この記事は2007年11月に掲載されたものです。
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表現団体の人は、環境のことを言いにくいので、

カテゴリー: さくてき博多一本締め | 投稿日: | 投稿者:

●「fringe blog」は複数の筆者による執筆です。本記事の筆者は 高崎大志 です。

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表現団体の人は、地域の芸術文化の環境の問題を言いにくい。

なぜなら、圧倒的におもしろい芝居を自らの才能と努力で生み出せば、どのような環境・地域であっても全国から注目を浴びるような大成功が可能だと信じているからである。
さらに、その理由を芸術文化環境や地域格差の問題にすることは表現者精神の敗北であると、意識しているかどうかの差はあれども、鋭敏に感じ取っているからだと思う。

この思考の流れはまったく共感できる。そしてそうでなければ、圧倒的におもしろい作品なんて出来ないと思う。
高崎も役者や照明などで劇団活動をしていたことがあるので、なおさらよくわかる。環境のせいにしている表現者をみると、顔ではニコニコしているが、表現者としてはどうなのかと身構えてしまう。

上記は、良くないことかもしれないが、表現者が避けて通れない現象だと思う。

でも1,000人に1人の才能努力があれば花が咲く環境と10,000に1人の才能努力がないと花が咲かない環境の違いは、厳然としてあるのだろうと思う。

そんなわけで、表現団体の人は言いにくいと思いますので、かわりに表現団体に属していない高崎が、環境整備の必要性について、好き勝手に言わせていただきたいと思います。

こういう具体例があって、こういう問題があるのだ。的なネタがあれば、どんどん高崎までお知らせ下さい。ちなみにこの情報提供については、一切評価を下げたりいたしませんので。
個別のお返事は出来ないかもしれませんが、血肉として、このブログの内容に活かさせていただきたいと思います。

以上、前置きが長くなりましたが、次回くらいから本論に入っていきたいと思います。