼がマッチングさせた出会いは数知れない。

そして16年6月、「革命アイドル暴走ちゃん」はヨーロッパツアーでLIFT((London International Festival of Theatre、ロンドン国際演劇祭)に参加する。会場は、ロンドンを代表するバービカンセンターのザ・ピット。日本で例えるなら、新国立劇場小劇場で上演するようなものだ。樺澤氏は大きな置き土産を残していった。
 
LIFT 2016「Miss Revolutionary Idol Berserker」

すでに劇団制作社サイトはクローズされているが、彼のモットーである「制作者が一歩も二歩も先を歩けていなければならない」を熱く語った文章を、Internet Archive「Wayback Machine」から再録しておく。

カンパニーを愛し、カンパニーが成長していく過程を自分自身も共有したいと思うならば、制作者自身も同様に成長が必要な事は明白です。その為には劇団の方向指示器となるべき制作者はカンパニーが歩む道の一歩も二歩も先を歩けていなければならないのです。でなければどうしてカンパニーを成長させていけましょう。将来を共有するからこそ、現在、先を歩いている事が必要なのです。“その為にも制作者はカンパニーを牽引するためのスキルと発想がなくてはならない”のです。井の中の蛙な制作者はカンパニーを牽引していけるはずがありません。だからこそ、まず第一歩として制作者は自分自身が“専門職として確立している制作者”である必要があると心から思っています。そして職業として確立しているからこそ、先を見据える事に尽力できるのです。