この記事は2009年2月に掲載されたものです。
状況が変わったり、リンク先が変わっている可能性があります。



関係者の平均的な意識(格差緩和)

カテゴリー: さくてき博多一本締め | 投稿日: | 投稿者:

●「fringe blog」は複数の筆者による執筆です。本記事の筆者は 高崎大志 です。

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芸術環境の地域間格差をテーマにしたブログは、当初予定していた構成の終わりに近づいています。今回は、演劇関係者の平均的な意識の高さについて考えてみたいと思います。

あくまで私の知る範囲ですが、役者・演出家・制作者などその平均的な意識は首都圏の演劇関係者がかなり高いように感じられます。
もちろん例外も多くあり、地域で意識の高い方もいますし首都圏に意識が低い人もいるでしょう。
私が研究職にあれば、サンプリング調査を経て統計的にこれを証明するのですが、残念ながらこれは推測に過ぎません。
しかし、これは私がいろんな国内の多くの演劇関係者に直接会ったり話を聞いたりする中で得た実感です。

これは、まず第一に個人の責任に帰せられるものですが、芸術環境の地域間格差にも影響を受けていると考えられます。

まずは、成功の類型や例が多いと言うことがあります。地域では成功の類型や例は少ないか今のところ見つかっていないという場合もあるでしょう。
また、首都圏ならではのスケールメリットを生かして、分業化・専門化が進んでいると言うことも強みでしょう。
加えてこれまで書いてきたように、多くの機会や適切な目標があるということもあげられます。
周辺に意識の高い演劇関係者が多いということも、ひとつの環境と言えます。

環境を大学受験の環境に例えると、卒業生の90%が大学進学する進学校と大学進学から就職までいろんな進路がある普通校のような差があるようなものです。
もちろん後者の環境でも、国内一流の大学にはいることは出来るでしょう。しかしマクロ的に観るならば、前者の方が有利なことに違いありません。

一個人・一団体としての地域の表現者・表現団体にできることは、普通校からでも一流の大学にはいれるよう、アンテナを研ぎ澄まし、高い意識を持って努力することだけです。
(あくまで、大学受験の環境にたとえているだけです。)

各地域には表現者の他に表現活動を支援する人たちがいます。
私は地域の表現者に期待するとともに、こういった人たちが、それぞれの地域の芸術環境をその地域にあった方法で一歩一歩前進させてくれることを期待しています。


関係者の平均的な意識(格差緩和)」への12件のフィードバック

  1. 一読者

    高崎様
    はじめまして。検索をして拝見させていただいたものです。少々以前のエントリにコメントをさせていただくことをお許しください。
    本稿において高崎様がご使用になっている「意識」という言葉の定義をもう少し明確にご説明していただけませんでしょうか。
    イメージはなんとなく伝わるのですが、私にとっては厳密なところがわかりかねます。
    直接お伺いしご見解をうかがった上で、そこから始まる話もあろうかと思いますが、ご連絡先がわかりかねますので、コメント欄からお尋ねいたします。ご教示いただければ幸いです。

  2. 高崎大志

    ご質問ありがとうございます。
    一般的に「意識が高い」とか「意識が低い」という使い方をしますが、その一般に使われる普通の意味で使っております。

    のですが、具体的にどういうのを意識が高いと感じ、どういうのを意識が低いと感じるか?というお尋ねになりますでしょうか?

  3. 一読者

    高崎様
    ご返答ありがとうございます。
    一般的なものというのはわかるのですが、演劇分野における「意識」というものの方向性が専門外の私には少々わかりかねるところがあり、質問させていただきました。
    もし統計学的な分析をなさるのであれば、その部分が重要な要素のひとつになりうるのではないかと思い及んだ次第です。
    高崎様及び演劇分野の関係者様にとっては自明なのかもしれませんが、無知なる他分野の者にご教示いただけると幸いです。

  4. 高崎大志

    なるほど、「なにを指標として意識をはかるのか」という内容ですね。

    役者やスタッフなどで変わってくる面もありますし、環境によっても変わってくるところがあるかとます。その辺はさっ引いてご覧いただければと思います。

    たとえば、役者でいうならば、あくまで一例ですが
    1 セリフ覚えの早さ
    2 身体能力の維持・向上
    3 稽古に参加するための時間調整の努力
    などが考えられます。

    1についていえば、元々の記憶力や先輩がどれ位の早さで覚えているかの環境にも左右されるでしょう。2についていえば筋トレ等の重要性が芝居の方向性によって変わってきますので、それにも影響されるでしょう。

    実際の分析では、周囲の環境の計測と、これら複数の要素をポイント化して組み合わせることが必要だと思います。
    重要度と達成度でみていくということも可能かも知れません。
    やりようはいろいろありそうです。

    >もし統計学的な分析をなさるのであれば

    そういう研究が可能な仕事に就いていれば・・・とよく思います。(^^;)

  5. 一読者

    高崎様

    ご回答ありがとうございます。
    私が思い描いていたものとは少々異なっていたので、お尋ねしてよかったです。
    ただこちらが制作者の方がよくご覧になるということでしたので、役者を例にだされたことには驚きましたが。

    高崎様のご回答を元に更なる疑問をお尋ねしたい気持ちもありますが、これ以上コメントによるコミュニケーションはこちらのサイト様にもご迷惑かと存じますので、いったん筆を置きたいと思います。
    無知な者の愚問に対する丁重なる対応に感謝いたします。ありがとうございました。
    それでは失礼致します。

  6. 高崎大志

    本稿は、芸術文化なかでも演劇についての地域間格差を対象にしています。演劇に関係する職能で、演劇をもっとも代表するはなんといっても役者であり、一例として役者についての意識を書かせていただきました。
    非演劇関係者にも、わかりやすいということもあります。

    >こちらのサイト様にもご迷惑かと

    いえいえ、大丈夫ですよ。
    おそらく、ここまでは議論の前提の部分だと思いますので、遠慮無くどうぞ。

    それと、お名前はなんとお呼びすればいいでしょうか?

  7. 五十嵐

    高崎様

    上記のやり取りをさせていただきました「一読者」です。
    ご回答に感謝申し上げるとともに、今まで気づかないままで申し訳ありません。

    さて、演劇における地域間格差をその対象とするにあたり、「演劇関係者」において、高崎様にご教示いただきました意識をはかる指標とは別に、意識の指向性はどちらにあるのでしょうか。
    もちろんそれは地域によって、また「演劇関係者」当事者などにより変わりうることではあると思いますが、具体的なものをあげていただくことはできますか。
    「演劇関係者」とすると漠然としたものになりますので、「制作者」「劇場スタッフ」(あるいはその二つをハイブリッドしたもの)とすると、どのようなことが想定できますでしょうか。

    具体的な答えを求めているのに質問が抽象的かつ投げっぱなしで申し訳ありません。
    よろしくお願いいたします。

  8. 高崎大志

    五十風さま
    コメントありがとうございます。

    「意識の指向性」というのが、抽象的な概念で、うまく応えられるかどうかよくわからないのですが、「制作者」または「劇場スタッフ」として、よりよい仕事ができるように知識を増やし、スキルを高め、人脈を拡げていくということであるように思います。

    これで答えになっていると良いのですが、ズレがあるような場合はご質問を補足していただけると幸いです。

  9. 五十嵐

    高崎様

    コメントありがとうございます。
    「意識の指向性」についてお尋ねいたしましたのは、「制作者(劇場スタッフ)」の内面という点においても、地域としての特徴や、格差を見出すことはできないか、という点を思ったからでした。
    これまでも高崎様が述べられているように、「東京」と「その他地域」における格差というものが現に存在するならば、「指向性」という内面的な要素において、高崎様がお感じになった例を挙げていただけると、浅学な私にも理解に一歩近づけます。
    ずっと抽象的な質問ばかりになっているので補足すれば、例えば高崎様がお使いになった「よりよい仕事」の「よりよい」に地域間格差は見受けられますでしょうか。
    (無論歴然とした個人差が発生するところですが、そこを排除して地域としてお感じになったところをご教示頂ければと幸いです)

  10. 高崎大志

    五十風さま

    >「よりよい仕事」の「よりよい」に地域間格差は見受けられますでしょうか。

    なにをもって「よりよい仕事」をしたという評価が、地域によって変わると言うことでしょうか?
    たとえば進学校であれば偏差値70までいけば、「よりよい仕事」になるが、非進学校では偏差値60までいけば、「よりよい仕事」になるとか、そういうことを想定されているのでしょうか?

    意識が高い、低いというのは、ベクトルの指す向きを問題にしているわけではなく、現在の地点からのベクトルの長さを問題にしています。

  11. 五十嵐

    高崎様
    コメント拝読いたしました。

    >なにをもって「よりよい仕事」をしたという評価が、地域によって変わると言うことでしょうか?

    「首都圏―その他地域」という対比のみならず、
    「その他地域」の中でも、差異がないのかな、という単純な疑問です。
    少なからず差異があるとすれば「現在の地点」の要素に変化が生じるということですし、
    差異がない、とすれば私の疑問は成り立たないことになるかと思います。

    意識の指向性という点のみならず、現在の地点の認識という点の把握においてポイントとなる要素になるかと思ったのですが、いかがでしょうか。

  12. 高崎大志

    五十風さま

    うーん、ごめんなさい・・・
    日にちをおいて何度か読んだのですが、質問の意味がよくわかりません・・・

    一度、この議論はなかったことにして、ゼロから質問してもらってもいいでしょうか。

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