芸術文化環境の地域間格差について、8つの項目の2番目にあげた「表現(者)の重層性、多様性の格差から来る学習環境、モチベーション保持環境」について、思うことを書いてみます。
わかりやすくいうと、いろんな方向性の芝居があるかないかということになります。
例えば福岡だと劇団の数が100前後とかいわれていますが、小劇場系でいうならばわかりやすいエンターテイメントに比重をおく傾向の強い芝居が大半です。そのなかで、最たるものがギンギラ太陽’sといえるかもしれません。
アーティスティックな方向性や、静かな演劇とされるような方向性はあまりみられません。
(九州の他の都市では、静かな演劇系の芝居がある地域があります。)
福岡の地域性かもしれませんが、15年ほど前に、福岡では遊眠社、新感線、第三舞台の公演が続いた時期があり、それが福岡の方向性の主流に大きな影響を与えているのではないかと推測しています。
首都圏に話を転じると、あらゆる方向性のクオリティの高い芝居があるようにみえます。しかも、そこに重層性があり、一つの方向性を挙げたとして、それに該当するカンパニーを多くあげることが出来るでしょう。
ある方向性で優れた作品があることは、その地域の演劇公演のクオリティをあげることにに大きく寄与し、その地域の傾向に影響を与えます。それがない場合は、なかなかその方向性での芝居は育たないようです。
表現者にとっても、方向性が近い芝居で優れた作品があるということは学習環境としても有利です。また地理的な近接性から、交流や相互刺激の機会も多く、特にこの点で首都圏は他地域を圧倒しているような印象があります。
つぎに、モチベーション保持環境についてですが、これについては
・平均的な関係者の気合いの入り具合
・成功の類型の有無
にわけて、後日に譲りたいと思います。
(例として、福岡をあげていますが、あくまで例に過ぎません。首都圏との比較という点でみると、多くの地域に当てはまることがあるかと思います。)
すみません、よくわからないところがあったので質問します。
>遊眠社、新感線、第三舞台の公演が続いた時期があり、それが福岡の方向性の主流に大きな影響を与えている
反動として、わかりやすいエンターテイメント性の強いものが主流になった、という意味ですか?
三団体とも「わかりやすいエンターテイメント」という意味で使っています。
ストーリーの平明さではなく、外形的なものであったり、派手な演出であったり、役者の演技の方向性であったりに着目しています。
少し表現がわかりにくかったかもしれません。
その3団体と「わかりやすいエンターティメント」は繋ぎにくいと思います。
言われていることは「カタルシスを強く与える演出」ということかと。
それを志向しようとすると、演出力+企画規模の大きさ(ある程度スタッフワークに予算を入れないと難しいと思います)が必要になってくる中、それを成就出来ない状況を脚本に転嫁していったとしたら、福岡での「わかりやすいエンターティメント」のある種の形に近づくかもしれません。
むしろ、キャラメルボックスや花組芝居の影響は如何でしょう。
補足すると「メインとするエンターテイメントの主要素が難解ではない」「比較的多数の人に受け入れられやすい方向性のエンターテイメント」といいかえられるかとも思いますが言葉の定義の問題なので、表現にはこだわりません。
taniseさんの解釈を読むと、私の主旨をくんでいただいているとおもいます。感謝します。
>キャラメルボックスや花組芝居の影響は如何でしょう。
あるとおもいます。